REPTILE2


 「さて、と」
 グレイヴィ・マリンヴィルは重たい荷物をベッドに下ろし、一息ついた。レプタイルもまた部屋に入り、足音を立てない例の不気味な歩みで部屋の内装を見渡している。彼らはいま、ガイア共和国首都ヘブンズ・ヒルの一角にあるホテルにいた。彼らはこのホテルの一室を大統領暗殺の任務の本拠地として定めた。
 ベッドに腰掛けて、マリンヴィルは米国から持ち運んだ葉巻を吹かして窓から外を見下ろした。そこは18階であったから、都市の様子がほぼ一望できた。
 異様な眺めだった。果たしてこれが本当に数年前の小国の風景だろうか。マリンヴィルの足下に広がるそれは故郷ニューヨークとさほど遜色のないものであった。街道は外国車が走り回り、整然と区画されたブロックごとに天高く聳えるビジネスビルが林のように乱立している。
 トロイはガイア共和国の急激な文明化を危惧していた。
 一小国の怪物的発展が世界に及ぼす影響は、とりわけアメリカ合衆国にとっては深刻そのものであった。経済力、軍事面で最盛を誇ってきたアメリカに肩を並べる国の存在があっては、20世紀以降握り続けてきたアメリカ覇権の崩壊が危うい。国際協調の時代にあっても、どうしても手放せぬこの強さだけは他国に追随を許してはならなかった。300年の歴史の中で最悪のシナリオが起こりうることを米政府関係者の脳裏を少なからず過ぎっている。
 その不安の種こそ、ゴードンである、とトロイは続けた。
 彼を暗殺しろ、とも。
 「レプタイル」
 マリンヴィルは共に入国を果たした相棒の名を呼んだ。
 「できそうか」
 そう言って、街の北の方角を見つめた。その方角には一際高くゴライアス・ガーデンが立っていた。三つの塔に分散されたその様相は、津波や嵐を思いのままに操ったとされるポセイドンの三又槍を思わせた。しかし、あの槍をいま扱えるのはもう海神ポセイドンではない。覇権者ゴライアス・ゴードンなのだ。
 レプタイルは窓に近づいて、その塔を眺める。
 「愚問だ」
 彼はそれだけ言うと、塔への関心は一気に冷めたらしく、ドアのほうへ歩いていった。
 「どこへ行く」
 マリンヴィルが慌てて訪ねるが、レプタイルは「まだだ」と言うだけでそのまま外へ出ていってしまった。風が吹いて過ぎ去ったようだった。マリンヴィルは背筋が冷たくなる思いがした。レプタイルに依頼するようになってもう随分経つが、彼の側にいて感じる「冷たさ」の感覚だけはぬぐい去ることはできなかった。


 フレディ・レプタイル・クラップはヘブンズヒルの町中を黒いコート、黒いサングラス、黒い靴といった出で立ちで堂々と歩いていた。堂々と、とは言うもののその存在はまるで影のようにはっきりせず、道の真ん中を歩いているというのに不思議と目立つことはなかった。なにかぼんやりとした黒い霧が動いているようだった。時折、霧の目の前に立ってしまった一般人がその冷たい眼差しを受けて即座に道を譲る光景が見られた。レプタイルは恐怖の塊のごとき存在感をもって、しかし目立つことなくヘブンズヒルを闊歩していた。

 この爬虫類の輩にはまるで似合わない、美しい風景が首都全域に広がっている。都会にありがちな殺伐とした灰色のイメージは少しも感じさせず、随所に優しい自然の景観が設置されたその都市設計には世界の主要都市が見習うべきものがあった。国民たちも活気に溢れている。ここは国の政治経済の中心地であるだけに、スーツを着た者達がほとんどだったが、誰一人例外なく光の籠もった瞳で仕事に精を出している。
 「この国は、悪だ」
 とはマリンヴィルの言葉だ。一体どんな証拠があって「悪」と断ずるかまでは訊かなかったが、「悪」と名がついているだけでレプタイルの動機はそれで足りた。暴によって暴を制すのがレプタイルの「償い」であり、それ以外の要素は何の意味も持たない。レプタイルはこの平和な町並みを見てもそれを疑わなかった。それどころか、この繁栄の影に潜んで嘲笑する言いようのない「悪」に対して、憤りを感じるのだった。

 ふと、レプタイルは足を止めた。
 なにかが、おかしい。
 彼の周囲から繁栄と栄光の匂いが消えた。消えた、というよりも何か別の異臭が芳香を覆い隠すようにして立ち込めたようだった。黒く陰鬱な臭いだった。レプタイル自身のそれよりも遙かに重厚な影がいま彼がいる場所に向かって伸びてきている。
 レプタイルは振り返り、見た。
 黒い高級車が歩道に止めて、中から人が出てくるのを。それは老人であった。遠くでよく見えなかったが、只ならぬ存在感を醸し出している。消そうと思っても消すことができない異様な存在感―――染みついた殺気。
 一目で、この老人が同じ世界に住んでいることが見受けられた。老人は一歩一歩とレプタイルに向かって近づいてくる。次第に顔が確認できる距離になり、レプタイルはマリンヴィルに見せられた資料を思い出した。大統領のものとともに見せられた顔写真――ゴードンの忠実なる側近――名をたしか、キルマー・バレンタインといった。


 


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