薔薇の咲く夜に


ガギギィィィイイイイイイイイイイイイイイッ!

 衝撃で浮き上がった後輪が地面を何度も蹴り、車体がバウンドを繰り返す。ガタガタと激しい振動の中、まるで硬い物同士を擦り合わせるような激しい不快音が、3人の耳をつんざく。

「きゃああああっ!」

「っく!一体どうしたっ!」

「分かりません!ボンネットに、何かが……っ!」

 何が起こったのか分からず、運転席にしがみついてミネルバが悲鳴を上げるなか、前のめりで助手席のシートに叩きつけられたのか、モニカは額を押さえて前方に怒鳴りつけた。黒い物体に視界を遮られ、ヴィンセントはハンドルを左右に切りながら怒鳴り返す。激突したというよりも何かがボンネットに刺さり、エンジン部を突き抜けて、その尖端が石畳を削っているようだった。

 ヴィンセントは半ばハンドルにしがみつきながら、大きく蛇行をする車体を何とか立て直そうとするも、やがて――。

「うぁああああっ!」

ガシャッ!

 2本の黒くうねるタイヤのスリップ痕と1本の疵(きず)跡を石畳に残し、二人の乗った車は道路脇の木の柵にぶつかって止まった。

「ぐ、うう……」

 ハンドルに突っ伏し、ヴィンセントは小さく呻(うめ)く。

「ヴィンセント、ミネルバ。2人とも、無事か?」

 運転席と後部座席の隙間からモニカ、遅れてミネルバがゆっくりと身を起こす。シートは刻み煙草や灰が撒き散らされた惨憺(さんたん)たる状況であったが、幸いにして全員、大した怪我を負っている様子は見られない。派手な衝撃の割には、身体へのダメージは思いのほか小さかったようだ。

「え、ええ。無事です」

「は、はい。何とか……」

「そうか。なら、すぐに車から出ろ。――次が来るぞ」

「なっ!?」

「っ――!」

 モニカの言葉にヴィンセントとミネルバは慌ててドアを開け、彼女に続いて転がるように外へと飛び出す。

ズガッ!

 3人が脱出した直後、再び黒い物体が車を貫く。頭を押さえて地面に伏せていたヴィンセントは、そろそろと起き上がり、目の前の光景に絶句した。

「……インクレディービレ(信じられない)……」

 モニカもドレスの裾を軽く払いながら、黒い物体を見上げ、思わず苦笑いを浮かべる。

「……もう大概の事には驚かないと思っていたが。これは凄いな……鋏(はさみ)、か?」

「こんなに巨大な鋏があるんですか……?」

 髪形が乱れている事も忘れ、ミネルバは呆然と呟いた。

 ゆうに2メートルはあろう2本の黒い鋏状の鉄塊は、一方はボンネットを波打つほどにひしゃげさせながら車の下まで貫通し、もう一方は天井を容易く裂いて後部座席のシートに深々と食い込み、刃の先端が石畳を抉(えぐ)っていた。

 駆動軸がV字に歪み、底が沈んで道路に付かんばかりに凹(へこ)むその姿は、さながら標本箱に鋲で縫い止められた蝶の様にも見える。

 かつては車であった物体の凄惨な末路に、ミネルバとヴィンセントは思わず息を飲んだ。と、やおら懐の内側に手をかけ、2人は敏速な動作でモニカの側に立って周囲に目を配る。

「殺し屋の仕業、と考えるのが妥当でしょうか」

「だろうな。今日の天気予報は、鋏が降るなどと言っていなかったはずだ」

「しかし、こんな非常識な獲物を使う殺し屋なんて……まるでコミックの世界だな」

「ああ……一人だけ心当たりが、いる」

 モニカは鋏から視線を外し、改めて教会堂を見上げる。その視線の先、尖塔の頂上にあった影はすでにない。

 しかし、先程から感じる殺気はより一層の濃度を増し、言い知れぬ緊張感を伴(ともな)ってモニカの身体に絡みつく。

「闇から鋏を現出させターゲットを瞬斬する、成功率180%の暗殺者……」

バチッ――
ドゥンッ

 不意に、くぐもった爆音が辺りの空気を震わせる。ショートしたバッテリーの火花がエンジンオイルに引火したのか、串刺しとなった車のボンネットから炎が噴き上がった。

 漆黒に塗り潰されていた広場が黒煙立ちこめる車を中心に赤く彩られ、放射状に伸びる影が、ゆらゆらと陽炎のように小さく揺らめく。

「初めまして、シニョリータ」

 背後からかけられた声に、3人は素早く振り向く。

 見れば、広場中央の、小さな彫刻が施された涸れた噴水。

 苔(こけ)むした石段の上に立つ声の主が、舞い踊る火の粉に照らされて闇の中に浮かび上り、モニカ達の視界に忽然(こつぜん)とその姿を現した。


 


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