『ANGEL』


蜘蛛の巣状に入り組んだスラムを走りぬける。
追手は来ないようだ。
ひとまずは安全だと思った所で、レプタイルはロミを降ろした。
ロミは腰の力が抜けた様にその場にしゃがみ込んでしまった。
「立てるか‥‥?」
「あ‥‥あぁ‥‥あ‥‥」
ロミは何か喋ろうとしていたが、ただ口を開くだけで声が出せないでいた。
ロミは、興奮とショックで思うように話せなかった。
「君は狙われている。逃げなければならない」
「パ‥‥パ‥‥が‥‥?」
涙目で、かすれるような声で尋ねるロミを見てレプタイルは後悔した。

父親が“殺された”とはっきり言ったのはまずかったか。
この子にとって、唯一の肉親である父親を失う事はどれだけのショックで
あったろうか。
きっと、胸が張り裂けそうな気持ちなのだろう。
しかし、自分に一体何がしてやれる?
大切な人を失った者に何がしてやれる?

わからない。
かつて自分も同じ思いをした事があるというのに。

「可哀想に」と同情してやるか?
「元気を出せ」と励ましてやるか?
しかしそれは今のロミには何の慰めにもならないだろう。

「‥‥‥‥。」
怯えている子供を前に、レプタイルは何もしてやる事ができなかった。


サンド達は黒いSクラスベンツの窓際に立った。
彼ら全員立っているのもやっとな位の負傷を負っていた。
サンド自身、指と歯が折れ頭を強打した痛みがまだ残っていたが、
これから起こるであろう出来事に比べれば何でもなかった。
ベンツの後部座席のウィンドーがゆっくりとスライドし、開いていった。
その中に現れた顔に、サンド達は恐怖した。
彼らのボス、カーマ・ギアとその向こうに張の顔。
サンド達はカーマに恐怖していた。
「‥‥‥‥。」
カーマの表情は至って物静かであった。
しかしサンド達は不安の気持ちを消す事はできなかった。
この男が何を考えているかわかっていたからだ。

逃がした娘の代わりに自分達をどう料理しようとしているか。
コンクリで固められて海に捨てられるか?
それも怖いがカーマ・ギアの場合、その場で、その手で即“処刑”もあり得るのだ。

「ワタシはね‥‥」
カーマは顔の前で拳を軽く握った。『キャリッ‥‥』と音が鳴った。
サンドはその音を聞いただけで生きた心地がしなかった。
「自画自賛ではないけれど、『ANGEL』の人間はとても優秀だと思う。
 ガイア共和国を根城にこれだけのコネクションを維持できるのは
 ワタシだけではなく、君達のおかげでもあると思っている」
カーマの口調は淡々としていた。
「いくらワタシに力や金があっても、たった1人では『ANGEL』は
 機能しない‥‥つまりワタシは君達にちゃんとそれなりの敬意と
 信頼を持っている‥‥」
やたら優しい語り。危険だ。来る。来るぞ。
「それなのにさぁ‥‥‥‥」
カーマの眉間がみるみる険しくなった。
「なーにーあのザマ?」
『申し訳ありません!』
サンド達は声を揃え、深々と頭を下げた。
「なーにーあのザマ?」
『申し訳ありません!!』
「なーにーあのザマ?」
「申ぉぉぉしわけありませんーッツ!!!」
サンドは絶叫した。
しゃがみ込み、顔を地にこすりつけ、許しを乞うた。
後の一同も同じようにした。
異様な光景に驚いた一般市民の視線を浴びたがそんな事に構ってられない。
死にたくない一心だった。
「ワタシはね、こう見えても忙しいのよ。ガキ一匹にそうそう時間取られてる
 暇なんかないのよ」
暇だからここへ来たんじゃないのかよ!?、なんて言えない。
ただただ頭を低くし、詫びて詫びて詫びまくるしかなかった。
「ボス!もう一度チャンスをください!今度は絶対にしくじりません!
 絶対に!!」
「まーいーわ、許す」
「へ?」
唐突に出たお許しの言葉にサンドはホッとした気持ちとわけわからなさで
泣き崩れそうだった。
「許すって言ったのよ。あんた達じゃ手に負えない。
 もう帰っていーわ」
「て、手に負えないといいますと‥‥?」
「あの男‥‥“REPTILE”だワ」
「レ‥‥レプタイルッッ!?」
サンドも名前は知っていた。

合衆国裏社会でレプタイルの名を知らない事は致命的である、とまで言われる程の
ビッグネーム。
己が拳足のみを武器とする最高の“始末屋”。
先ほど自分達を退けた神業のごとき動きが、これで納得できた。

「実はすでにあの男の顔写真だけ情報屋から入手していたの。
 CIAのマリンヴィルの資料とセットだったからひょっとしたら、
 とは思ったけどね‥‥でもさっきので確信したワ。
 あの雰囲気、あの身のこなし‥‥間違いなくレプタイルだワ。」
サンドは愕然とした。
「な、なぜそんな大事な事を‥‥前もって知らせてくれなかったのですか!?」
「言ったらあんた達行った?」
「‥‥‥‥!」
「あの娘と一緒にいた男がレプタイルと知ってて、それでも尾行するなんて
 真似できた?そもそもなんでレプタイルがあの娘と一緒にいるのかが
 わからないけどさ」
「くっ‥‥!」
できない。
サンド達はいざとなれば男も殺す事も頭に入れていたのだ。
だがそれがレプタイルとなれば話はまったく違ってくる。
もしそうだと知っていたなら、近づきだってするものか。
サンドはゾッとするのを感じた。
自分達は幸運だったのだ。指や歯が折れただけで済んで、幸運だったのだ。
「ボ、ボス‥‥あんたって人はぁ‥‥!」
サンドはふつふつと、はらわたが煮えたぎってくるのを感じた。

何が信頼だ。俺達に目隠しをして崖っぷちに向かって全力疾走させる様な
マネさせやがって‥‥!
そもそもなんで娘っ子1人殺す殺さないで葛藤しなきゃならないんだ?
今懐にしまっている銃を向けるのに、もっとも相応しい相手が目の前にいる
じゃあないか。
指は折れたが両手で持てば撃てない事はない。
他の皆も、気持ちは同じだろう。
一瞬で、ケリは着く。
皆で一斉にこいつに向かって引き金を引けば終わりだ。

‥‥殺ってやる。

そう決心した時だった。
カーマは、ニカァ〜リと白い歯を見せた。

「イイワヨ‥‥‥‥」

たまらなく嬉しそうな、至福に満ちた、邪悪な笑み。
一同は、死神の手で優しく撫でられた様な悪寒に包まれた。

完全に見透かされてる。手を出せば‥‥‥‥“喰われる”!。

サンド達の決心は萎えた。

先ほどからずっと黙っていたクレオが口を開いた。
「ボス‥‥あの娘から手を退きますか?
 レプタイルと関わるのは得策とは言えません」
「チッ!チッ!チッ!ナァーンセンスッ!」
カーマは舌を鳴らした。
「なぁ〜に眠たい事言ってるのよ?
 先のゴライアスガーデン襲撃事件の犯人もおそらくヤツ‥‥
 ゴライアス・ゴードンが取り逃がした鼠を始末すれば『ANGEL』の
 株は間違いなく上がる」
“爬虫類”を打ちのめす。ゴードン大統領に恩を売れる。
これらの意味は、大きい。
「ヤツは今、マリンヴィルという“馬”を失った孤独な鼠。
 叩くとしたら‥‥今しかないじゃな〜い?」
カーマの義手が『キャリッ♪キャリッ♪』と鳴った。


 


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