『ANGEL』

エピローグ「“REPTILE”」


「まぁま、座っておくれやす」
クラブ「Thousand」(サウザンド)の店の奥。
和風の座敷の間でオーナーの千姫はVIP客と相対した。
「いや、お構いなく。すぐに出るゆえ、このままで結構」
片眼鏡をかけたダークスーツの老人は薦められた座布団を丁重に断った。
ガイア共和国大統領補佐官キルマー・バレンタイン。
表側で食事を楽しんでいる一般客らは、彼の来訪など無論知らない。
「しかし‥‥」
キルマーは庭園を臨む座敷の間をいぶかしげに見回した。
「相変わらず密談を交わすには何と言うか無用心というか‥‥」
密閉どころか開放的な空間。表からかすかに喧騒すら聞こえている。
「ひゃひゃ‥‥」
笑みで千姫の年老いた顔がさらにしわくちゃになった。
「心配御無用ですわぁ。
 詳しい事言えまへんけどこの家、うまい事できてますさかいに。
 わちらの話に聞き耳立てる命知らずは、おりしまへんわ」
「ふむ‥‥」
キルマーは壁を背にしたまま、厚みのある封筒を千姫の元に放った。
「今月の分だ」
「毎度、おおきに」
千姫はそれを手に取ると中の札束を指でなぞり、数を確かめた。
「確かに受け取りましたわぁ。しかし補佐官はんも大変どすなぁ。
 最近は『暦』だか『レプタイル』だかと大忙しですわなぁ」
「ふむそれだ、何か目新しい情報は入りましたかな?千姫殿」
「ふ〜む‥‥」
千姫は封筒を置いて、枯れ枝のような手を湯飲みへと伸ばした。
「特に、ないですわぁ」
茶をすすりつつ、言った。


ロミが寝入ったのを確認すると、オノーは部屋を出た。
1階の自分の医院に戻ると、レプタイルはすでにコートを纏って出発する準備を始めていた。
「おいおい、まだ真夜中だぜ。
 それでなくとも新しい傷作って帰ってきたんだからよぉ、
 もうちっとゆっくりしてけや」
「そういうわけにはいかない。あんた達には、世話になり過ぎた‥‥」
オノーは笑った。彼自身もまた傷だらけだった。
「お堅いねぇ、戦友」
「戦友‥‥?」
「そうともさ、共にロミを助ける為に戦った戦友だ!
 むしろロミを助けてくれたあんたはヒーローさな!」
「‥‥俺にヒーローの資格などない」
「ん?」
レプタイルは外へと出た。オノーも後についていった。
「ロミは俺の事を天使みたいだと言った」
「天使?ハハ、そうさな、俺たちにとっちゃまさにあんたは天の使いだ」
「しかしそれは間違いだ。ロミを助ける為とはいえ俺が行った事はただの暴力」
「‥‥‥‥。」
「正義を唱えつつ罪業を重ねる。贖罪を唱えつつ多くの血を流す。
 俺のやっている事は、カーマ・ギアとなんら変わらない‥‥。
 天使どころか、悪魔の所業だ」
「‥‥‥‥。」
「そう、俺はむしろ災いを招く“悪魔”だ‥‥」
「“人間”だろが」
「?」
オノーはふん、と鼻を鳴らした。
「天使も悪魔もねぇよ。あんたは血の通った人間だよ」
「‥‥‥‥。」

棟の外に出た。
真夜中のスラム。2人の男以外に人影はなく、辺りは静寂が支配していた。
「つーか本当に行っちまうんだな。ロミが恨むぜ」
「暗いうちがいい。姿をくらましやすい」
「それもそうさな‥‥じゃあ、ここでお別れだな。
 結局あんたが何者なのか、わからずじまいだったがな‥‥」
「すまない‥‥」
「謝るこたぁねえよ。それどころか感謝しても、し尽くせねぇんだからよ。
 じゃあな‥‥」
オノーは手を出した。
「悪いが‥‥俺には人に手を預ける習慣はない」
レプタイルはオノーに背を向け、歩き出した。
オノーは肩をすくめた。
「つれねぇなぁ、どこへでも行っちまいな!」
黒い背中が、振り返る事なく夜の闇の中へと消えていくのをオノーは見届けた。
「‥‥元気でな」



冷たく、暗い世界を彼は歩む。

光は、依然見えない。

しかし彼には信じているものがある。

だから歩き続ける。

歩き続けられる。


 


エピローグ2に進む
第22話に戻る
図書館に戻る