『アンノウン・キング』

20


 「すごい、田舎の警察がよくここまで調べたもんですね」
 マイク・ドースンはファイルを受け取り、一通り目を通すと、嬉しそうに笑った。笑うと、分厚い下唇がふるふると震え、皺が口の両脇からぐっと広がるため、見た目はあまりいいものではなかったが、ともかく彼はこの町に来てから心の底から笑った。
 「田舎って言い方はよせよ、なかなか見応えのある男だったぜ」
 マイクの正面では背の高い老人が葉巻を吹かしながら見下ろしていた。その背後にはスーツを着た金髪の女性が立っている。老人の連れらしかった。
 マイク・ドースンとドンキホーテ、KJはトゥーマッチタウン区内でも人通りの少ない通りで密談していた。時刻はすでに深夜の1時を回っていた。月は出ていなかった。この町ではここのところ曇り空が続いている。
 「いや、こいつは失礼。正直、これほどとは考えもしなかったもので」
 マイク・ドースンは内側のポケットにしまい、一礼した。笑みが満面に溢れ、またしても皺がぐっと広がる。
 「感謝しますよ、ミスター・クルゼイロ。FBIやCIAには何人か知り合いがいますが、流石にこんな田舎には、おっと、すみませんね、ここトゥーマッチタウンには情報を横流ししてくれる友達がいないもんで。本当に助かりました」
 「そいつは参考になりそうかい?」
 「完璧です。明日には最新の話をお聞かせできると思います」
 「ハハッ、さすがだな。ドースン。それじゃあ、俺たちはホテルに帰るぜ」
 ドンキホーテはマイクの肩をドンと叩き、側に留めてあった車に乗り込むと、そのまま車をスタートさせた。車の中から手を振るドンキホーテの笑顔がマイクの目に入り、彼はまた笑った。


 マイクはもう一度ファイルを取り出し、この幸運が現実かどうか再確認すると、相棒が眠っているであろうホテルへと歩き出した。流石に深夜ということもあって、通りでは長身のシャツの男と筋肉の塊のような黒人以外に出会わなかった。おそらく、この町のストリートファイターであろうか。彼が仕入れた話ではこの町の一部のストリートファイターは犯人を自分たちと同じ格闘家と想定して、仲間の仇を討つべく夜な夜な犯人探しに意気込んでいるという。
 犯人が凄腕の格闘士かもしれないということについては、マイクもある程度の予測は立てている。馬鹿げた発想だとは思うが、自分が今まで収集した情報から考えてみれば妥当な線だろう。しかし、この町の連中のやっていることは理解できなかった。犯人は素手でトップファイターと渡り合い、心臓を抉り抜く怪物のような奴だ。そこまで推測しておきながら、どうしてわざわざ会おうとするのか。
 このことは現在の主ロイに話していないが(話せるはずがない)、マイクがロイ・ベーカリーを誘った時にしても、彼が殺人鬼に勝てる見込みがあるとは思っていなかった。マイクがロイのファンで、いまもそうであることは事実だ。
 しかし、彼が元ボクシング王者“モンスター・アームズ”をこの町に誘ったのには別の目的からだった。欲しいものはただ一つ。彼の名誉なんか望んでいない。
 お金。兄貴から何度も何度も叩き込まれた、世界で最も頼ることができ、愛すべきもの。
 
 
 とにかく、マイク・ドースンはもう少し長生きできそうだった。
 ドンキホーテの協力で得た情報は、ロイ・ベーカリーが犯人を捕まえることができるかどうかは別にしても、彼の要求に応えられるだけの容量はあった。情報を売買、収集することに長い実績を持つマイクの手にかかれば、先の発言の通り、新しい話を明日の間に聞かせることができるだろう。
 新しい話。
 これが大切なんだ、とマイク・ドースンはカトリック教徒が祈りを捧げるように、日々述懐する。
 20世紀に入ってから、この世界では(とりわけアメリカでは)大量生産、大量消費の風潮が、人々の生活に侵食している。物質的な豊かさが(とりわけアメリカでは)一般大衆の関心の的であり、いわば生き甲斐だ。少し極端な見方かも知れないが、いまのこの世の中にそういう人間とそうでない人間を比べてどっちが多い?どいつもこいつも生まれ落ちてまず欲しがるのがビデオデッキにカラー・テレビ、念願の車を買った後は憧れのマイホームってところだろう?
 それでいい。マイク・ドースンにとってはそれでいい。
 フロリダだろうが、ヴェネチアだろうが、トーキョーだろうが、この時代に標準的な豊かさをもって生まれた人間は物質的な欲求を求めて、やがて死ぬ。
 それでいい。マイク・ドースンにとってはどうでもいい。いや、彼自身もそういう存在に過ぎない。
 彼が問題とするのは関わっていくべきそうでない奴らだ。
 物質的な豊かさに飽き飽きした奴ら、つまり大金持ち。信念を貫こうと必死な奴ら、つまりテロリスト。権力欲にまみれた貪欲な奴ら、つまりマフィア。こういう連中は物質的な豊かさよりも、自分の魂を満足させるものをいくら払ってでも金で買う。
 つまり、新しい話。
 彼らは目の前のカラー・テレビに目もくれずに、子供のように新しい話をねだる。まるで金やモノという概念が無いかのように、ただ彼の心を躍らせる楽しい話を聞きたがる。こういう奴らが世界には(とりわけアメリカには)多い。連中はまた金を持っている。あるいは貧しいくせにそれだけのために必死こいて金を集めるって奴もいる。だから単純に稼ぎも多い。相手が相手だけに一度の仕事量が半端ではない。
 元来が金に対して執着心をもつ性格だったマイクは大学を卒業するなり、先にこの世界に入っていた兄に師事を乞い、裏社会の情報屋として夜の町を徘徊するようになった。

 しかし、この仕事はやばい。
 テロリストやマフィアを相手にするだけあって、彼の生活は日常が綱渡りのように危険に満ちあふれていた。実際、昨年に彼に情報屋のいろはを叩き込んだ兄のジョージが何者かの手によって暗殺されている。(ある筋の話ではガイア共和国が関わってた話だった。あの国にまつわる話はマイクもいくつか持っている。やばい国だ)少しでも気を抜いたら、少しでも足を踏み外したら、ネットの張ってない虚空に真っ逆様。
 だからこそ、仕事は完璧にこなさなくてはならない。
 ヘマをやらかして妙な噂を立てられたんじゃ、仕事が続けられないだけでは済まされない。もちろん後始末もしっかりやることだ。仕事ととんずらは2つで1セット。完璧にこなし、完璧に逃げる。これが情報屋の鉄則だった。(兄ジョージは後者を怠った)マイクはどうやら、ドンキホーテの助けによって、一事は達成が危ぶまれた前者もうまくやり遂げられそうだった。彼ならば、迷宮入りのこの事件を明日には解決できる。そして、ボロ儲け。金が降ってくる。彼は南国へ行ける。

 


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