吐き気


 表の社会では裁判官。
 裏の社会では秘密結社の粛正人。
 それがリヴィーナ=ラヴィーナだった。
 その立場上、いつも相手を追い詰めるのが仕事だった。
 だが、今はリヴィーナ=ラヴィーナ自身が追い詰められている。

 米国のCIA長官と日本の内閣官房長官が、
 跋扈する秘密結社『暦』へ対抗するために秘密裏に会談を行なう。

 その情報がリヴィーナの元に転がり込んできたのが二週間前。
 そして、逆に両長官暗殺を仕掛けるために綿密に襲撃計画を立てた。
 幹部"六月"ヴァイスハウプトの部下を借り、リヴィーナ自ら指揮を取った。
 だが、それは情報に乗せられた暦を一網打尽にするための罠だったようだ。
 リヴィーナは自身で何度も真相の事実を確認したにも関わらず、
 罠だと見抜くことができなかった。
 周到な罠だった。
 かなりの切れ者がCIAか日本の警察にいるようだ。
 リヴィーナは押し寄せる警察官を魔術で召喚した堕天使"エリゴール"で
 薙ぎ払いながら自分の失態に唇を噛み締めていた。

 浅はかだった。
 唯一の救いは自分以外の幹部が作戦に参加していなかったことだ。
 特に部下を貸して頂いた六月様には悪いことをしてしまった。

「六月様の部下を一人も犠牲にするわけにはいかない」

 文字通り馬車馬の如く魔術を使い続け、
 鬼神の如く警察官を駆逐して、六月の部下を逃がしていく。

「リヴィーナ様も早く脱出を!」
「いいえ。まだ逃げ遅れた者がいます」
「しかし、このままでは!?」
「私に構うことはありません。早く逃げなさい。
 私も残った者を落ち延びさせたら瞬間移動魔法で脱出しますから」

 リヴィーナは光彩の萎んだ狂眼で脱出を促す六月の部下を
 逆に威圧して無理矢理脱出させた。
 その隙にも警察官が何人か駆け寄って来る。

「理想なき蛆虫め。私の裁きを受け入れて安らかに消えるが良い!」

 抱えている書物を開いて、人の罪の告発者たるサタンの同朋を召喚する。
 巨大な蜘蛛の姿をした堕天使"バアル"が地面より浮上して
 警察官を糸で縛り上げ、鋭い牙で食らいつく。
 何かが潰れる音と絶叫が響き渡り、臓物と飛び散った。

 気持ち悪い。
 吐き気がする。
 凄惨な光景に対する嫌悪ではなかった。
 自分に吐き気がするのだ。
 リヴィーナは吐き気を抑えながら、
 続いてラクダに乗った女悪魔"ゴモリー"を呼び出す。
 女悪魔はラクダに跨ったまま、近くまでよって来た警察官の身体を
 爪で貫き八裂きにした。
 噴水のように血が吹き出す。

 ぴちゃっ。

 返り血がリヴィーナの頬にかかった。
 拭う。
 人の血だ。
 自分の中に流れている血。
 父にも母にも流れていた血。
 生暖かい。
 紅い。
 奪った。
 命。
 いのち。
 イノチ。

 何人目だ?
 あの少年を業火に巻き込んだ時は何時だった?
 あの少女を爆発に巻き込んだのは何時だった?
 薄汚い政治家を粛正するために
 同乗していた老人たちを客船とともに海の藻屑に変えたのは何時だった?
 気持ち悪い。
 キモチワルイ。
 キモチ…ワル…イ…。

 リヴィーナの瞳の針のような光彩が一瞬広がり、また萎んだ。

「うっ、うえっ、おええええええええっ!」
 リヴィーナはしゃがみ込んで胃液を吐いた。


 


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