『アンノウン・キング』

19


 紅茶が用意され、両者は署にあるものとしては高級なテーブルを挟んで会合していた。ドンキホーテはビジーから手渡された膨大なファイルに目を通しながら、にやにや笑っている。ビジーは彼が目を通している間、老人の背後に立つ女性を盗み見ていた。彼女もまたドンキホーテが見ている資料を、彼の背から見下ろすように眺めていた。ドンキホーテほど資料に関心は無さそうだったが、その目はずっとファイルに向けられている。
 「うん。なるほど。まあよくもここまで調べ上げたもんだな。尊敬するぜ」
 「本来はこんなことは禁じられていますが、お望みとあればコピーして差し上げますよ」
 「ハハハハ。悪いけど、はじめからそのつもりなんだ」
 そう言って、彼はファイルをテーブルに置き、葉巻に火を点けた。
 「それで、お前さんはこの事件のどう見てるんだい?」
 「そいつは我々にとって厳しい質問だ。先ほども申し上げたとおり、難航してましてね。署内でも犯人像が6つ7つあるくらいです。二つの事件でこの事件は終わりだという者もいます」
 「いや、そうじゃなくて、俺はあくまでお前さん個人の意見を聞いてんだ。ミスター…」
 「ビジー。ケヴィン・ビジーです。ケヴィンで結構」
 「オーケイ、ケヴィン。お前の推理を聞いてみようか」
 「それでは失礼して」
 ケヴィン・ビジーは畏まって、内側のポケットから手帳を取り出した。手帳の中にはビジーの手書きの筆跡が乱雑に暴れ回っていた。彼はその彼しか読めない文字を参考にしながら、事件に対する彼なりの考え方を語ってみた。話すにあたっては少し勇気が要った。彼の推理は署内でも少数派で、支持する者が少ない。
 「まずはじめに断っておきたい。これから話す私の考えは」
 「いいからいいから。さっさと初めてみな。先生」
 ビジーは頷き、続けた。
 「この事件で厄介なところは、目撃者が一人もいないということです。ですから、我々は殺害現場に残された“状況”から、事件を推測するしかありませんでした」
 「そうだろうな」
 「まず現場に残された痕跡として、血があります」
 「血」
 「ええ。残念ながら犯人のものではありません。鑑定の結果、被害者のものと判明しました。両方とも」
 ドンキホーテは再びファイルを手に取り、パラパラとページをめくった。事件現場の情報が記された項で目を留める。ビジーは続けた。
 「そこにもあるように、血は、死体のあった場所から半径7mの範囲のいたるところで発見されました。つまり、犠牲者は動ける状態にあったわけです。少なくとも半径7mは」
 「けっこう行ったり来たりしてるぜ、こいつは。逃げた跡とは思えねえな」
 「そう。彼らは動けた。しかし逃げたのではない」
 「恐らくは、抵抗した」
 ドンキホーテの口元が歪んだ。
 「ストリートファイターだもんな。無様な負け姿は晒したくないってことだろう。ハハ、よくやるもんだぜ」
 「あなたの頭はこの仕事に向いているようだ。そう、彼らは抵抗したと考えられます。これは死体の不自然な擦り傷、あるいは骨折の箇所からも裏付けが出来ます。そしてこのことこそが犯人像を推測する有力な手がかりであると私は考えてます。もっとも、この推理は仲間内では人気のない発想ですがね」
 「だから、そういうのは無しだぜ、ケヴィン。お前の意見を続けな」
 「感謝しますよ。私の命令は聞くが、意見は聞かないって若者がこの署には多くて。犠牲者のゲイリー・カジノブとジョン・マガウンはご存じのようにストリートファイターでした。どちらも街路で行われる賭け試合で生計を立てていたようです。それだけに、強かった」
 「そうらしいな」
 「特にカジノブはこの町でもダントツの強さだったって話です」
 ドンキホーテは再びページをめくった。次は死体の解剖結果の項に目を留める。
 「ははあ、なるほど」
 「死体に銃痕は無い。刃物によるものも。骨折の箇所は単純な“力”によるものばかり。例の心臓の搾取についても同じです」
 「ゲイリー・カジノブは持てる圧倒的な力をもって抵抗した。素手で。そして相手も、素手だった。素手と素手の殴り合いで犯人は勝利した?そして心臓を持って帰った。お前の推理じゃ、犯人は被害者と同じストリートファイターってことになるな」
 「そういうことになります。どうです?署で嫌われる考えだってことも分かるでしょう?」
 「ま、俺は好きだぜ。楽しい考えだからな。おっと、こいつは褒め言葉だぜ。俺はお前の考えがホントに好きだ。ホントだよ」
 ドンキホーテはそう言って笑った。
 「しかし、ケヴィン。それだけ推理してりゃ犯人の目星くらいついてるんじゃないのか?カジノブがそんなに強かったんならよ、さらにそいつより強い奴なんざ数が知れてるだろ?」
 ケヴィン・ビジーは首を振った。
