『ANGEL』


光は、見えない。

「お前はいつか私に言ったな。天国に行きたい、と」

血と、混沌。

「行けるさ、フレディ。お前は行ける」

そしてまた一つ、大切なものを失った。

冷たく、暗い世界。

張り裂けそうな痛み。魂の痛み。癒えない痛み。

光は、まだ見えない。



「‥‥‥‥。」
フレディ・“レプタイル”・クラップを迎えたのは、暖かい目覚めだった。
心地よいベッドと、布団の柔らかさ。そして静けさ。
窓の外から街の喧騒が聞こえていたが、落ち着いた空間だった。
クリアな視界。サングラスは先の戦闘で失っていた事を思い出した。
起こした体の、痛みは大分遠のいていた。上は脱がされ、包帯が巻かれている。
全身に手当てを施された跡があった。
手を動かす。問題なく動くが、全身の要所要所に鈍い痛みが残っている。
口周りに手をやる。だいぶ髭が伸びていた。

ここは何処か?

ベッドから出ると次に床に手をそえ、辺りを見回す。
病院ではない。少々狭いが、普通の住居のたたずまい。
ベッドの他には小柄なタンス。その上には写真立てがある。
30代くらいの男と10才くらいの女の子が写っている。
ここに住んでいる親子だろうか。

窓からゆっくりと外を覗く。
4〜5階建ての建物が密集する居住区。ヘブンズヒルのスラム街か。
自分のいる部屋は2Fだった。
差し込む陽が、暖かかった。
しかし、レプタイルは安らぎに身を委ねようとはしなかった。


「まだ終わっていない」
放ったその言葉を反芻した。


そう。眠りから覚めても“悪夢”は終わっていない。
そしておもむろに扉の方に向き直る。肩の力を抜き、一呼吸おく。
足の裏から頭の頂点まで気を張り巡らし、扉の向こうにいる“気配”に備えた。

扉を開けて入ってきたのは、一人の子供だった。
オーバーオールを着た、明るいブラウンの髪を後ろでくくった、女の子だった。
さっきチラリと見た写真に写っていた子だった。
「あ‥‥‥‥」
少女の目が、レプタイルのそれと合った。
おそらく寝入っていると思っていたであろう男が目覚めている姿に、
驚いているのだろうか?
その顔は、みるみる喜びの色に満ちていった。

何故だ。何故笑う?

「よかった!目が覚めたんだね!」
敵意は感じない。青く澄んだ目が愛らしかった。
「君が‥‥介抱してくれたのか?」
「うん。あ、いや、傷の手当てはボクじゃなくてオノー先生がしてくれたんだけどね」
「オノー?」
「お医者様。ちょっと待ってね、先生呼んでくるから!」
「待て」
少女は足を止めた。
「なに?」
「なぜ‥‥笑っている?」
「え‥‥そりゃ、おじさんが生きてて嬉しいからに決まってるでしょ?」
「‥‥なぜ嬉しいんだ?」
この子は自分とは縁もゆかりも無いはずだ。
少女は不思議そうな顔をした。
「生きてたら嬉しいに決まってるじゃない。死んじゃったら悲しいでしょ?」
少女はさっさと階下へと駆けて行った。


「目が覚めたから何だっつーんだよ!俺は昼寝してたっつーんだよ!
 ちゃあんと処置はしていたっつーんだよぉ!死にゃしねえから安心しな!
 つーか体もうすっかり動くだろ!?」
白衣を着た初老の男は部屋にやってくるなり頭をボリボリ掻きながら大声でまくし立てた。
ごま塩頭に無精髭。顔が少し赤い。息も酒臭い。白衣自体もあまり綺麗ではない。
とてもじゃないがいい医者には見えない。
「ああ‥‥動く」
レプタイルは聞き返した。
「‥‥飲んでるのか?」
「おおーう飲んでるよ軽〜くな!大丈夫だよぉお前さんの手当てした時ゃ
 もっと飲んでたんだからよぉ!」
「感謝する」
「感謝ならあの子にしな!3日前か4日前かこれから寝ようって時に
 ドアドンドン叩きやがるわ血まみれで気ィ失ってるお前さん連れてくるわ
 迷惑でしょうがなかったっつーんだよぉ!」
オノー医師の後ろで少女が笑っていた。
「ごめんね、ホントはちゃんとしたお医者様に連れていきたかったんだけど、
 ここからだと病院は遠いから、あの時ボク1人だけでどうしようも
 なかったから‥‥仕方がなくて」
「俺を頼ったのは仕方なかったっつーのかよぉ!?
 つーか俺もちゃんとしたお医者様だっつーんだよぉ!!
 いいんだよぉこんな保険証も持ってねぇ男、他の病院じゃあまともに
 診てくれねぇに決まってんだからよぉ!」
「ありがとう‥‥感謝する」
レプタイルは少女にも礼を言った。
少女は照れくさそうに、はにかんだ。
「うん、そうだ自己紹介しとくね、あのね、この人がオノー先生。
 この下の1Fが先生の医院になってるんだ。
 ボクはロミ・アニス。ここにパパと住んでるの」
「俺は‥‥」
ふと腹の虫の鳴る音が響いた。
沈黙が流れる。
レプタイルは心の中で苦笑した。
どんなにつらい時でも、腹は減る。
オノーは愉快そうに笑った。
「ハハハお客人は空腹のご様子だ!無理もねえ、ここ数日ブドウ糖は注射してたが
 それだけで満腹になるわきゃねえもんな!ロミ、何かもってきてやんな!」
「うん、わかった!」
ロミは食事の支度をしに部屋を出て行った。
ロミが行ってしまったのを確認すると、オノーはドアを閉め、レプタイルの方へ
向き直った。
「さてと」
レプタイルの鼻先に猟銃が突きつけられた。


 


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