REPTILE2
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| キルマーは一歩、また一歩と歩を進める。彼がレプタイルを目指して歩いていることは明らかだった。左目の片眼鏡が数メートル先の爬虫類の顔を見据えている。表情は、温和であった。大統領補佐として政務に携わり、国民の信頼を長期にわたり維持してきた者がもつそれであった。だが、レプタイルには分かっている。写真だけでは確認できなかったが、実際対峙してみてはっきりと伝わる、殺気。隠してはいるが完全には隠しきれていない異様な空気がレプタイルの全身を突いている。 「観光ですかな」 やがてレプタイルと会話ができるまでの距離に達し、キルマーは口を開いた。お伽話にも出てきそうな人の良さそうな翁の声であった。レプタイルは答えなかった。ただその正体不明の老人を見下ろしている。 「それともビジネスで」 反応のないレプタイルに、キルマーはつづけた。 レプタイルは、迷った。裏の世界に身をおいてきた経験が、彼に目の前の老人の背後に影があることを教えている。確証はないが、確証のないことが同時にまた確信でもあった。 「ビジネスだ」 嘘は言わなかった。その内容がなんであれ、仕事であることに変わりはない。レプタイルは、まず様子を見た。この男が果たして自分の正体を知っているのかどうか。またあるいは、自分がこの男を疑っていることに気づいているかどうか。 「なるほど、なるほど」 老人は顎髭を撫でながら感心する。 「私は官公庁で働いているのですが」 キルマーは言う。 「やはり外国の方が当ガイアで仕事してくださることは有り難いことでございますよ。それだけこの国が注目されてるということでしょう?」 「…そうだな」 レプタイルはサングラスの裏から、キルマーの表情を探った。どこかに妙なところはないか。必要とあらば、ここで――。 「ところで」 キルマーが言葉を連ねる。遠くで車のドアが開く音がした。 「差し支えなければ、仕事の内容を教えていただきたく…」 老人の言葉がレプタイルの心臓を抉った。 ―――知っている、この男は知っている。 「すまないが、急いでいる」 レプタイルは落ち着いていた。低い声で呟き、その場を立ち去ろうとする。しかし、キルマーは声のみでレプタイルを捉えて離さなかった。鋭い刃物のような響きで、言う。 「お連れの方はたいそうなご身分のお方ですな」 一瞬の沈黙。 「C.I.A」 黒い風が吹いた。 いま離れようとしていたレプタイルが、振り返り、一瞬のうちに間を詰める。顔と顔が触れ合うほどの位置。両者はお互いの目を覗き込んだ状態でヘブンズヒルの街に対峙している。 「やりませんよ」 キルマーが呟いた。 「やりません。私はいま大統領補佐官としてこの街に立っています。ここで不祥事は起こしたくありません」 レプタイルは蛇のような目でジッとキルマーを見下ろしている。 「お前がやらなくても」 ジッ、と爪先がわずかに動いた。 「俺が動けば、やらざるをえないだろう」 キルマーは表情一つ変えなかった。 「やりません。私はやりませんし、そもそもあなただって動きませんよ」 キルマーは首だけを動かし、周りを見た。数人の市民たちが何事かと訝しげな表情で集まってきている。キルマーは彼らに対して笑顔で応えた。そしてレプタイルへ視線を戻す。 「ごらんなさい。罪穢れのない明るい世界に住む方々が周りにたくさんいらっしゃる。ここでやれば、この内の何人かが死ぬことになります」 キルマーはさらりと言った。 「国民を人質にとるのか」 「あなたがやれば、の話です」 「俺はあいつらの事など気にかけない男かもしれない」 「いいえ、気にかけます。あなたには罪のない人々を犠牲にして戦えない」 「貴様、何を知る」 「こういう状況で恋人を失ったのでしょう?『レプタイル』様」 レプタイルは一歩退いた。 この男は知っている――知っているだけではない。 どこまで知っている―? マリンヴィルにすら話していない過去を、この男はなぜ知っている――? キルマーはレプタイルから離れた位置で笑っていた。しばらく動揺しているレプタイルの反応を楽しんでいるようだった。その表情は国民の信頼を得る補佐官のものに戻っている。温和な表情。国の繁栄を望むといいながら、裏でなにをやっているか分からない、政治家の顔。 「貴様――」 「キルマー様!」 レプタイルが再び近づこうとしたとき、車のほうからスーツ姿の男性がキルマーに駆け寄った。そして携帯を片手に老人に何事か呟く。キルマーは一頻り頷くと、レプタイルに目を戻した。 「残念ですが、お客様が参られたようです。ここで失礼させていただきます」 そう言い、踵を返して車の方へ引き返した。 「待て」 レプタイルの声にも、耳を傾けない。 キルマーは車に乗り、やがてゴライアス・ガーデンの方角へ消えた。 |
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