REPTILE2

20


 低い姿勢で、爬虫類が走る。
 ゴードンは動かなかった。それどころか相手のことすら見ていない。
 真っ直ぐに近づき、寸でのところでサイドステップを踏む。
 直線的な攻撃はできない。
 ゴードンの力のほどを知れば、できるはずがなかった。
 相手の脇に立ち、跳び上がり、踵を振り上げた。
 “殺人”を想定しての容赦のない蹴りだった。
 だが、ゴードンはまたしても片手でそれを払った。
 鉄の槍を突き刺すのと大差のない攻撃のはずである。
 ゴードンがおもむろに手を伸ばした。
 巨大な、手の平が、レプタイルの顔面を捉える。
 キルマーの時と同様、見えているのにかわせなかった。
 破壊的な握力がレプタイルの頭蓋を捉えて離さずに、持ち上げていく。
 ちょうどレプタイルは吊されたような格好となって、投げ捨てられた。
 壁に強かに背を打ちつける。

 強い。
 遙かに強い。
 
 「話の続きだ」
 ゴードンが言った。
 「私が悪だとして、お前は一体何なのだ。レプタイル」
 立ち上がり、レプタイルは再び構えた。
 一歩一歩と近づいてくるゴードンに穏やかとは言えない威圧感を感じていた。
 レプタイルは、応える。
 「俺は、矛盾だ」

 亡き恋人への償いのために、悪しきものの存在を消していくと決意しながら、自分が行っていることは悪そのものだった。暴力で以て暴力を制する道。そのためならば殺人すらやってのける。レプタイルは気づいている。償いをすればするほどに自分が堕ちていくことを。

 ゴードンは歩み続ける。止まらない。
 「なるほど、正しい」
 優雅に、威厳に満ちた歩み。
 「だが、それはお前だけではない。思うに、信念を持つものは全て矛盾だ。貧しい者を救うといって、食うのをやめない。弱い者を助けるといって、保身は忘れない。高い理想を掲げながら、低い次元のことで行きつ戻りつしている」
 ゴードンが手を伸ばした。
 「私は、理想しか見ない」
 
 “ただ登りつめること”

 「それだけでいい。力のためには犠牲を厭わない。……それを君たちは悪というのか」
 至近距離になった。
 「…まあいい。だとしても、私は悪で構わない」
 手を伸ばす。ゆっくりと。ゆっくりと。
 「私は階段を昇るだけだ」

 レプタイルの体が吹き飛んだ。
 ゴードンの力が始末屋の力を単純に上回った。
 圧倒的な、力。
 始末屋として研鑽を積み重ねてきた技術、経験をたった一押しで吹き飛ばす、力。
 神に愛されているとしか思えないゴードンの力は、レプタイルの力を遙かに凌駕していた。
 ゴードンが歩む。

 その時、三人を闇が包んだ。
 創世記以前の時代へ流れ着いたかのように、ゴライアス・ガーデンから光が消失した。
 「……マリンヴィルか」
 キルマーは呟き、暗闇の中で目を凝らした。
 闇の中で、深い闇が動いている。
 「むん!」
 袖から小型のナイフが放たれた。
 直線の先にカッと硬い音がし、闇はさらに暗闇を徘徊した。
 外れた。
 「閣下!」
 キルマーの脇を、影が通り過ぎる。
 影は、明らかにゴードンを目指していた。
 見えない。
 まだ目が闇に慣れていない。
 ゴードンのいた位置で耳で確認できるほどの激しい衝撃音が鳴った。
 「閣下!」
 キルマーが叫ぶ。
 つづいて、ガラスの割れる音。
 暗闇の中で、何が起こっているのか。

 そして、光が戻った。

 キルマーの離れた位置で、ゴードンが脇腹をおさえている。
 やられたのだろうか。
 始末屋の攻撃は、まともに喰らえば致命傷は免れない。
 いかにゴードンとはいえ、奇襲となれば防ぎようがないのではないか。
 「お怪我は?」
 「問題ない」
 ゴードンは言った。
 なるほど傷はなかった。
 「渾身の一撃だったのだろうな。少々効いた」
 そう言って、辺りを見渡す。
 「レプタイルは、逃げたか」
 離れたところにある大型の窓が割れていた。
 この最上階から、飛び降りたらしい。
 


 数分後、警備員達が最上階へと登ってきた。
 彼らが見たものは、塔内に侵入した蛇やトカゲではなかった。
 最上階の一室で、なんの変わりもなく意見を交わす大統領とその補佐官。
 「下の騒ぎは収まったか」
 ゴードン大統領が警備員の一人に声をかける。
 「一度メンテナンスをしておいたほうがよろしいのでは」
 キルマー補佐官がお茶を入れながら建言する。
 慣れ親しんだその光景に、彼らは胸を撫で下ろし、持ち場へと戻っていった。
 光と闇の混在するゴライアス・ガーデンに、平和が戻った。


 


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