薔薇の咲く夜に


 パレルモ・プレトーリア広場前、午後7時53分。

 昼間から降り続いていた雨は夕刻を過ぎた時分からその雨足を弱め、広場に面したリストランテから2人の女が出てくる頃には、雲の隙間から皓々(こうこう)と輝く満月が顔を覗かせていた。

「今夜の月は、やけに輝いて見えるな」

 月を見上げてそう呟く女の傍(かたわ)らで、もう一人の女は星空から視線を戻し、バッグから携帯電話を取り出して短く一言二言告げる。

「行きましょう、モニカ様」

「ああ」

 女がバッグに携帯電話を戻して話しかけると、モニカと呼ばれた女は玄関の階段を下り始めた。

 柔らかく波打つ蜜色の金髪と、真紅の瞳を持った美女であった。大きく垂れ下がった前髪の房が顔の左半分を隠しているが、それがかえって彼女本来の美貌をより一層引き立たせている。ファーの付いた黒のロングコートから覗く白い肌がワインレッドのワンピースに良く映え、大きく開いた胸元は彼女の豊かなバストを際立たせ、スリットの部分は張り出したヒップラインとしなやかな脚線美を強調していた。

 モニカに続いて階段を下りる女――名前を、ミネルバという――も、モニカに負けず劣らずの美貌の持ち主である。白金色のショートボブに青く澄んだ瞳。縁のない眼鏡の奥にある切れ長の二重瞼は教養と知性を伺(うかが)わせ、それでいて同性でも羨(うらや)むであろう抜群のプロポーションが、颯爽(さっそう)と着こなしているベージュのスーツ越しに見て取れる。

 2人は人もまばらな広場に出ると、人目につく事を避けるかのように、とある小狭い裏路地へと歩き出した。人気のまったく無い路地は広場からの灯りがほとんど届かず、果てしない闇と静寂がこの領域を支配している。どこか据えた臭いがひんやりとした空気に乗って漂う中、彼女達はヒールの硬い足音を響かせ、慣れた足取りで奥へと進む。

 やがて視界が開けると、表通りとはまるで対照的な、薄暗く閑散とした街並みが広がる。往来の無い裏通りの、まばらに点在する街灯の下。道路の傍らに止まる黒塗りガラスのリムジンにモニカとミネルバが近付くと、運転手側のドアが開き、1人の青年が2人を出迎えた。

「お帰りなさいませ、モニカ様」

 直毛の茶髪に、モデルとしてでも十分に通用する整った顔立ち。その、やや少年の面影を残す輪郭とは対照的に目つきは鋭く、さらに右目を覆う黒い眼帯が、彼に対する印象を強烈なものにしている。全体的に長身で細身だが、無駄なく引き締まった筋肉が青いワイシャツの上からでも分かり、野性味のある精悍さを感じさせた。

「ああ。待たせたな、ヴィンセント」

 後部座席のドアを開け、うやうやしく頭を下げる青年――ヴィンセントに軽く微笑むと、モニカとミネルバはリムジンに乗り込む。ドアを閉めて運転席に戻ったヴィンセントは、キーを回して車をスタートさせた。

 モニカ・ベェルレッタ――彼女こそ、シチリアの暗部の頂点。イタリアで最大勢力を誇るマフィア『ベェルレッタ・ファミリー』のドン、その人であった。


 


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