REPTILE2

11


 ゴードンの歩みは、雄大だった。
 彼が歩く。ただその行為だけで、部屋内に芸術の香りが立ち込めた。
 一国の指導者に相応しい(だが現在、世界の指導者にこの香りを持つものが世に何人いよう?)威厳ある雰囲気をゴードンは持っていた。
 その歩みには、わずかな恐れも感じられない。
 相手に臆している気配は微塵もなく、ただ目標物に向かって歩くという風であった。真っ直ぐに、真っ直ぐに、ゴードンはテッドを目指している。

 AJは、恐れていた。
 ボス・テッドのパートナーとして、裏社会の地に立ってからもう長い年月が経っている。機関銃が掃射されたときも、彼はテッドの前に立っていた。空から狙撃されたときも、彼はテッドを庇った。常人ならば、立っていることすらままならない、もう一つの世界を生きてきたのだった。幾たびも命の危険に瀕したことがあったが、しかし持ち前のしぶとさで、彼は生き抜いてきたのだった。そして、自らの使命。

 為すべきことは分かっている。
 常に主人の側に立ち、その身体を守ること。命に代えても守ること。

 彼にとって、その使命だけが行動指針だった。危うい時でも、その使命が彼を平静に保ち、意志を修正する。ナイフも、銃も、爆弾も、彼には関係なかった。主人に危害を加えんとする者を排除することだけが、彼の目的だった。
 意志を持たぬマシーンのようだ、という見方もあろう。事実、彼は自分をそう思うときもあった。だが、彼はそれ以上にテッドに守ることに喜びを感じている。この喜びを教えてくれたのは他ならぬテッド・バダルコであった。


 「AJ」
 AJの背後でテッドの声がした。震えていて頼りない声だった。
 「退きたければ退いて良い」
 そう言って、腰を抜かした状態でAJを見上げている。
 「おれにも分かる。分かるんだ」
 「ご安心を」

 ゴードンがまた一歩、足を伸ばした。AJの領域に踏み込んだ。
 
 AJの肩から先が消えた。それほどに迅(はや)い拳撃だった。
 半月の角度でAJの拳がゴードンの顎に突き刺さる。この攻撃で一瞬、ゴードンが揺らいだ。体の末端への攻撃は相手のバランスを崩す効果がおおいに期待できる。とくに顎への攻撃は戦意を一瞬で喪失させる場合も多い。しかし、相手はゴードンであった。すぐに体勢を戻し、再びAJの前に立つ。
 気のせいか、AJはゴードンを見上げる思いがした。身長ではこちらに分があるにも関わらず、である。

 AJは、ゴードンの首に飛びかかった。巨大な手でゴードンの首を握りしめる。一端のレスラーの首ならば絞め殺すことのできる握力を、AJは持っていた。渾身の力を込めてゴードンの太い首を締め上げる。
 ゴードンの表情は変わらない。例の冷たい目でAJを“見下ろしている”。たしかに見下ろしている。AJは大木を両腕で抱えている感覚を覚えた。絞殺は不可能だった。

 部屋が揺れる。

 AJのロックを振り切って、腕を伸ばしてAJの顔に叩きつけたのだった。プロレスで言うところのラリアットの形になり、ゴードンの攻撃にAJの体が宙を舞って吹き飛んだ。
 「おおっ!」
 だが、AJもまだ終われなかった。受け身をとって着地し、直ちにゴードンとテッドの距離をカバーする。顔、手、足に至るまで全身のいたるところから夥しい出血が流れている。肩で息をし、湯気が全身から立ち上っているようであった。顔色は、心なしか青い。

 「AJ…」
 「…お守りします」
 「もうよい」
 テッドが前に出ようとした、が、それをAJが制する。
 「お下がりください」
 そう言い、テッドを自分の背後にやると、AJは大きく両手を広げた。翼を広げた鷲のように、巨大な壁がゴードンの目の前に立ちはだかった。「守る」意志の体現が、そこにあった。

 「そこまでして」
 ゴードンは歩みを止めない。誰も止めることはできない。
 「守るほどの男か」
 AJは唇を結んだまま、ジッとゴードンの歩みを見ている。
 
 「よせ」
 テッドは哀願するように言った。
 ゴードンは、止まらない。
 「もういい。話す」
 ゴードンが拳を振りかぶった。

 AJは再び吹き飛んだ。


 


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