スノウ・ホワイト
〜雪のように白く、雪のように儚く〜


第4話

作者 堕天使

 nagureoは言った。彼女は暗殺を目的として造られた人造人間のテストタイプだと。だから、いつかこんな日が来ることは覚悟していた。
「パパ〜、寒いよ〜」
 季節は晩秋。風は肌を容赦なく凍てつかせ、吐息は口から白煙となって漏れる。そんな気候にもかかわらず、二人は寒風吹き荒ぶビルの屋上に立ち尽していた。その眼下に広がる町々には既に該当以外の明りは存在せず、夜の闇に支配されていた。
「ねぇパパ。あそこのにいる人でしょ?」
 そう言ってスノウが指差した先の部屋には分厚いカーテンが閉められ、その向こうには明りが灯されていた。灯火の消えた冷たい雑居ビル群の中で、それは特異な輝きと温かさを秘めているように思える。
 だがそこは、クァトゥールにとって地獄になるであろう場所。いや、地獄に飛び込むべきはクァトゥールではない。目の前でその部屋を興味深げに眺めている、一人の純粋な少女なのだ。
「スノウ……」
――やめても、いいんだぞ……。
 そう言おうとした。だが、その言葉がクァトゥールの口からこぼれる事は無かった。
「なぁに、パパ?」
「いや……何でもない」
 言えなかった。言えようはずもなかった。その事を、クァトゥールはいやというほど思い知っていた。
 スノウは、元々暗殺目的で造られたのだ。そのスノウにとって、今宵はいやでも通り抜けなければならない、単なる通過点のようなものだ。即ち……暗殺だ。
 クァトゥールもそれは重々承知していた。だが、この少女との生活が、そのあまりにも非常識な現実から目を逸らさせていた。自分が教え込んだ格闘技で純粋な少女が人を殺す……まるで自分がスノウを使って人を殺しているように感じられ、激しく胸が引き裂かれるようだった。
「じゃあ、行ってくるね!」
「……ああ」
 スノウは明るくクァトゥールに笑いかけ、小さな拳を握ってガッツポーズをとる。いつもならその場を和ませてくれるスノウの笑顔も、この状況では余計に心を痛める。だが不安な顔を見せるわけにもいかず、クァトゥールはいつも通りの平静を装い、短い言葉でスノウを見送った。
 闇が蔓延する空間に、一輪の白い花が舞い踊る。それは、とても残酷な光景であった。


 クァトゥールがスノウを見送ってから、5分が経過した。順調にいっているのならば、もう帰ってきてもいい頃だった。だが、部屋にはもちろん周囲の空間に異常は無い。スノウが失敗した可能性も考えられなくは無いが、それならば何かしらの動きがあってもいいはずだ。
 その場から、何度動こうとしたことか。クァトゥールは今回、スノウの世話役でもあり監視役でもあり教官でもあり、そしてスノウが失敗した際の後始末を任されていた。だがその全ての動きは、スノウがどういう状況にあるかに依存している。一個人の感情と判断でどうにかできるものではない。
「………あれは?」
 そんな時、クァトゥールはようやく部屋の異変に気付いた。
 室内の状況を外界から遮らせるためのカーテンの一部が、かすかに変色していたのである。それも、斑点状に。常人には見逃しかねないその変化を捉えたクァトゥールは、反射的にビルの屋上を蹴り向かいのビルに飛び移った。


「スノウ!」
 クァトゥールにしては珍しい大声が、そのビルで唯一明りの点いた部屋……スノウが向かった部屋へとこだまする。次に視界に飛び込んできた光景に、クァトゥールは息を飲んだ。
「………………………………パパ」
 部屋の中心に呆然と立ち尽していたスノウは、虚ろな瞳で、虚ろな声で、虚ろな仕草で首だけ振り向き、クァトゥールを呼んだ。
 室内は、血の池と呼んでも差し支えないほどの夥しい血液と、かつては生を持っていたであろう複数の肉塊で彩られていた。中に在った備品には血が付着していない物は無く、そのどれもが朱に染められていた。クァトゥールに異変を知らせたカーテンや壁紙にもびっしりと血がこびり付き、元の生地の色がまったく見えない。最初からその色だったように。
 赤一色のその空間にいるスノウも、もちろん例外ではなかった。スノウの肌と見紛う程の純白のワンピースはほとんどが返り血で濡れ、肌や髪さえも、その例外ではなかった。なによりその空虚な表情は、スノウ自身が失われているのではと錯覚させられてしまう。
「スノウ……」
 無意識の内に、クァトゥールは部屋の中へ進み出ていた。床を濡らす粘度を保った血液が彼の靴に付着し、一歩ごとにぴちゃりという音を立てた。
「ねぇ、パパ………」
 スノウは全身で振り向くと、他人の物を見るかのように自分の左手を見た。その左手は、確かにスノウの物とは思えなかった。肘までが乾ききっていない血でべっとりと染まり、隙間なく赤い色で染まっていた。スノウの透き通るような白い皮膚とは似ても似つかない。だがその小さな手は、紛れも無くスノウ自身の物だった。
「変だよ、パパ………。全然……楽しくないの…………」
 ぽつりぽつりと話すスノウの口調には、いつもの活発さはない。
「パパの言った通りに……やったの………でもね……おかしいの…………。この人たち………弱かったよ……パパみたいに強くなかった………だからなのかな……全然面白くないよ…………」
 一歩、一歩、スノウに近づいていく。だが、あれだけ近くに感じられたスノウの心との距離は、どんどんと離れていくように感じた。
「心臓……潰したら………手の中でびくんってなったの……気持ち悪かった………。その人……すぐに動かなくなったよ……でもね…他の人はまだ動いてた……心臓狙わなかったからかな……。まだ動いて……まだ動いて……何回攻撃しても………止まらないの…………止まら…なかったの………」
 その言葉を裏付けるように、部屋の肉塊は一つだけ人の形を留めている物があり、それ以外はそこがどんな部分かもわからなかった。かろうじて頭か手足か、そういう末端部分の物しかわからなかった。
「パパ………パパと遊んでた方が………楽しかったよ…………こんなの……全然楽しくないよ……」
 最後は、涙声になっていた。この部屋に入ってから、初めて聞いたスノウの感情らしい感情。
 クァトゥールは、既にスノウの目と鼻の先まで歩み寄っていた。しかしスノウは、クァトゥールを見ようとはしない。どこか遠くを見ているような、虚ろな瞳のまま自分の血に染まった左手を凝視していた。
「…………スノウ」
 自分でも、何故そうしたのかはわからない。だが次の瞬間、クァトゥールは膝を折ってスノウを抱きしめていた。スノウの温もり、そして冷たい返り血、全てが布越しにクァトゥールの肌に触れる。
「パパ………」
 それでも、スノウに反応はなかった。それが余計に哀しくて、やるせなくて、さらに強い力でスノウを抱きしめる。だが、クァトゥールには何も責めることは出来なかった。責めるべきは自分。スノウをこんな光景に飛び込ませた自分なのだ。
「スノウ……帰るぞ………」
 その時、クァトゥールの頬には一筋の涙が流れていた。


 

第5夜に続く
第3夜に続く
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