デートは命懸け


「ああ、いつもこんなんだしっ!」

 平坂雪絵は肩で息をしながら、壁に手をついた。
「乗った電車が止まるってのはまだ許せるわよ。日常茶飯事だし。問題はその後の駅での異臭騒ぎ」
 ハードな人生である。
「死ぬかと思ったわ。異臭のガスじゃなくて、それから逃げる人の波で」
 今日は、彼氏とデートで、家を出る前に丹念に髪をセットし、取っておきの服を着てきたのだが、
 駅での異臭騒ぎに巻き込まれた結果、避難する大量の人間に揉まれて、髪も服も乱れに乱れまくってしまった。
 最悪である。
 そのわりには、不思議と大きなケガをしたりはしないのだが。
「ともかく!」
 キッと視線を目の前の高層ビルの最上階に向ける雪絵。
「目指すは、このホテルの30階。展望レストラン! 待っててね、ひーちゃん!」
 平坂雪絵は、背中に炎を背負って気合いを込めて、一歩を踏み出した。

 途端。
 ドスンッ。
 人にぶつかってしまった。
「きゃっ、…す、すみません!」
 顔を上げ、相手の姿を認めて、雪絵は全身硬直した。
 自然に、顔が引き攣る。
「シリョリーナ、余所見は良くないな」
 ぶつかった相手は、金髪の外国人の女性だった。
 だが、ただの女性ではない。
 顔の左半分は金髪で隠れて見えないが、表情が伺える右目は鋭い視線で雪絵を捉えている。
 それに、豪奢なファー付きのロングコートは黒で、中に着込んでいるのは胸元の大きく開いた血色のドレスシャツ。
 色っぽい大人の女性とも見えるが、全身から醸し出される殺気のような息の詰る雰囲気が、それを否定している。
 しかも、その後ろには黒いサングラスに黒いスーツという全身黒尽くめの屈強な男たちが何人も従っている。
 そして、一団の後には、これまた黒塗りのリムジン。
 雪絵は直感した。
 ひええっ、絶対この人たち『怖い職業』の人だしっ!
 怯える雪絵に、金髪の女性は目を細めた。
「気をつけることだな」
「は、はいいいいいい!」
 雪絵は、蛇に睨まれた蛙の如く直立不動のまま、絶叫するように応答した。
 その様子に黒服の男の一人が苦笑まじりに、金髪の女性に声をかける。
「ドン・べェルレッタ。参りましょう」
「ああ…」
 金髪の女性はロングコートの裾を翻した。


 一団が去った後も、雪絵はしばらく硬直していた。
 そして、我に返って、涙を目に溜めて、両掌を胸の前で合わせた。
「ああ、生きているってスバラシイ」
 そして、安堵の溜め息は、ちらりと見えた腕時計の時刻によって崩された。
 だいぶ約束の時間を過ぎている。
「ああ、ひーちゃん。怒ってるかも!?」
 雪絵は、ホテルに駆け込んだ。
「でも、今の人たちもホテルに入ってったわよね。う〜ん…」
 また、『怖い人たち』と鉢合わせするのは遠慮願いたかった。
 しかし、これ以上、彼氏を待たせるわけにもいかない。
「まあ、時間立ってるし大丈夫よね」
 雪絵は恐る恐るホテルのロビーに入った。


 


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