〜プロローグ〜


 緩やかな軌跡は生命の流れとなって、広大な森林がどこまでも広がっていた。
 眩しくも暖かい太陽の光をつかみとろうとするかのごとく、木々は力強く深緑の葉々を伸ばす。
 木漏れ日に包まれた街路はまるで林の洞窟。暑くもなく寒くもない。
 吹き抜ける一陣の清風は、心地がよく眠気を誘う。
 居心地が良いのだろう、森だけでなくそこに住まう生き物も、そして人も生き生きと輝いていた。

 と――

 ズゥン。

 輝きすぎて閃光になってしまったのだろうか。
 爆音が響き渡り、少女が吹っ飛んでいった。
 そのまま、やたら派手な音を鳴らして地面に激突し、地面にゴロゴロと転がる。
 静かな森の中で、その光景だけが浮き彫りになったようにコミカルだった。

「……やっぱり――」

 うつ伏せに倒れた少女の呟きが聞こえた。

「やっぱり、納得できませんわ!」

 勢いよく立ち上がると、地団駄を踏んだ。清流を三つ編みにしたと錯覚する艶やかな青髪が跳ね上がる。
 腰には、魔術師学校卒業生に与えられる魔術師の証たる魔法杖。
 ややゆったり気味のジャケットに、緩やかなウェイブを作るスカートはどこか上品な雰囲気を滲ませる。
 ……まあ、今は多少こげてボロボロだが。
 表情に怒気が色濃く現れていたが、その身から醸し出す雰囲気は『お嬢様』といった風情であった。
 三つ編みをした魔導師のお嬢様である。

「ミル・タックス様、あまり意味のないことはなされない方が良いかと存じます」

 ミル・タックスと呼ばれる少女は、柳眉を逆立てて振り返った。
 視線の先、大男が立っている。
 絹をくしけずいたような黒髪は、ポニーテールに結られている。
 美丈夫と言っていい顔立ちであったが、およそ感情というものがあるのだろうかと疑わせるほどの無表情であった。
 だが、この男を見るものは、まず、そんなことなど見もせず驚愕する。
 男は、重装甲鎧……フルプレートアーマー……を着こなし、左手には胴体の半分を隠すだろう大型盾、背中には上半身と同サイズの刃を持つ大斧。
 およそ、人が人として動ける規格を軽く吹っ飛ばしていた。

「だって、グラン・ダックス!」

 ミルは、ばっと、横へ手を広げる。
 男……グランと言うようだ……も、それに合わせて首を動かす。
 緑に彩る植物群を掻き分けるように、剥き出しの地面が街路を形成していた。
 踏み固められ、赤く変色した大地はまるで血管であり、血液が流れるように枝分かれしている。
 血管の一角、ミルの示した方角には唐突に箱が置かれていた。

 骨格は木で出来ているだろう箱は、金縁で形付けれ赤塗りで整えられている。
 側面には金糸銀糸で絵画を彩っており、中心部には大きな碧の宝石。

「こう……財宝みたいなものが、あったら、思わず近寄ってみたくなりませんの!?」
「普通、怪しいと思われませんか?」

 ミルの問いに、グランは相変わらず無表情のまま言ってのける。
 瞬間、お嬢様の顔面は、茹でられたように赤く染まる。
 次の言葉を口の中で紡ごうとしたが、上手く単語にならず、そのまま押し黙ってしまった。
 怒っているのか、それとも恥じているのか……たぶん、両方だろう。

「くっああああ!」

 再び地団駄を踏んだお嬢様は……あまりに悔しかったのだろうか……足元から石を拾うと、箱に向かって投げつける。

 そして、再び爆音が響き渡り、吹っ飛ぶ少女の姿がそこにあった。

 ☆

「やはり、ディオバンの迷宮に二人で挑まれまするのは間違いかと存じます」

 ほどなくウェルダンに焼けたお嬢様の後ろを、同じ歩調で歩いていたグランが口を開いた。

 ディオバンの迷宮――
 この世界の人間なら誰しも知っている。
 神が残した学問『魔術』と違い、古代から存在する神力の具現。
 財宝の神にして迷宮の化身。
 難攻不落にして、大陸各地に存在する、神そのもの。
 それが『ディオバンの迷宮』である。

