薔薇の咲く夜に


 教会にさしかかる頃、車内では料理の話が花を咲かせていた。

「……そうやって泡立てた生クリームを、先程のリコッタチーズと砂糖を混ぜたものに混ぜ込んでいくんだ」

 ミネルバから好物であるカッサータの作り方について尋ねられ、モニカは身振り手振りを加え、懇切丁寧に彼女に教え続けている。

「ポイントは、決して泡を潰さないように混ぜる事だ。そうしないと、かえってクリームが馴染まず、しっとりと仕上がらないからな」

 手にした煙管をヘラに見立て、ゆっくりとかき混ぜる仕草をしながらミネルバに説明するモニカ。熱っぽく語るその口調から判断するに、機嫌の方もすっかり良くなったようだ。

「そうだ。屋敷に戻ったら、ちょっと作ってみるか?確か、冷蔵庫にスポンジケーキが残っていたはずだ」

「いえ、そんな。モニカ様も、今日はお疲れでしょうし」

「構わん。私も丁度、キッチンで酒の肴(さかな)でも作ろうと思っていたところだ」

「でも……」

「モニカ様もおっしゃってるんだ、折角なんだからご教授してもらえよ。毎回毎回、お前の焦げ臭いドルチェ(デザート)を食わされる俺の身にもなれ」

 申し訳なさそうに断わろうとするミネルバをミラー越しに見やり、ヴィンセントは唇の端を吊り上げて笑う。

「きーっ、なんですって!?」

 ヴィンセントの軽口にミネルバは柳眉を逆立て、運転席の背もたれを掴んで激しく揺さぶる。

「うっわ!ちょ、おいやめろよ!」

「誰が、救いようがないほどの料理下手ですって!?」

「そこまで言ってないだろ!子供かお前は!?」

 モニカは、そんな2人のやり取りに笑いながら傍観していたが、やがてやれやれといった感じで肩をすくめると、可笑(おか)しそうに口を開いた。

「その辺にしておけミネルバ。ヴィンセントも悪気があって――……」











 ――ゾワッ。









 悪寒。

 突如襲った、チリチリとうなじを這いずるその不快な感覚に、モニカの顔がわずかに強張る。

 この感覚を、モニカはよく知っていた。いや、彼女にとって、嫌でも知らざるを得ない感覚と言うべきか。

 危険察知能力。

 それは主観的な判断を加えず、視覚や聴覚といった五感から受け取った情報を、無意識のうちに処理する力。

 計略と暗殺にまみれた世界で培(つちか)われた驚異の能力。命の危機を知らせるその自己防衛本能が今、モニカの中で激しく警鐘(けいしょう)を鳴らした。

 しかし……。

「(しかし、これは――?)」

 かつて経験した事もない胸騒ぎに、モニカは戸惑いを覚えていた。

 銃撃か?それとも爆弾?いいや、違う。もっと何か、鋭利で異質な殺気。

「モニカ様?」

 異変に気付き、ミネルバはモニカに話しかけた。ヴィンセントも、怪訝そうにミラーを覗いて後部座席を見る。しかしモニカは答えず、視線を宙に泳がせたままだ。

「…………」

 13度も刺客を退けた力がうまく働かない。視線を巡らせ方向を探るも、正体不明の気配は捕らえる事ができない。判断が鈍る。次の行動に移れない。



 右?



 前方?



 左?



 後方?







 …………。






 いや違う。これはもっと近く、もっと高い位置に……。









 ……高い、位置……?










「――上かっ!」

 目を見開き、窓越しに空を見上げるモニカ。

 教会堂の上。

 尖塔の頂にそびえる十字架に立つ黒い影が、真円を描く月を背景に見て取れた。







 ――見つけた。









 そんな声が、聞こえたような気がした。







 と。




ドガッ!!

 突如、凄まじい衝撃と共に車体が大きく前方に跳ねた。


 


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