弓侍と狐

壱の巻


東風吹かば 我もまた東
西風吹かば 我もまた西
輪の風吹かば 我もまた・・・・



「●●!おい!」
「おう、どうした。息をせききって。」
「貴様・・・はあ・・・何故、いわなかった?」
「なにをだ?」
「とぼけるな!貴様、女がおるのだろうが!もはや宮廷中の噂だぞ!」
「な・・・いつ漏れた!?」
「なに!本当だったのか・・・・み、三日前だ!」
「三日前・・なにい!く、くそ!誰だ覗いていたのは!
 ・・・・そ、それでお前は何をしに来た。」
「いやあ、漁夫の利を得ようと。」
「△△!」
「じょ、冗談だ。冗談!しっかし、急だったな。」
「・・・いや、そうでもないのさ。もう数ヶ月は続いてる。」
「そ、そうだったのか!それで、名は?そいつの名はなんと申す?」
「ああ、た・・・・・・・


まぶたを、静かに開けた。
変わらぬ天井、変わらぬ朝。小雨が降っている。五月だから五月雨か。
た?た、ってなんだ。というより、なんだ今の夢は!
妙に現実のようでそうでなく・・異国の夢だろうか。
・・・・・・・いや、いや、いや、いや。
しっかりしろ与一。私は与一。今は保元の乱の翌年。
ここは都からやや離れた郊外であり、今日はこれから、
中将殿の屋敷へ赴く。
私は与一。武士。ここは京の都の端。
けれども、た、とは何の名前であろうか。
与一は無性に気になった。気になって仕方がない。
た、た、たぬき。いや、それはない。
た、た、丹頂。これもない、人だ、人なんだ。
「ああ、もうやめだやめだ!」
頭が痛くなってきた。つくづく自分の教育のなさに与一は落胆した。
これでは、貴族連中のいい笑いの種だ。
「旦那様、旦那様。おきましたか。」
「あ・・・ああ、今、起きた。」
一人仕えてくれている足日の声で、与一は我に返ったように
身支度を始めた。
いつもの修練もやっている暇がない。少し寝過ごした。
着物をはおり、脇差をつけて、背中には弓をつがえて、さあ、準備万端。
出かける、前に・・・朝食。これが無くてはやってられぬ。
朝食を食べ終え、ようやく出発の、前にまたもう一つ。
「足日、た、から始まる名前を思い当たらないか。」
「た、ですか。た・・・・たぬき!」
「行ってくる。」
ようやく、小雨の降る道に与一は出てきた。

時は平安。源氏と平氏の情勢がきなくさくなってきた頃。
ここ、京の都では、貴族連中だけでなく、去年の保元の乱で、
活躍を収めた武士もはばをきかせていた。
が、この与一という男は、立派な弓の名手でありながら、
貧乏武士にとどまり、女を一人も囲うことなく、
じつに、現代風に言えばストイックな生活を送っている。
そして貧乏な彼のもっぱらの仕事といえば、年老いた中将の、
依頼をこなして金を稼ぐ事であった。
今日も今日とて天気は悪いが、彼は黙々と仕事をこなす。
本来、武士の仕事は貴族の身辺警護なのだが、
藤原道長と仲の悪い彼は、適当な仕事にありつけず、
もはや力も無い貴族諸賢の仕事をこなすしか、おまんまを食う術が
なかったのである。
「そういえば足日も【たるひ】だから、た、だな。
 いや、でもあいつの場合意味が違うし、もっと違う名前に感じる。」
道中すらもそうぶつぶつと呟きながら、与一は老中将の屋敷へと
向かった。
「ようきた。」
最近彼はこの屋敷に入るのはほとんど顔パスである。
それほどまでに信頼されているのか、それとも門番が慣れたのか。
「まあ、座れ。酒はどうした?」
中将のしわがれ声に、与一はとっくりを置く音で答えた。
「越の花。です。」
「十二分!じゃの。いただいておく。さて、と、今日の仕事じゃが。」
「はあ。」
少々かしこまって与一は耳を傾けた。
「陰陽師を見つけてほしい。」
「はあ?」
「いやさ、鳥羽上皇の様子がどうも妙でナ。
 老婆心から忠告したのじゃが耳を傾けようともせぬ。
 だからのう、なにやら憑き物でも。」
「憑いているのか、と?」
中将は頷いた。
与一はこういう話にめっぽう疎い男である。
だから、本当は興味が無いのだが、明日のおまんまの為だ。
「承知いたしました。」
と、答える以外に無い。


北風吹かば 我もまた北
南風吹かば 我もまた南
さだめが吹かば 我もまた・・


 


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