 ススにまみれていたミルは、グランの言葉に、ギッ、と彼の方を睨み付けた。
 だが、反対する理由もなかったのだろう、黙って正面に視線を戻す。
 たんに、反対できなかっただけかもしれないが。

「ところでお嬢様。なぜ、ディオバンの迷宮が難攻不落がご存知でしょうか?」
「……知らないですわ」

 ミルは足を止めると、不機嫌な眼差しで答えた。
 グランの方はと歩みを止めず、ミルの真横に立つと肩をつかむ。
 不機嫌な眼差しは、いよいよもって不快の眼差しに変わった。
 思わず彼女は嫌悪を行動に表してしまったのだろう、グランの手を払いのける。
 そんなことなど意に介した様子もなく、いつも通りの無表情でグランが呟く。

「……そろそろか」
「そろそろって、何がですの!? 大体、貴方、何故わたくしの肩を――」

 言いかけて口を閉ざす。思わず周りを見回してしまう。
 最初はごくわずかな……だが、今ははっきりとした蠢き。
 大地が……地面が振動していた。
 擦れあう枝葉はざわめきとなって周囲を取り巻き、森が雄叫びを上げる。

「何……何ですの?」
「ディオバンの迷宮が難攻不落と呼ばれる所以……それは」

 瞬間。

 ミルの見ている前で、木々が一斉に地面から這い出し、根を足に駆け出した。

「は――――!?」

 およそお嬢様とは言い難い叫びが響き渡るものの、それを無視し、森が慌しく動き回っている。
 いや、木だけではない。地面さえも、海面の波のように蠢き、新たな地表を形成する。
 ある地面は突然坂になり、ある地面は垂直に迫り上がり崖とアーチを形成、ある地面は大地から離れ球体になると独りで坂を登り上がりトラップと化す。
 森もそれに合わせて、ある木は道に沿って、ある木は道を阻むように、ある木は目印となるように……根を下ろす。
 と思えば、唐突に地面から財宝と思わしき貴金属が浮かび上がり、大地の波に運ばれていく。
 次々変動し、僅か数瞬で、今まで存在していた山そのものの地形が完全に作り変わっていた。

 ミルの足元でさえ例外ではなく、唐突に急斜面へと変わった。

「おおおおおおお!?」

 ミルにしてみれば、足元が消えたのと同感覚であったと思われる。
 必死にバランスを取ろうとして、地面を踏みつけようとする。
 だが、そもそも急斜面なのだ、踏ん張りなど利かず……ばったりと倒れてしまった。
 いや、倒れるだけならば、マシだったったのだろうが……ここは坂。
 一陣の落石となって転がるお嬢様の姿があった。

 あの時、グランの手を払いのけなければ、などという野暮なことはあえて言わないでおく。

 ゴロゴロと転げ落ち……ようやっと平面まで来て止まった。
 多少、ヒクヒクと痙攣はしているものの……大きな怪我はしていないようだ。
 ズドン! という音を立て、そのすぐ後ろに大男が降ってくる。
 甲冑を着こなした男は、倒れることなく着地し、悠然と周りを見渡す。
 今までの山中と違い見たことある地形……決して変形することのない地形。

 ――つまり。
 どうやら、入り口まで戻されたようだ。

「ディオバンの迷宮が難攻不落と呼ばれる所以……それは、
 日に二度……昼の変わり目、夜の変わり目……そこで起こる迷宮改変によって、変動するためでございます。
 それは進まれることだけではなく、帰られることさえも困難にさせます。
 それゆえ……難攻不落」

 お嬢様はゆらりと、立ち上がる。
 と――ありったけの力を込めて、天を仰いだ。

「やっぱり、納得できませんわ!」


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