エバは行く

〜エピローグ〜


私の名前は河野鰊(こうの・にしん)。45歳。サラリィマンだ。

トレンチコートに帽子に丸メガネ、これが私のトレードマーク。
こう見えても世界を駆け巡るエリィトビジネスマンだ。
「エリィト」と言うとみんな笑うのだが、実際に世界中を回り、実績もキチンと
上げている(つもり)だから言って差し支えないと思うのだが、ねぇ?
ちなみに私はよく変わり者呼ばわりされる。なんでだろうね。
「真面目でいい人なんだけど間が抜けている」と評された事もある。失礼な話だ。
いや、別に怒ってはいないけどね。
まぁそういうイメージを持たれているという事は真摯に受け止めておくべきだろうな。
そんなこんなで私はラバンダのバンズ空港にいる。
今から飛行機に乗るところだ。

それにしてもこの国の仕事はやりにくかった。
新しいビジネスチャンスを求めてやってきたのだが、とにかくこの国は
環境が悪すぎる。
数年前までは水や自然も豊かなアジアの楽園だったそうだが、今や見る影もない。
水も大地も汚染の進みが激しい。これでは工場の誘致も難しい。
国がかりの事業が失敗したそうだ。大臣も何人かが自殺とかしたらしい。
とにかく私のこのラバンダへの出張は空振りに終わった。

空港のトイレで身だしなみを整えてみる。
やはりエリィトビジネスマンたる者、常に見た目も良くしておかねばならない。
ふーむ‥‥‥自分で言うのもなんだが、私はけっこう恰好良いと思う。
同世代の男衆の中でも背が高い方だし。
鏡に映る自分を入念にチェックする。うむ。今日もキマってる。
三種の神器(コート、帽子、メガネ)の手入れも怠りない。
特にこのトレンチコートはお気に入りだ。ひょっとしたら私は日本人で
石原裕次郎の次にトレンチコートが似合う男ではなかろうか?
こないだ妻にそう言ったら大爆笑されたが。

さっさと手続きを済ませ、飛行機に乗る。
私はこういう乗り物に乗った際、隣の人間とよくコミヌケーションを取る事に
している。短い間とはいえ、やはり楽しい時間を過ごしたいからね。
もちろん相手は選ぶよ。依然いかつい顔のその筋のオニイサンの隣になった時はスポーツ新聞に目を通しっぱなしだったよ。日本からアメリカまでずっと。
おかげで芸能欄に載ってた「モー娘。」たちの名前、結構覚えたけどね。

窓際の席に座る。
隣にはどんな人が来るのだろう。
ひょっとしたら誰もこないかもしれないな。
このバンズ空港自体もそんなにはやってなさそうだったし、実際この飛行機も人影はまばらだし。
うん、こりゃ隣には誰もこないな‥‥‥。


なんかサングラスかけたデカい女が来た。


あーあー、ドッカリ座っちゃったよ。他にいくらでも空いてるのに。
「いかついオニイサン」の隣になった事はあるけど「いかついオネエサン」の隣になった事はなかったなぁ‥‥‥。
なんなんだろこの人。身長180以上はあるよなあ。けっこうグラマァだけど。

年は‥‥‥30前後といった所かな。こうして見ると結構美人だ。白い髪が綺麗だっ。
欧米系かな?薄茶色のサングラスの向こうに見える目もりりしい。

うわ!でも左の額にすっげぇ傷跡あるよ〜。コメカミまで達してる。
そもそも服装もスゴいよ。上は普通の黒いシャツだけど、下はゴツい迷彩ズボンとかはいてるし。軍人?ブーツもゴツい。
だいたい私は強い女は苦手なんだなぁ。女性差別と思われるかもしれないけど、
やっぱさ、女は男が思わず守ってあげたくなるような、たおやかさが欲しいと思うんだな。
‥‥‥今回はスポーツ新聞読んどこかな。
「‥‥‥何ジロジロ見てんだい?」
しまった、不躾に眺め過ぎたッ。怒ってるみたいだぁっ‥‥‥!
りりしい目が私に向けられている。スゴク怖い。
「あ、いや、失礼しました。とてもお美しかったものでつい‥‥‥」
フフッ、わびの中にすかさず賛美の言葉を入れるこのナイス機転。
こういう細やかな洒落っ気が私の"ダンディ"たるゆえんでもあるのだッ。


‥‥‥殴られた。
なんかこう、ジャブが頬に。ビシッとね。


「おべっか使う奴は嫌いだよ」
おべっかなんかじゃないのにぃ。本当に綺麗だと思って言ったのにぃ。
「ぅぅぅ‥‥す、すびばせんっ‥‥‥」
「‥‥‥悪かった。殴ったのはやり過ぎだったな。少し気が立っていたんだ」
私の心の叫びが通じたのか、彼女は謝ってきた。
「ああいえ、大丈夫ですから‥‥‥」
私はソフトに済ませる事にした。彼女はたまたま機嫌が悪かったのだろう。
人はいつも絶好調というわけにはいかないものなのだから。

飛行機が離陸した。
窓から見える地上がグングン遠のいていく。それにしても飛行機の窓は小さい。
もっと大きい窓で景色を眺めたいんだがなぁ。まぁ耐久性とかそういう問題でこのサイズなのだろうけど。
ふと、妻と娘の事を思い出した。
手帳を開き、家族3人で撮った写真を見る。
妻と、そして高校生になる娘。素直な良い子だ。親バカで言ってるんじゃないぞ。
家族。私の一番の宝物だ。
出張続きの日々だが彼女たちを忘れた日など一日たりとて無い。
愛する妻と娘がいるから私はがんばれるのだ。
愛する人がいてこそ、人生はすばらしい。
「‥‥‥あなたの家族?」
うわビックリした!
隣のデカ女だ。いつのまにか写真を見てたみたいだ。まぁ隣だから目に入っても仕方ないか。
「ええ、そうですよ」
「そう‥‥‥」
そうつぶやいた彼女の顔は微笑んでいた。
私は確かに見たんだよ。


サングラスのむこうに見えた目は、とても優しかったんだ。


 


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