 「確かにトゥーマッチタウンのストリートファイターでしたら、事件後の捜査である程度把握しています。カジノブより強いとされる人物は多く見積もっても5人から10人。あくまで町の評価ですよ?当てにはならない。しかし、私の考えでは、私の説をとるにしても、犯人はこの町の人間ではないですよ」
 「ほう。その根拠は何だい」
 ケヴィン・ビジーは手帳を閉じ、照れくさそうに頭を掻いた。
 「こいつは完全に私の私的見解なんで、分かってもらえるかどうか不安なんですが。ファイルの解剖結果のところを見ていただけますか」
 ドンキホーテはページを戻し、再びその項を見た。
 「死体に発見された負傷は、殴打によるものだけではない。火傷の痕も発見されてるんです」
 「おっと、こいつは見逃すところだったぜ。そういやそうだ」
 「そいつは直接の死因にはなってないそうですが。とにかく犯人は銃や刃物こそ使わなかったが、火を使っている」
 「火炎放射器ありという条件付きなら、この町にゲイリーに勝てる者が多すぎるって話か?」
 「いえ、私が考えたのは別のことで」
 「うん?」
 「犯人は何らかの武術を得意とするストリートファイターです。火が直接の死因になっていないことと、殴打の箇所から見てもそれは推測できます。何度も言うようにこの考えは…いや、言わないでおきます。しかし、犯人はトゥーマッチタウンのファイターではない。私はこの町に滞在して、恥ずかしい話ですが長い時間を何もせずに過ごしてきましたが、この町のストリートファイターに火を使うような卑怯者はいませんよ」
 少し間があって、ドンキホーテが笑った。
 「ハ、ハハハハハ!なるほど。信頼してんだな、ケヴィン」
 「警察としてあってはならない感情だとは思います。ですが、私個人に意見を求めるとあれば、こういう見解になります」
 ビジーははじめて紅茶に手をつけ、一気に飲み干した。ドンキホーテはにやにやしながら、入ってきたビジーの部下からファイルのコピーを受取り、そのまま背後に立つKJに手渡した。
 「参考になったぜ、ケヴィン。素晴らしい名推理を聞かせてもらった」
 ドンキホーテが立ち上がると、ビジーも慌てて立ち上がった。
 「その情報はどうするので?」
 「これから腕利きの情報屋に会って横流しさせてもらうよ。どうしても必要だっていうんでな」
 「ドースンがこの町に来ているという噂は本当でしたか」
 「ハハッ、そんなことまで調べてんのかい?その通り。こいつはジョージの弟、マイク・ドースンに手渡す。あの家系は情報を集めること、そして組み立てることに関しちゃ世界一だろうからな」
 「ミスター・クルゼイロ…」
 ドンキホーテはビジーの肩を叩いた。大きな手がビジーの左肩にのしかかった。
 「安心しな。その後ドースンから受け取るトゥーマッチタウン殺人事件ファイル“完全版”は、お前のところにも届けてやるよ。なにもお前のこれまでの仕事を無駄にしようってわけじゃねえんだ。いや」
 ドンキホーテは首を振って笑った。
 「いまの話を聞いてみて分かったぜ。お前には犯人を追う権利が大ありだ。是非ともトゥーマッチタウンファイターの仇を討ってもらいたいもんだ」
 ドンキホーテとKJはそのまま入り口へと向かっていった。KJの手にはビジーから受け取ったファイルが大事そうに抱えられている。ドンキホーテは笑って言った。
 「聞いたろう、KJ。犯人はトゥーマッチタウンゴーストで間違いない」
 「え、あんたちゃんと話聞いてた?」
 「聞いてたぜ。突拍子もねえが、面白い推理だった。やっぱり世の中は楽しさ、こいつに限るな。かっこよく言うと、こいつが真理みたいなもんさ」
 「その真理によれば、犯人はストリートファイターって話だったじゃないか。あの人の話からは一言もゴーストなんて言葉はでてこなかったよ」
 「ただのストリートファイターとも言ってなかったぜ。トップファイターに素手で勝ち、火を吐いてくるようなファイターさ。狼男は人間の何倍もの身体能力を持ってるそうだし、それにニュージャージーで目撃されたジャージーデビルは」
 「分かった分かった。あんたが正しいよ」
 KJは不服そうに警察署の前に止められた車の助手席に乗り込んだ。フロントガラスから眺める景色は寂しかった。道がずっと遠くへ続いている。先が見えない。まるでこの事件を象徴しているようだった。ドンキホーテが乗り込み、キーを差し込んでエンジンを唸らせている時に、向こうから一人の男が歩いてきた。巨体だった。ゆったりした足取りで大きな体を揺らしながらこちらへ歩いてくる。しかしドンキホーテたちに関心を持っているという様子ではなかった。目的はこちらの方向の別にあるらしい。
 見たことのある顔だった。KJはすぐには思い出せなかったが、ドンキホーテがアクセルに足を置く頃になって、ようやく思い出した。
 ああ、あの人か。
 隣に座る相棒は気づいていない。車は動き出した。

