REPTILE2
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| 「快適な空の旅だったな」 グレイヴィ・マリンヴィルはガイア共和国の地を踏み、言った。 視界にはニューヘブンズヒル空港内の光景が広がっている。少し見ただけで本国アメリカと変わりのない充実した設備が見てとれた。 「なにより機内サービスが良かった。女房と来たかったが、まあ仕方あるまい」 そう言い、隣の長身の男の肩を抱く。 「フレディ・レプタイル。さっさと終わらせちまおう」 コートにサングラス、髪の色から靴の色まで全て黒に統一された男はマリンヴィルの顔には一瞥もくれず、出口に向かって動き出した。蛇が地を這うような不気味さが、この男の歩行法にはある。彼の進行方向に立っていたものは誰一人として例外なく、彼に道を譲るのだった。どんな人間でもこの「レプタイル」に抱く感情は共通している。それは恐怖と、冷たさである。 彼の背中を見て、マリンヴィルはため息をついた。 これから自分の為すべき仕事はあまりにはっきりとして、あまりに大きな仕事だった。 「分からんか、グレイヴィ」 一週間前、マリンヴィルはCIA作戦本部長トロイ・フォルガーを前にして、ただ相手をにらみ据えたまま動かなかった。フォルガーはマリンヴィルの固まった表情に嘆息を漏らしながらも説得を続ける。 「お前にだって本当は分かっているはずだ。この一件は合衆国の未来を左右する」 2時間前も同じセリフを吐いていた。 しかしマリンヴィルは応じず、ただ無言を通しているのだった。 フォルガーの目の前に記録ごとに整理された資料が並べられている。政治、経済、文化、あるいは軍事といった様々な局面から調べられたそれらの資料は一つの「国家」の名を示していた。 ―――『ガイア共和国』。 太平洋に浮かぶ小さなその島国に、トロイ・フォルガーを含め政府高官たちは並々ならぬ脅威を抱いていた。数年前、ゴライアス・ゴードンが大統領としてトップに君臨して以来、彼の国は急進的な成長を遂げている。かつては取るに足らぬ島国として揶揄されたこの国の技術革新はヨーロッパの平均レベルをとうに超え、こと経済力においてはアメリカ、日本と肩を並べるほどまでに爆発的に伸び上がっている。 「怪物国家」と、一部の合衆国議員は陰口を囁いた。 事実、これほどまでの国家の成長は長い歴史を振り返っても見あたらない。あたかも神に見守られているがごとき発展速度であった。 「トロイ…」 マリンヴィルが口を開いた。しわがれた声がフォルガーの耳殻に不愉快に響いた。 「ゴードンの悪い噂は、私だって知っている」 ガイア共和国には「神に守られている」との見解の他に「悪魔に魂を売っている」という見解も合衆国の裏の社会で存在する。とくにマリンヴィルの所属するCIAでは、ガイア共和国の発展を発展途上国からの搾取活動との関連づけ、ここ数年の間、諜報活動を中心に精力的に調査を行っていた。諜報活動の甲斐もあり、決定的な証拠は掴めないまでも、CIAではガイア共和国に対し、表沙汰になることのない悪行の上に現在のあの発展の姿がある、との見方が強まってきている。 「だが、かといって、その作戦は国際情勢に…」 「そうも言ってられんのだよ、グレイヴィ」 フォルガーは一枚の報告書を取り出し、マリンヴィルに提示した。 「先日、日本でガイア共和国機ハイジャック事件があった」 マリンヴィルも知っている。それどころか事後調査に関わっている。ラバンダという小国のテロ組織がゴードン大統領と民間人を人質に取り、マスコミに対して声明を要求した事件だ。要求が呑まれることはなく、結局、事件はテロ組織内での仲間割れ、ICPOの活躍などによって呆気ない幕切れを見た。 「これが何だというのだ」 ゴードンに恨みを抱くテロ組織の存在はたしかに気にかかることではあったが、どの国にも少なからずそういった異分子は存在する。現に、母国アメリカ大統領の暗殺を企んでいる疑いのあるテロ組織のいくつかをCIAは把握している。 マリンヴィルは報告書に記された一文に目をとめ、フォルガーに目をやった。フォルガーは落ち着いた口調でいう。 「テロ組織の一人、マッジオは事件前日に、あるアメリカ人男性に会っていた」 フォルガーの言葉に耳を傾けながら、マリンヴィルは資料に目を通す。 「男の名はジョージ・ドースン。お前もよく知る、情報の運び屋だ」 フォルガーは続けた。 「マッジオは自分の死を予期していたのか?そんなことはここでは問題ではない。問題なのは、マッジオがドースンに託した情報だ」 マリンヴィルは読み終え、フォルガーの目を見た。 「単体では不完全な内容ではあったが、我々の進めてきた作戦結果と照らし合わせてみることで、一つの像が浮かび上がってきた。…グレイヴィ」 フォルガーは嘆息し、低い口調で言った。 「ゴライアス・ゴードンは怪物だ。ガイア共和国は怪物の国だ」 マリンヴィルはまだ沈黙していた。まだ降参するわけにはいかなかった。あの秋の出来事をマリンヴィルは忘れたことがなかった。あの日、マリンヴィルの人生が大きく転回した。歴史とともに。 「トロイよ。我々はまた過ちを繰り返そうとしているのか?」 「ここでキューバ危機について講義するつもりはない、グレイヴィ。我々は常に正当な判断を下してきた」 マリンヴィルは硬直したまま、フォルガーに背を向けた。退室しようとしたさいに、フォルガーがずっしりとした威厳ある声で言う。 「これは“歴史”だ。ゴライアス・ゴードンを暗殺する。レプタイルを連れてこい」 |
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