REPTILE2
12
| ―――夜。 老人は来客者用の待合室で懐中時計の針を眺めていた。月のない夜に、針は音をたてて次々に環状に並んだ数字を指していく。遅れることも速くなることもなく常に同じ間隔で時を刻んでいた。 背後のドアが開き、中から主人の巨大な姿が現れた。 傷もなく、息すら切らしていないその様子にキルマー・バレンタインはかつての自分の選択に悔いがなかったことを思うのだった。自分の仕える主人は間違いなく「登りつめる」。この方を止められるものなどいないのだ。 とはいえ、キルマーには今回の件が些か疑問ではあった。 本来、冷静沈着であまり活動的な行動を好まない(そういった仕事は専らキルマーやその直属の部下に任せていた)ゴードンが、自ら進み出て「闘争」の場に乗り出した。これは彼が従事して以来、きわめて珍しい例であった。 「……売人は」 キルマーはゴードンの前に立って、尋ねた。 「ジョージ・ドースンだ」 ゴードンは低い声で呟く。 「この男を徹底して調べ上げろ」 「御意に」 「…待て」 キルマーは立ち去ろうとしたが、それをゴードンが引き留めた。 「あの男はどうした」 あの男―――。 今日の昼下がりにキルマーが出会ったあの“奇妙な生き物”のこと。 キルマーは老人独特の嗄れた笑みを浮かべながら、呟いた。 「やはり、『レプタイル』でございました」 「ほう」 「目的は恐らく、閣下の“始末”かと」 「…だろうな」 ゴードンは表情を変えなかった、が、瞳の奥に若干の変化をキルマーは見てとった。不安か、激昂か、分からない。あるいは二つのどちらでもないのかもしれない。いや、そのほうが確率は高いだろう。もっと別の何かをこの恐るべき主人が秘めているに違いない。キルマーは、笑った。 「焦っておられますか」 もちろん、キルマーは主人に限ってそんなことはないと思っている。『焦り』などといった負の感情がこの男にあろうはずがない。 「違うな」 ゴードンは言った。キルマーの予想通りだった。 「ですが、アメリカのチンピラごとき閣下自らが手にかけるなど、何かを不安に思っているとしか思えません」 これも、キルマーは思っていない。 「……『完全さ』だ。キルマー」 ゴードンは呟いた。なるほど、とキルマーは感心する。主人は『完全さ』を求めているというわけだ。登りつめることとは、全てを克服し、あらゆる敗北の可能性を埋め尽くすこと他ならない。だからこそ、ゴードンは欲している。『完全』を。蟻の一穴さえも許さない『完全さ』をゴードンは求めている。 だからこそ、ゴードン自ら動いた。 キルマーには多大な信頼をおいて補佐官を任じている。だがそれ以上に彼は自分の力を信頼している。「神から授けられた力」とゴードンは自らの戦闘技術において語ったことがある。ゴードンは神に選ばれし者だという、自負があった。 「……レプタイルにつきましては」 老人が言った。 「ガーデン内の警備を強化することに」 「お前が始末(や)れ」 ゴードンはそれだけ言うと、自室へ向かって歩き出した。 「お前にも『完全さ』を求めているのだ、キルマー」 キルマーは片膝をつき、主君を称える。彼もまた、その彼の体の一部であることを改めて思い知らされた。 『私の片腕となれ』 かつてゴードンはそう言ったのだった。 「御意に」 レプタイルの始末、老体であることを差し引いても易しい仕事とはいえない。だがキルマーは思う。この男の片腕として働けるのならば、と。 ゴライアス・ガーデンに、神に選ばれし者の歩みが聞こえる。足音は交響曲のように優雅にその権力の庭に響き渡った。 |
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