 
 緊張した。
 まさかラスヴェガスの帝王に、自分の推理を説明するはめになるとは。
 ケヴィン・ビジーの刑事人生以来はじまって以来の緊張だった。紅茶の存在など、話し終えるまで一つも気づかなかった。意識は目の前の男、クルゼイロとその付き人に集中していた。周りが見えなくなるほど。彼は自分の椅子にどっかり座り、汗を拭った。季節は冬だというのに、この汗だ。
 しかし、クルゼイロはとんでもない男だった。
 座っているだけでも存在感が強烈だった。座る、という行為が既に英雄行為だった。周囲を呑みこんでしまう魅力。底の知れない人間性。そしてあの笑い。男も惚れる、というのはああいう男を言うのだ。自分があの男に情報を渡したということは必然的なことに思えてきた。
 「貴重な体験だったな」
 ビジーはタバコに火を点けて、再びパソコンと向かい合った。
 ちょうどその時、再び部下の警官が駆け込んできた。
 「警部!あなたに会いたいという方が起こしに…」
 「なにっ?クルゼイロさんならすぐにお通ししろ」
 「いや、あの人ではなく…あっ、こら」
 部下を押しのけて、一人の巨大な男が入ってきた。肥満ともとれる重量感を体内に宿し、その男が動くたびに部屋が揺れそうだった。
 ケヴィン・ビジーはその男を知っていた。ずっと前から知っている。元々、親しくもあった。ただ彼がこの町に着任した直後に一回会ったきりで、それからもう何年も会っていない。近くに住んでいたのに。
 「ジョセフじゃないか」
 男は先ほどまでドンキホーテが座っていた席にどっかりと腰を下ろした。
 「叔父貴、話がある」
 ジョセフ・“ブルドッグ”・ビジーは真剣な顔つきで言った。

 


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