FOW閑話シリーズ
冬枯れの姫

作者 MUMUさん

−うるわしき、かの凍てついた微笑
  私は戦慄にも似た高揚を−


 大理石の床は白く硬質で、踏み出した足は少しも沈むことなく、体重をすべて甲高い足音へと変換する。足音の残響が消え入る寸前に、また次の足音が続く。

「――おお…やんごとなき我が姫君よ」
 歩きながら、男は詩をそらんじるかのように小さくつぶやく。ループ・タイの巻かれた白いシャツと、影よりも黒いサングラスが特徴的な男である。

「――貴女は千の冬を見て、幾億の絶望と共にある」
 言葉は微妙な節回しによって周囲に響き、誰にも聞かれることなく、その場に置き忘られる。

「――かじかむ手を互いに握り、雪にまみれて倒れ伏す兄弟を見た」
 いつしかその息は白くなっている。外は初夏だというのに、回廊の奥へと進むほどに、氷で冷やされているかのように手足の温度が下がっていく。

「――1本のマキよりも絵の具を選び、名画を描きあげて死んだ老画家を見た」
 ある地点から、壁面のすべてが白一色に染まる。あらゆる場所が凍りつき、霜が張っているのだ。

「――その心臓は氷の林檎、その美しき髪は雪のひとひら…」
 突き当たりの扉に手をかける。瞬間、手袋から肘のあたりまでが一瞬に凍りつき、縦横にヒビが刻まれる。男は薄い笑みを浮かべ、腕の破片をぱらぱらとこぼしながら、構うことなく扉を開けた。
冷気が消える。
体を這い登っていた霜も、凍りついた腕も元に戻っていた。全ては幻だとでも言うように。
オペラが流れている。

床の下を這うような低音。覆い被さるような高音。

部屋を埋め尽くすレコードの山は、古今東西のあらゆるオペラの、なぜか男性歌手のみのコレクションである。部屋の主の趣味らしい。
「…アルシャンクね?」
 部屋の片隅から声がした。日の挿さない右奥、蓄音機の背中を撫でながら、そこにいた少女は誰何の声をあげる。
 白い髪、白すぎる肌。そんな少女である。
その爪は長くまっすぐに伸び、妖しい煌めきを放つ。
 力強い歌声に抱かれ、その目は陶酔にうるんでいた。この少女は、暇さえあれば何週間でもこうして音楽を聞きつづけている。
「――姫君」
部屋に入ってきた男…アルシャンクは、おどけたように彼女をそう呼んだ。
その口元は奇妙に歪み、皮肉めいた笑みを浮かべる。

「厳冬の姫君、ブルーベル…。どうか我らにご尽力を…」


 

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