薔薇の咲く夜に


 紗雪が片腕を伸ばし、燃え盛る車に向けて優雅な仕草で手招きをした途端。

ガギギギッ。ズグッ――

 それはまるで、意思があるかのように。

 2本の鋏は、鉄のその身を細かく揺さぶると、車の残骸から自らを引き抜き、空を舞って紗雪の周囲をフワフワと漂った。

「では、そろそろ覚悟はいいかしら?モニカ・ベェルレッタ」

「……フン。モニカ様が出るまでもない。お前の相手は俺が――」

「まあ待て、ヴィンセント」

 張り詰めた空気の中にあって悠然とモニカに語りかける紗雪に対し、首を手で解(ほぐ)しながらモニカの前に出ようとするヴィンセントを、しかし彼女は呼び止める。

「彼女直々(じきじき)の御指名だ。ここで舞台に上がらなければ失礼というものだろう?」

 紗雪から発せられている、息苦しさを伴った殺気はヴィンセントも肌で感じ、その戦闘力は先ほどの襲撃で嫌と言うほど思い知らされている。そんな怪物相手に、モニカは一人で挑もうというのだ。

「いえ、モニカ様。ここは俺が――」

「ヴィンセント」

 険しい表情で振り向いたヴィンセントの目を、モニカは正面から見据える。

「………………」

 自分を見上げる紅い瞳。その奥に見え隠れする、自信に満ちた光。

「(俺は今まで、この人の、この瞳の力強さを信じてきた。しかし。しかし……この状況下で、俺はまだ、この人のこの自信を信じるべきなのだろうか?ここは無理矢理にでも俺がおとりとなり、ミネルバと一緒に逃がすべきではないのだろうか……?)」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

 長く続いた沈黙の末。

 やがて、拳銃を懐のホルスターに収めると、ヴィンセントはその場から一歩下がり、モニカに道を空けた。

「……御武運を」

「フッ、大丈夫だ。任せておけ」

 モニカはヴィンセントに満足そうに笑いかけると、手櫛(てぐし)で乱れた髪形を整え、紗雪の立つ噴水にむけて歩き出した。

「ヴィンセント……」

 自分の横に並んだ青年に心配そうな顔を向けるミネルバ。そんな彼女に、ヴィンセントはモニカから視線を外さず答える。

「……信頼とは、いかなる時でも、いかなる場所でも、100%信じる事だ。今はただ、俺達はモニカ様の事を信じればいい。だろ?」

 絶対的な信頼とは、文字通り絶対的であって、そこにいかなる葛藤も存在しない。自分の心の中に、信じることに対するただ一点の迷いも、気のゆるみも存在しないのだ。

「(迷う事自体間違っていた。ここで俺とミネルバが、モニカ様を信じてられなくてどうするんだ?)」

 自嘲気味に笑うヴィンセント。

 信じる事によって生み出される、最も効果的で、効率的で、調和のとれた行動。それは絶対善であり、信じ続ける自分にとっても、信じられ続ける他人にとっても、最大の幸福をもたらす源となる。

 それこそが根本的な「願い」――信頼の本質なのだ。

「大丈夫だ。あの人ならば」

「……ええ――大丈夫、よね」

 ミネルバはヴィンセントの言葉に頷くと、モニカの後ろ姿を見送った。


 


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