薔薇の咲く夜に


 その声の主である女は、目にする者を自然に誘うような不思議な妖しさがあった。

 銀色の髪を両耳の裏で結い纏(まと)め、長身の肢体は、光沢のある黒い布地をたっぷりと使ったゴシック調のドレスで包み込んでいる。大きく露出した肩は青白く闇に映え、母性の象徴である円(まろ)やかな二つのふくらみは、切れ込みの深いドレスの胸元からその谷間をくっきりと覗かせる。

 月明かりの下、いまだ篝(かが)る車の炎はその女を明々(あかあか)と照らし出し、まるで名のある彫刻家の聖母像を想起させるその姿を、漆黒の空間にくっきりと浮かび上がらせていた。

 ミネルバは直(す)ぐさまモニカの前に立ち、更にその前にヴィンセントが立ちはだかる。そして懐から拳銃を抜くと、ヴィンセントは噴水の石座に立つ女に突きつけた。

「『エトナの紫煙』……モニカ・ベェルレッタね?」

 青く彩られた女の唇が、ゆっくりとモニカの名を紡(つむ)ぐ。銃口を向けられているにもかかわらず、その口調はいたって穏やかだ。

 いや、それとも最初から、拳銃を構えるヴィンセントの存在をまるで意に介していないのかも知れない。

「……そういうお前は、紗雪・ドゥルーベ・弔祇邸(ちょうしてい)と見受けるが?」

「あら、よく御存知で?」

 モニカに自分の名前を言い当てられると、女――紗雪は、さも意外そうな表情をする。

「ヨーロッパの闇に生きる者なら、誰もが一度は耳にする名前だからな。『黒鋏の魔女』――それに、『黒装のバンシー(嘆き女)』とも言ったか?とにかく、お前が自覚している以上に、お前の名前は有名だという事だ」

 ヴィンセントとミネルバも、その通り名を聞いてようやく思い当たった。

 マフィアの間で「フランスの闇にその魔女あり」と言わしめる、最も危険な暗殺者が存在する、と。

 黒鋏の魔女という単語が発せられると、紗雪は眉をひそめて困ったように笑う。

「あまり、その呼び名は好きではないのだけれども。とにかく、成る程ね――では、その噂の魔女を前にしての感想は?」

「とびきり極上だ。こうして向かい合ってるだけで肝が冷える」

「そう。褒め言葉として受け取っておくわ」

 柔らかく微笑む紗雪に対し、、モニカも不敵に笑い返す。しかしその実、笑顔とは裏腹に煙管を握った手の平にはじっとりと汗が浮かんでいた。まるで肝どころか、直接心臓に刃物の切っ先を押し付けられているかのようだった。

 目を逸(そ)らせない。今、目を逸らせば、確実に身体を両断される。

 いや逸らす以前に、瞬(またた)きすら許されないこの雰囲気の中、モニカはひりつく喉でなんとか唾(つば)を飲み込む。

「(この私に、これほどまでのプレッシャーを感じさせるとは……これではまるで、肉食獣に射竦(いすく)まれた小動物のようだな)」

 モニカはそう心の中で呟き、ふと、

「(ハッ。――私が小動物、か)」

 こんな状況で、我ながらなんと可愛い例えだと、自らに小さく毒づいた。


 


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