『ANGEL』
14
| 大聖堂は静寂に包まれていた。 夜が深まるにつれ、人気は教会の周囲から無くなっていき、繁華街の方へと流れていった。 「ワタシはね、こういう教会の美しく、清らかな雰囲気が好きなのだよ」 聖堂に即席に設けたテーブルの上のグラスにワインを注ぎ、カーマは言った。 薄暗いドーム状の堂内に、燭台の灯群に照らされたキリストの十字像。 そして大きなステンドグラスが輝いていた。 「軽いロゼワインだが、君もどうかね?」 「は、はぁ‥‥じゃお言葉に甘えて‥‥」 隅の椅子にチョコンと座っていた張。 断るに断れず、グラスを手にした。白透明の液体が注がれる。 「遠慮せずくつろぎたまえ。今夜は我ら以外誰もいない。 では乾杯だ」 「な、何に乾杯しましょう?」 「そうだな‥‥では、あの子の前途を祝して、だ」 気を失い、聖堂中央に無造作に転がされているロミを指していた。 「は、はい‥‥」 これから嬲り殺しにするつもりのくせによく言うぜ、と思いつつグラスを交わした。 不快だったがそんな事はおくびにも出さない。否、出せない。 不幸にもカーマの玩具に選ばれたあの子。目覚めた時が地獄だ。 可哀想だとは思ったが、自分にはどうすることもできない。 今カーマ・ギアの機嫌を損ねるのはヤバすぎる。見捨てるしかない。 あの子の父親の時と同じように。 張は傍観者である事を決め込んだ。 そして、ズボンの中にしまっていた拳銃の感触を確かめた。 ‥‥なぜ俺は拳銃を確かめたりしたんだ? カーマはグラスを置き、心地良いコートのボワを撫ぜた。 「マフィアにはね、意外に信心深い者が多いのだよ」 「そ、そうですかぁ‥‥」 愛想笑いを浮かべる張。 少なくともお前は神の教えを説ける輩じゃねぇだろ、と心の中では思っていたが 言えない。 「己が背負う罪業、憎悪や私怨、欲望に溺れる日々。 しかしそれらはこの荘厳な清らかさの前には全て色褪せる。 自分が人間である事を思い出せるのだよ」 「な、なるほど〜‥‥」 ほざくな吐き気するぜ、と思ったが言えない。 「あ、あのぅ‥‥ところであの子、どうするんですか‥‥?」 ‥‥なんで俺はこんな事聞くんだ? 答えはわかりきってる。知った所でまた気分が悪くなるだけだ。 「ン〜?そうねェ‥‥」 カーマの唇の両端がみるみる吊り上がる。 「どうしましょ〜?どうしてくれようかしらンフフフフ‥‥!」 これだ。この野郎。荘厳な清らかさとは絶対に180°趣が異なる事を考えてやがる。 「オォウ、どうやら今夜の主役がお目覚めのようだワ‥‥」 しばしの眠りからロミは目覚めた。まだ頭が重い。 大理石の床が冷たかった。 「う〜ん‥‥」 ロミは額に手を当てた。いつのまにか野球帽がかぶせられている。 ゆっくりと顔を上げた。 十字架にかけられたキリスト像が自分を見下ろしていた。 色煌びやかなステンドグラスが鈍色の像を照らしていた。 綺麗だ、とロミは思った。 不思議な優しさと、暖かさに安らぎを感じた。 「ハァ〜イ、ロミちゅわ〜ん☆」 背後からした声に振り向くと、そこには白いミンクのコートを羽織った、 サングラスの男が立っていた。 「!」 「イッツ・ア・ショー・ターイム!」 邪悪な笑み。両腕を広げ迫ってくる。 『キャリキャリキャリキャリ‥‥』 せわしなく動く指。 安らぎは一瞬にして消し飛んだ。 ロミの脳裏にあの時感じたドス黒い悪意と、恐怖がみるみる甦ってきた。 「パ、パパァァァーーーーッ!!!」 ロミは大きく後ずさりながら助けを呼んだ。 カーマは目の前まで迫っていた。 「パパァー!!!オノー先生ぇー!!!おじさぁぁぁーん!!!」 「“パパ”はもういないのよォ?ロミちゃ〜ん‥‥」 「!?」 「だぁってワタシが殺しちゃったんだもぉ〜ん」 「!!!!」 「ワタシがぁ、」 ロミのかぶっていた帽子をそっと手に取った。 「この手でぇ、」 それを金属の拳でギュッと握り締める。 「こ〜んなふうに‥‥」 轟く炸裂音が耳を打った。 スパークする電光の中で、帽子は黒い煤と化した。 「‥‥ネ☆」 「あ‥‥あ‥‥あ‥‥!」 ロミは口を開けたままもう何も言えなかった。 どうしようもない恐怖と絶望に翻弄されていた。 (見てられねぇよ‥‥!) 張は顔を背けた。 「しかしワタシを恨まないでくれたまえよ。君のパパは悪い男だったんだ」 「え‥‥?」 「ワタシは君のパパに、ロミちゃんと君とどちらか1人だけを助けてやると 言ったんだ。そしたら君のパパは何て言ったと思う?」 「‥‥‥‥」 「“ロミはどうなってもいいから自分を助けてくれ”とこう来たもんだ。 悪い奴だろ?だから殺してやったのさ」 張は目を見張った。 おいおいちょっと待て。 フレッドはそんな事言わなかったはずだ‥‥! あんたその子をそれ以上追い詰めて何の得になるってんだ!? 「‥‥ウソだ」 ロミは一歩後ずさった。 「ウソじゃあないよ」 カーマは一歩近づいた。 「君はぁ!誰にもぉ!愛されてなんかなかったんだよォォーッ! フフフフファハハハハハ!!」 聖堂にカーマの笑い声が響き渡った。カーマは爽快な気分だった。 ロミの心は張り裂けそうだった。 「パ、パパァァァーーーッ!!!!」 「フハハ自分を愛してくれてもいねぇパパを呼んでどうしようってんのえぇえ!?」 泣き叫ぶロミの頭をカーマは鷲づかみにした。 張は心の中で憤っていた。 おいカーマ。 カーマさんよ。 あんたその子の命だけじゃなくて心まで踏みにじるつもりか? 張は再びズボンの下の拳銃を確かめた。 ‥‥いやいや何を考えてるんだ? 正義感ヅラして『ANGEL』を敵に回せば取り返しがつかない事になる。 ‥‥そう。あの子には悪いが黙って見過ごすしかねぇんだ。 俺なんかじゃあどうしようもならねぇ事なんだから。 そう。おとなしくしとこう。 「なぁ‥‥そのへんにしとけや」 張は拳銃をカーマ・ギアに向けていた。 |
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