『ANGEL』

18


フレディ・“レプタイル”・クラップ。
アメリカ裏社会で、その名を知らないことは致命的と言える。
その名は、ボスよりも強大で、FBIよりも厄介な存在を表している――


カーマはその男を見た。
「言ったわネ‥‥‥」
彼は言った。
「セクシィ‥‥」
確かに言った。
「セクシィ‥‥」
“始末する”と言った。
「セックシィー‥‥」
“自分を始末する”と言った。
「セェークスィィー‥‥」
カーマの唇から熱い吐息が漏れた。
「なんて‥‥セクシィな響き‥‥!ワタシ、勃(た)ちそうッ!
 今夜は‥‥」
素敵な夜になる!

埃を被ったカンテラがこうこうと時計塔内を照らしていた。

扉から吹き込む風。
レプタイルの漆黒のレザーコートが翻った。
カーマの純白のコートも翻る。その手はロミの首筋をつかんだままだった。
「あなたが『うっかり』蹴っちゃったあのジイさんは元気かしラ?」
「‥‥‥‥。」
「今度はこのロミちゃんを『うっかり』攻撃しないように気をつけなきゃねぇ〜?」
顔面蒼白のロミを前にかざした。完全に「盾」にする気構えだった。

レプタイルは跳んだ。
低い軌道。浮くような、静かなる跳躍。
カーマは悪意を込めた『肉の盾』を掲げた。
それに対し、レプタイルは両手を伸ばした。
「!?」
敵の意図に気づいたカーマは『盾』を引っ込めた。
引っ込めた手には、すでに『盾』はなかった。
「!‥‥‥‥」
カーマは背後を振り向いた。
大時計盤への扉の側に、少女を抱えて立っているレプタイルを見た。
「はン‥‥」
出し抜かれた。
全ては一瞬の出来事だった。
「やるじゃな〜い‥‥!」
カーマの眉間が険しくなった。

ロミ自身は何が起こったのかわからなかった。
レプタイルの手から下ろされ、自由の身になってからも呆けたように
レプタイルを見上げていた。
「‥‥さがっていろ」
あくまで冷徹な声に、ロミは我に返った。
「う、うん‥‥」
今は、この人の邪魔になってはいけない。
ロミは扉の方へと下がった。

レプタイルはカーマと向き合った。
腕をダラリと下げた直立不動の姿勢を維持するレプタイル。
しかしその神経は、いかなる事態にも対応すべく研ぎ澄まされている。
人質を失ったカーマの表情には、しかしまだ余裕の笑みがあった。
「一本とられたワ。シビィ事してくれたじゃな〜い?」
「貴様‥‥なぜあの子を狙う?」
「ン?‥‥ああ、あの子の父親がオイタをかましてくれてねえ、
 事のついでヨ。まあ平たく言えば‥‥」
カーマは肩をすくめた。
「“その場のノリ”ってヤツ?フフフフファハハハハハ!」
高笑いするその顔にレプタイルの手が伸びた。
「!」
爬虫類の爪は空を切った。
「ンガァーハ!」
梁の上に這うようにしゃがみこんでいたカーマの腕が、レプタイルの足へ無造作に伸びる。
が、これも空を切った。
レプタイルは無音の歩みで一歩、下がっていた。
「惜しい‥‥☆」
梁の上に四つん這いの状態のカーマは。そのまま前進を始めた。速い。
「!?」
不気味なまでに速いスパイダーウォーキング。
巨大な蜘蛛のごとき突進を、レプタイルは跳んでかわした。
が。カーマは歩みを止めない。
「!?」
白き蜘蛛は一路、ロミを目指していた。
そのおぞましい歩みが少女に到達する寸前。
一足跳びから放ったレプタイルの蹴りが、その背を串刺しにした。
「!?」
はずした。
レプタイルの蹴りが捕らえたのは梁。堅い、木の感触。
「!?」
「ウフフ、お馬鹿さん☆ワタシは最初からあなた一筋ヨ!」
蜘蛛の牙が爬虫類を捕らえた。
いつのまにか背後に回りこんでいたカーマの白銀の手が、レプタイルの手首を
つかんでいた。
「!!」
「つかまえたワ☆‥‥ワタシと手を、握り締めあってみない?」
2人の周囲に稲妻が走った。
電光と共にレプタイルの全身を焼けるような激痛が襲った。

「かッ‥‥!?」
衝撃と共に電撃は停止した。
カーマの頭の中が一瞬、真っ白になった。
その頭脳が認識したのは確かな『痛み』。
後頭部に感じた強烈な衝撃。
刹那、それがレプタイルの攻撃である事を悟った。
正面にいる相手から与えられた、後頭部へのダメージ。
そう。久しく与えられた事のなかった、『ダメージ』。
カーマは、黒い脚が自分の頭蓋の側面へ伸びているのを見た。
ハイキック。
しかしそれが捕らえたのは頭の側面ではなく、後頭部。
形こそハイキックであるものの、その穂先は独特の軌道を描き、
回り込むように標的の後頭部へと伸びていた。
真正面からレプタイルが放った、巻きつくようなハイキックがカーマの後頭部を捕らえていた。
鞭のようにしなる、その脚が後頭部から離れた瞬間、カーマは立つ力を失った。

「ア‥‥?」
カーマの膝から力が抜ける。
これが競技場での試合ならばTKOで勝負ありの所だろう。
しかし。レプタイルは『始末屋』だった。
その事実はカーマにテイクダウンを許さなかった。
「!?」
前のめりに倒れるカーマの顔面に、黒い足甲が伸びた。
弾けるような音と共に倒れかけた体が起き上げられた。
蹴り上げ。
「〜〜〜!!」
砕けるサングラス。レンズ片が散った。
前のめりに倒れるはずだったカーマの体が、今度は一転、後方へと飛ばされた。
この一撃が「気つけ」となったのがカーマにとって不幸中の幸いだった。
「‥‥いけない子ねぇン!」
梁の上に両手を着地させ、ハンドスプリングで跳び、体勢を立て直す。
「アア〜ンタやってくれたじゃナ〜イ‥‥!」
両耳に残ったサングラスのフレームを取り払った。
険しく鋭い、濁った目が露わになった。
「あ〜あ、C・ディオールのサングラスが台無しだワ」
不要になったフレームを放ると懐から金の縁取りがされた、新しいサングラスを
取り出して装着した。
「これ、CAZAL(カザール)。ドイツのチョットいい眼鏡ヨ☆」
そして両手をキャリキャリ鳴らした。
その口は白い歯をむき出しにしてなお、笑っていた。
「こんな目に会わされたのは久しぶりだワ‥‥
 ねえワタシ、怒っていいかしラ‥‥?」
言いつつ右手を振りかざした。
その手が、青白い光を帯びていた。


 


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