FOW閑話シリーズ
欠片

作者 エルさん

 男は異様だった。
 歳は若く見える。
 ただ、半円形のミラーグラスをしている為に素顔を確認することができない。
 柔らかそうな生地の白いのシャツに細いループタイ、黒いズボン、
 それに魔法円の描かれた黒い手袋していた。
 髪は銀髪の髪を短めに刈り、分け目から部分的に緑色に染めている。
 それだけならば、たいして異様というほどの印象は受けないだろう。
 彼を異様たらしめているのは、左の額に唐突に開いている『鍵穴』だ。
 人間の額に『鍵穴』が空いているのだ。
 異様としか言いようがない。
 そして、異様さを誇示しながらも否定するように
 全身から禍禍しくも繊細な雰囲気を醸し出している不可思議な男だった。

 その男の目の前の机に一冊の魔道書が置かれていた。
「希望の力こそ、常若の国の門を開く鍵とならん」
 呪文のような言葉を呟き、男は軽く息を吐いた。
 と、唐突に男は気づいた。
 いつの間にか、魔道書の上に、水晶を刳り抜いて作られたと思われる髑髏が現れていることに。

「ほぅ……?」
 蝋燭の大きく炎が揺らめいた。
 水晶髑髏が、不気味に発光し、カタカタと顎を鳴らす。
 男は突然の異変に動じた風もなく、むしろ興味を惹かれたように唸った。
 感じられる"妖気"が固まる気配を見せる箇所に視線を向ける。
 真っ赤な光が収束し、柱となり、その柱から、一人の女が姿を現す。
 見知った顔ではない。
「東洋の妖とは、珍しい客だな」
 背筋が凍るような完璧な美貌の女だった。

「汝が、"妖術師"か…」
 女は妖艶な声で男を誰何して来た。
「知らずに迷い込んだわけでもあるまい?
 確かに、そう呼ぶ輩もいるが、オレにはどうでも良いことだ」
「どうでも良いのかえ?」
「真の名ではない呼称など便宜的なものに過ぎん」
「仮の名でも呪術で縛ることはできるぞえ」
「フン、真名無き妖が"名"の力を語るか」
 男は嘲笑った。

「わざわざ魔術の話をしに来たのか?
 それなら勉強熱心なヤツを紹介してやっても良い」
 男は腕を組み、壁に背中を預けた。
「もっとも、熱心過ぎて、精神も身体も壊れかかっているがな」
「……助けてはやらぬのか?」

「気に入ってはいる」

 女の問いに、男は感情を込めずに答えた。
「だが、"魔"を使うとはそういうことだろう?
 "神"も"魔"も道具に過ぎない。使う使わないは術者の選択だ」
 取り込まれるということは、力が足りないと言うことだ。
 力が足りないのなら、使わなければ良い。
 力を望み、望んで"そうなった"者を、どうすることもできはしない。

「それで、貴様は何をしに来たのだ? まさか、本当に魔術の話をしに来たわけではあるまい」
「汝を見に来たのだ。"鍵穴持ちし者"よ」
「見に来ただと?」
「希望を狩る存在。陰陽を崩す者。どれほどのものか、とな」
「それで、感想は?」
「先程の遣り取りでわかった。汝には……何も……何も無い」
「何も無い?」
「心の話よ。大切なものは無いのか? 愛は無いのか?」
 哀しい瞳で男を見続ける女。
 男は再び、女を嘲笑った。
「それが、妖の言うことか?」
「……」
「まぁ、良い。……強いて言うなら、オレには"魂"がある」
 男は言葉の内容とは裏腹の皮肉めいた冷笑を以って、女に答えた。
 常に妖艶さを漂わせていた女の表情が若干変化する。
 完璧な美貌が少しだけ崩れた。
 男の答えに、女は虚を突かれたようだ。
「……それだけだ」
 男は静かに言った。
「中々、有意義な時間だったよ」
「汝は……」
 男は、なおも問いを続けようとする女の言葉を遮った。
「悪いが、これ以上、貴様の遊戯に付き合う気はない」
 男は片手を目の前に差し出した。
 ぽっと、小さな炎が掌の中に灯る。

「……!」

 炎は一瞬にして膨脹する。
 飲み込まれる寸前に、、女は姿を消した。
 そして、炎の塊は、その部屋のすべてを飲み込んだ。





 男は妖の客を追い返した後も、腕を組んで壁に持たれかかったままだった。
 驚くべきことに、部屋のどこにも焼け焦げた後も煤の後もなかった。
 何事もなかったように、机の上には魔道書が置かれ、
 蝋燭の炎が静かに表紙を照らしている。
 男は、静かに物思いに耽っていた。
 何を考えているのか、その表情からは読み取れない。

 ごんごんっ。
 ドアをノックする音が響いた。

「"二月"様。私です」
「入れ」
 ドアが開き、女が一人、紙の束を抱えて入ってきた。
 知的で美しいと言っても良い顔立ちが、
 顔色が悪く、目の下には隈もできている。
 脇には紙の束と別に不気味な雰囲気を漂わせる巨大な書物を携えていた。
 女は微動だにせず直立する。

「"六月"様との協同作戦の資料をお持ちいたしました」
「そうか」
 男は女から資料の束を受け取り、頁に目を通していく。
 内容自体は、先日行われた会議で、だいたいの概況は把握している。
 さらさらと読み流しながら、傍らの女に目をやった。
 女の瞳と視線があった。
 光彩の部分が針のようになっている狂気地味た不気味な瞳だった。
 今にも倒れそうな顔色だったが、瞳だけが異常な意志力を発揮している。
「そういえば、リヴィ…」
「はい?」
「その"Lemegeton"は役に立っているかい?」
 女の持つ禍禍しい瘴気を漂わせる巨大な書物を指して言った。
 "Lemegeton"。
 別名を『ソロモンの小さな鍵』とも呼ばれ、ありとあらゆる霊の召喚法が
 記されている恐るべき魔道書だ。
「ええ。とても役に立っておりますが……どうかしましたか?」
 微塵も揺らぎない様子で即答する女に、"妖術師"は頷いた。
「いや。それなら、良いのだ。それなら、な…」
 男は読み終えた資料を机の端で、トントンと揃えた。

「ところで、キミは『神をも裁く』というのが口癖だったな」
「そうです。私は"私の正義"の為なら、神をも恐れません」
「……なら、オレが"キミの正義"であるこの"暦"の敵に回ったらどうする?」
「"二月"様が、ですか?」
「裁けるかい? "裁判官"リヴィーナ=ラヴィーナ…」
 男の問いに女は一瞬だけ、驚いたのか瞳を大きく見開く。
 だが、すぐに、表情を戻して答えた。
「……そういう仮定の話は好きではありませんが、ただ…」
「ただ…?」
「この"Lemegeton"は返せと言われても返しません」
「はははっ、良い答えだ」


 

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