それが何か



茨城県大洗三海里沖 晩夏のある夜

どす黒い墨を溶かしたような夜空の下に、
イカ釣り漁船が一艘浮かんでいた。
釣り氏たちの頭上や横についているあらゆるところからこぼれ出る電光が、
本来なら多種多様の魚介類を呼び寄せているはずだった。
だが、その日は様子が違っていたと、船長は述べている。
魚群探知機にでかい影が映っていたのに、一匹も魚はかからなかった。

鹿島灘沖合い 翌日早朝

海上保安庁の巡視艇が、なんとも知れぬエコーをソナー右舷に確認した。
速度約三十ノット。全長3、4m。
それは、巡視艇からすぐさま離れていったそうだが、
国籍不明の潜水艇として、警視庁捜査部刑事課が捜査を行っている。

千葉県銚子港沖合い 昼過ぎ

観光船が、鯨らしきどす黒いなにかを目視確認。
目下、鹿島灘沖合いの3、4mの潜水艇との関連性が調査されている。
マスコミは、某国の秘密工作艇との見解も示している。

小笠原諸島近海 夕刻

ここからがその話の本筋だ。

大型輸送タンカー『まっこう丸』が、例の黒い潜水艇を目撃したと言ってきた。
が、直後無線がいきなり切れる。
海保がヘリコプターを向かわせたところ、船内には、

人が一人をのぞいていなかった。
タンカーの乗組員七十三名が一人を除いて姿を消した。
その残りの一人も重傷を負っていた。


はたして、黒い潜水艇とは何か。
はたして、七十二人もの人間がどこに消えたのか。
はたして、生残りの一人は何を目撃したのか。

ミッシングウェポン騒動が一段落し始めた日本にとって、
この事件は非常に好奇心をそそられるものであり、また、新しい話題でも合った。



「なあにが、話題だか・・・」
刑事課に勤めて三十年と言う大ベテラン、畑守がぼやくのも無理は無かった。
「こちとら連中の影を探すのでめいっぱいだってのに・・・」
「ほんとッス。」
そのお隣で書類整理をしている緋龍も思わず賛同する。
「おかげでここ2、3週間雪ぴょンともまったく会えないッスよ・・
 涙が出るッス・・」
「あーあー・・羨ましいね若い人は・・・ったく!」
刑事三十年でまだ独身の畑守にとって、
この自分よりもずっと若い緋龍悠里という男はじつに楽しい存在だった。

このヤマで知り合った二人だが、こうまでの大事件ともなると、
信頼関係も芽生える。

だが、それだけではなくこの妙におちゃらけた若者の人間性が、
じつに愉快だったのだ。

「海保はまだ七十二名を探して奔走中、生存者も
 精神的疲労によりの一点張りで合わせてもくれない・・・・
 警察をなんだと思ってるんだ・・!」
「海の事件ッスからね、むこうが独占したがるのも分かるんッス・・
 けど、さすがにこうまで秘匿だと・・・もーわかんないッス。」

いかに捜査部きっての優秀な刑事のタッグが二人がかりでも、
こうまでガードされるとなにもできなかった。

捜査はこの時点で難航していた。


 


第2話に進む
図書館に戻る