『ANGEL』
8
| 「ここで、いいだろう」 クレオは人気のない路地裏を戦場に選んだ。 2人を隠す影を作り出す建物の上部は朱色に染まっていた。 スラムの棟に囲まれた、都市の死角。 絶対に目撃者が現れないという保証はない。 しかしクレオは「ここは大丈夫だ」と長年の勘で感じた。 「私は『ANGEL』の幹部、クレオ・ステイシーだ」 クレオはまっすぐ相手の顔を見た。 黒い長髪にサングラス、コートから靴先にいたるまで黒に統一されたいでたち。 その表情からは感情を読み取れない。 「“REPTILE”、あなたに勝ちたい」 正直な気持ちから出た言葉だった。 レプタイルの名を出したが、表情の変化は見られない。 そして何も話す様子はない。 さてどうするか。懐に拳銃はある。 しかし使用するには抜く、狙う、撃つ、の過程を経なければならない。 一流の始末屋を相手にそんな悠長な事をやれば一瞬でケリを着けられるだろう。 銃を抜くのはとどめの時だけ。それまでは‥‥ クレオはすでに自分の肉体を“武器”として選んでいた。 組織底辺の構成員とは一線を画す、南米の傭兵部隊で鍛えられた肉体を。 クレオは相手に向かい、ゆっくり両手の平を広げた。 中国拳法ともマーシャルアーツとも見れる構え。 特定させない方がいい。相手は自分の戦い方を全く知らないのだ。 まずは間合いを詰め‥‥ 撃。 クレオの足がよろめいた。 「!?」 左足の側面に衝撃を感じた。それは明らかな“ダメージ”だった。 風を感じる。ズボンの、衝撃をくらった箇所が剥げていた。 かろうじて体勢を維持し、前方の相手を見やる。 “敵”の軸足は、わずかに動いていた。 ロー‥‥キッ‥‥ク? クレオの動悸がたちまち早まった。 馬鹿な。届くわけがない。 奴との間合いは5〜6mは空いている。 脚が伸びたりしない限り届くわけがない。 状況が理解できないうちに敵は今度は届くわけのない“拳”を振り抜いてきた。 届いた。 「!?」 顔面に、さっきよりも重い衝撃が走る。 「!??」 体が大きくのけぞり、後ずさった。 「!???」 理解できなかった。再度クレオを襲った確実なる“痛み”。 錯覚ではない。鼻を拭いた手に付着した血がそれを証明していた。 インドのヨーガの奥義で関節を外し、腕や脚を通常の何倍にも伸ばす技があるという。 それか? あるいは突きや蹴りを、凄まじいパワーとスピードで放った時、 それらの威力は“圧”を伴い、遠くの相手にも届くという。 それか? まさか。人間業ではない。 しかし相手は“爬虫類”。あるいは。奴ならあるいは。 クレオは駆け出した。速攻勝負に出た。出ざるを得なかった。 最速のスピードで間合いを詰め、手の平を地に着け体を反転させる。 最高のタイミングで相手の虚をつく逆さの体勢となり、その全身が流れる様に回転する。 最大のパワーを乗せた旋風蹴りが飛んだ。 南米の部族から学びマスターした『カポエラ』の蹴りであった。 止められた。 「!!?」 “爬虫類”がただ置く様に出した、舐めるような前蹴りが、 クレオの最強の攻撃を停止させた。 逆回転! ひるまず反対方向にスイングさせた蹴りが、今度は素手でつかまれた。 強引に引っ張り上げられる。 逆さ吊りの恰好になったクレオの顔面に“爬虫類”の足甲がめり込んだ。 再び血を噴き、クレオは無様に地に放り出された。 倒れ込んだクレオは“爬虫類”を相手にやってはなるまいと思っていた行動に出た。 苦痛と焦りがクレオの判断を誤らせた。 懐の拳銃へ伸ばそうとした手。 その手に素早くレプタイルの下段蹴りが伸びた。 爬虫類の足撃と地面のタイルのサンドイッチを食らわされた手は脆く砕けた。 悲鳴を挙げる間もなく、残るもう片方の手にも容赦なく拳が打ち下ろされた。 「!!!」 こうなる事はわかっていたはずなのに。 クレオは愕然とした。 始末屋レプタイルはクレオよりも圧倒的に強く、速く、しなやかであった。 カーマよ。 この光景をどこかから見ているであろうカーマよ。 屈辱だ。 お前に頼らざるを得ない。奴に勝てるのはお前しかいない。 もう俺では、これ以上持ちこたえられない‥‥! 「ウヒャヒャヒャヒャあんた弱すぎるわ!激弱ッ!!」 ベンツの中。 ゲームボーイアドバンスで対戦テトリスに興じるカーマと張。 車内に響き渡る軽快なトロイカ。 ゲームそのものに慣れてない張におかまいなく、ドカドカ4段ブチ消して送り込むカーマ。 30連敗したところで張はとうとう諦めた。 「うあー駄目だ。勝てねー。 ‥‥ていうかなんでアドバンス持ってて今時テトリスなんすか」 「私はこう見えてレトロ指向でね。それともテトリスよりやはり『北斗の拳』の方が よかったかな?サウザーが3方向に気弾飛ばすやつ」 「いやそれも十分古いですって!‥‥ていうか、そろそろ行かないといけないん じゃあないですか‥‥?」 「ん?行くってどこへ?」 「いや、今クレオさんが戦ってるんでしょ!?」 「だろうねぇ」 「だろうねぇじゃなくて、もういい加減助けに行かないと‥‥」 「なぜ?」 聞き返されて張は戸惑った。わけがわからなかった。 「いや、だって時間差作戦なんでしょ!?」 「‥‥‥‥。」 カーマは2つのゲームボーイを懐にしまった。 「張君、君はクレオの事をどう思う?」 「え‥‥まあ、キレ者っぽいなぁと‥‥」 「その通り。彼は実に頭のキレる男だ。もしワタシがいなければ、 彼がボスになっていただろう」 「はあ‥‥」 「実際彼はとても使える男だ。ワタシの言う事に忠実に動き、 部下達への采配も申し分ない。しかしどうしようもない欠点が一つある」 「欠点‥‥ですか」 「そう‥‥」 カーマは肩をすくめた。 「ワタシと彼は、ウマが合わない」 「え‥‥‥‥」 「彼はああ見えて昔気質でね。ワタシのやり方を内心快く思ってないのだよ。 今だに弱きを助け強気を挫く、誇り高く、貧しかった昔の『ANGEL』の幻影を 追い続けている」 「‥‥‥‥。」 「彼は組織の未来の為と称していつかワタシを裏切るだろう。 そろそろちょうどいい頃合だ‥‥」 張の顔が青ざめる。 段々目の前の男の思惑が読めてきた。 「あ、あんた‥‥まさか‥‥」 カーマの口がニィッと歪んだ。 「あの始末屋レプタイルがクレオを“タダ”で始末してくれる。 丁度いいじゃナ〜イ?」 |
| 第9話に進む |
| 第7話に戻る |
| 図書館に戻る |