『ANGEL』


夕刻。棟の玄関。
怯えるロミを抱えて帰ってきたレプタイルに、オノーは戸惑った。
「‥‥なんでお前さんまた帰ってきちまったんだ?
 なんでこの子は雨に打たれた子猫みてぇに震えてるんだ?一体外で何があった?
 お前ロミに一体何をした!?」
「話は後だ」
質問攻めにかかるオノーをよそに、レプタイルはロミを降ろした。
「すぐに貴重品をかき集めろ。簡単にでいい。急ぐんだ。
 奴らはすぐにここを嗅ぎつけてやって来る」
「う、うん‥‥」
怯えつつも、だいぶ落ち着きを取り戻したロミは自分の部屋へと上がっていった。
「おい」
その場に残ったレプタイルの胸倉を、オノーがつかんだ。
「‥‥お前、ロミに何させるつもりだ?」
「彼女の父親が殺された。彼女自身も狙われている」
「!!」
オノーの目がハッと見開かれた。
「フレッドが‥‥おお‥‥ジー‥‥ザス‥‥‥‥」
胸倉をつかんだ手から、力が抜けていった。
やがて完全に手を離し、オノーは悲痛な表情をその手で覆った。
「あの大馬鹿野郎‥‥いつか、こういう事が起こるんじゃねぇかって‥‥
 それが‥‥ジーザス‥‥‥‥!」
力なく言った。
「オノー‥‥知っていたのか?」
「‥‥‥‥。」
「あの子の父親がマフィアだという事を」
「‥‥この界隈の連中はみんな知ってるさ」
オノーは棟の入り口の階段に座り込んだ。
空に赤みが差していた。

「フレッドは評判の悪い男じゃなかったが、それでも職業が職業だ。
 敬遠されるのも無理はねえ。
 おかげであの子はここいらじゃあ友達1人できゃあしねえ‥‥
 唯一の友達がこのしなびたジジイ1人だぜ‥‥笑っちまうだろ?」
「彼女は知ってたのか‥‥?」
レプタイルはロミが父親の事を語った時の、不安げな表情を思い出した。
オノーは寂しそうな笑みを浮かべた。
「あの子もうすうす感づいてる。しっかりした、賢い子だからな。
 でも周りに避けられてる事を知りつつも、その日その日をまっとうに生きてる。
 父親が何だろうが関係ねえ、本当にいい子なんだ‥‥」
「‥‥‥‥。」
「あの子は“痛み”ってもんを知っている。1人血を流して倒れてるあんたを
 助けたのも、孤独の寂しさ、つらさを知ってたからさ。
 それがよぅ‥‥」
オノーは悲しんでいた。
フレッドと、ロミの不幸を悲しんでいた。
「なんでこんな事に‥‥」
「!‥‥悪いが話はこれで終わるぞ」
「ど、どうかしたか?」
オノーは顔を上げた。
「“奴ら”が来た。行って来る。あの子を頼む」
レプタイルは歩き出した。
「あ、ああ‥‥」
よくわからないまま、オノーはその背を見送った。


フレッドとロミの住んでいる棟の近くで、ベンツは止まった。
クレオと、純白のミンクのコートを肩にかけたカーマが降り立った。
カーマが腕時計を見やる。
「‥‥時間差作戦」
「了解しました」
「2人揃って正面からかかるのは避けたい。ヤツはカンがいい。何人で近づいても
 感づかれる。まずはクレオ、君が1人で近づき1vs1を装って戦い、
 ヤツが君1人に集中した所をワタシが不意をついて背後から襲いかかる」
「はい」
「銃はあまりアテにしない事」
「心得ております」
「あのレプタイルが簡単に抜かせて撃たせてくれるとは思えない。
 徒手空拳でしのぐ事を考えろ。くれぐれも秒殺などというみっともない事態だけは
 避けてくれたまえよ?」
「はい‥‥」
「クレオ、君ならできる。この作戦はね、パートナーが君だからこそできるのだよ」
「恐れ入ります‥‥では、行ってまいります」
1人歩き出すクレオ。
彼が行ってしまったのを確認するとカーマはベンツに残っている張を見た。
「張君」
「は、はいっ!?」
思わぬお声がかかり、張は緊張した。
「な、なんでしょう‥‥?」
「見学してばかりで退屈だろう。一つ君も、ゲームをしてみないかね?」
そういうとカーマは懐から“それ”を取り出した。
「今日はきっとステキな日になる」


クレオは考える。
いつから『ANGEL』はおかしくなっていったのだろう。
昔の『ANGEL』は違った。昔は組織の者は皆、自分が“天使”である事に
何の疑問も持たなかった。ガイア共和国が弱小国だった事もあり規模こそ
小さかったものの、皆組織の一員である事に誇りを持っていた。
場末の酒場で、安酒を煽りながら、誇り高き正義を謳っていた日々。

そう、奴だ。
カーマ・ギアが現れてから少しずつおかしくなっていった。

奴自身の強さもあったが何よりゴードンとの“繋がり”があった事が大きかった。
ゴードン政権との共存。滝のように流れ込む利潤。
瞬く間にガイアと共に『ANGEL』は栄え、その力は増していった。
それに正比例してカーマの発言力も増していった。
そして今、カーマは組織の頂点にいる。
確かにカーマがいなければ今の『ANGEL』の繁栄はなかった。
しかし、昔に比べ組織が「貧しくなった」と感じるのは自分だけだろうか?
クレオは感じる。貧しくなった、と。
場末の酒場からビジネス街の一等地へ。安酒からロマネコンティへ。
しかし誇りは地に落ちた。
今、組織の中で自分が『ANGEL』の人間である事を胸をはって誇れる者は
一体どれだけいるだろう?
『ANGEL』は目的の為に手段を選ばなくなってきた。
より合理的に、より狡猾に、より凶悪に。
そうして組織は大きくなってきた。そして端々で腐敗も目立ってきた。

原因はわかりきっている。カーマ・ギアだ。
カーマは組織繁栄の大元であると同時に腐敗の元凶だ。
今の『ANGEL』はヤツのオモチャ箱になってしまっている。
‥‥カーマにはいつか消えてもらわなければならない。

組織の為に。奴は『ANGEL』を汚しすぎた。
いつか俺が奴に手を下す事になるだろう。
これ以上『ANGEL』の名をおとしめるのはしのびない。
俺が巨大な組織力と高い名声を伴った新しい『ANGEL』を作り上げる。


クレオの前に“爬虫類”が立っていた。
「その為には、まず今日を生き延びないとな‥‥」
夕暮れの中、2人は向かい合った。
「‥‥人目のない所へ行こうか」
クレオは言った。


レプタイルに挑むのは、カーマの為などではない。
『ANGEL』の誇りを失わない為だ。
自分は誇っていたい。“天使”である事を。


 


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