REPTILE2

16


 キルマーが消えた。

 先ほどまで目の前にいたはずの姿が無くなっている。
 目を離したのは、鎖分銅を蹴りの勢いで解いた僅かな時間であった。
 実質、目を離していないといっていいほどに短い時間。
 その間に、キルマーが消えている。
 レプタイルは警戒した。老人が行方を眩ますのとはわけが違う。
 『殺し屋』の姿を見失ったのだ。
 
 「ほれっ」
 背後。
 鋭利な刃がレプタイルの首を掻っ切るように瞬いた。
 レプタイルは寸でのところで気配を察し、前に転がり込むようにしてこれを避けた。

 「いい反応だ」
 キルマーの両袖から尖ったナイフが突き出ている。
 レプタイルは体勢を取り戻すと、相手を見据えて次の行動を窺った。
 老人が動く。目の前で、老人の姿がゆらりと揺れる。
 「次は…どうでしょう…」
 しわがれた声で言う。
 
 音もなく、再び消えた。

 レプタイルの視界からレプタイルがまたしても消えた。
 今度こそは目を離していないはずである。
 しかし、彼の目の前からキルマーの姿が跡形も無く消えたのだった。

 突然、レプタイルの足元から影が伸びた。
 老人がいる。
 老人がレプタイルの足元に潜み、袖の隠しナイフを突き上げた。
 狙いは頚動脈。
 真っ直ぐに、真上に、緻密に計算された図のように、確実にそれは出血が致命傷となる頚動脈を狙っている。
 レプタイルはまたしても間一髪のところで避けた。
 しかし、まだ体勢が戻っていない。後ろに飛退きながらも足どりが覚束無いでいる。
 ここぞとばかりにキルマーが跳びかかった。
 袖の隠しナイフをさらに伸ばすと、両手を使って拳撃を繰り出す。
 上下左右から放たれる拳はナイフを帯びて剣撃となってレプタイルを襲った。
 
 老体とは思えぬ動きだった。
 俊敏性は一流のアスリートを遥かに超え、狙いは完璧なほどに的確である。
 老いは、重ねていくにつれて肉体の価値を奪い、最後には全てを奪っていくという。
 武術家にとって絶対であるその運命は、このキルマーにいたっては意味を成さないように思われた。
 いま爬虫類を追うキルマーの動きは全盛期の『KILL−MAN』のそれであった。
 衰えて、いない。

 「はあァッ!」
 一段と高い声をあげて、キルマーは低く跳んだ。
 レプタイルの足元に瞬時に移動し、ナイフを戻し、両手を地面につく。
 両肘をバネにして、老人の体が逆さの状態で跳び上がった。
 二本の足は揃えられたまま、レプタイルの喉をターゲットにしている。

 レプタイルは、構えた。
 ここで迎撃することを決めた。
 左右の腕から繰り出される拳撃は読むことは難しいが、すでに方向が決まった飛び蹴りは打ち落とすことができる。
 膝を徐に曲げる。

 「はィやッ!」
 目を疑うほどに恐ろしい出来事が起こった。
 迎撃体勢に身を転じていたレプタイルが思わず退いた。
 キルマーの両足の爪先からナイフがせり出たのだった。
 判断が遅れ、鋭い刃がレプタイルの頬を切刻んだ。

 キルマーは、全身に隠し武器を仕込んでいた。
 手、足だけでなく、至る所にそれは潜んでいる。
 あらゆる状態に対処できるような装備を、この老人はしていた。
 護身、とは名ばかりの殺傷人体であった。
 
 後退したレプタイルの右頬から、血が一筋流れている。
 久しく感じたことのなかった、生暖かい感覚。
 もしあのままカウンターを狙っていたら、喉を貫かれていたかもしれなかった。
 彼にとって、今回の仕事は稀に見る難易度の高い仕事だった。
 
 「始末屋でも相手にしているとお思いかな」
 キルマーは着地し、追わなかった。
 「貴方たちは素手での仕事を誇りとでも思っているようですが」
 爪先のナイフがスッと靴の中へ戻っていく。
 「私に言わせれば、甘い甘い」
 老人は懐から黒漆の手裏剣を取り出した。
 「殺す技術に、プライドなど不要。大切なのは如何に確実に仕留められるか、でございます」
 手裏剣はキルマーの掌で一枚から五枚になって、レプタイルに向けられた。
 「お気をつけくださいますよう」


 


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