デートは命懸け


 突然の闇に、顎鬚が焦った声を上げる。
「撃つな! 撃つんじゃない! 味方に当たる!」
 この至近距離で、しかも全員が悠浬を囲むように銃を構えていたのだ。
 下手に発砲すれば、同士討ちになるのは必至だった。
「慌てるな! くそっ、すぐ予備電源を入れろ!」
 顎鬚の怒号に反応したわけではないだろうが、照明が戻った。
 だが、目の前に悠浬の姿は無かった。
 代わりに、金髪の美女が、いつの間にか半歩の距離まで近づいている。

「チャオ」
「なっ…!?」
 驚きの叫びを上げようとする顎鬚の口に、モニカは煙管を突っ込んだ。
「がごっ!?」
 前歯が砕け、男の口から鮮血が溢れる。
「政治活動をするならまず銃を捨てるべきだったな」
「あががっ…」
 モニカは腕を捻って、男を引き寄せると、薄く笑った。
 鋭い視線がますます鋭くなる。
 男の全身をかつてないほどの恐怖が駆け抜けていた。
「怖いか? フッ、暴力だけでは世界は変わらない」
「うひぁっ…」
「この世を変えるには金と権力、そして『信頼』が何よりも必要なのだ」
 男は地面に叩きつけられて、悶絶する。
「暴力にしか訴えられぬ貴様らが『信頼』を得られるとでも思ったか」
 モニカは煙管をくるりと回すと、テーブルの上にあった布巾を手にとって、血を拭う。
 そして、床でのた打ち回っている男の胸を踏みつけた。
「がはあっ!?」
 絶叫と骨の砕ける音が鳴り響き、血を吐いて男は気を失った。
「愚か者め…」

「素晴らしいご口上でした」
 ファミリーの一人が拍手をしながら近づいて来た。
 見れば、他のテロリストたちもマフィアによって一人残らずのされている。
 一方のこちらは無傷だった。
「ただの建前だよ」
「確かに」
「納得するな」
「ははっ、ドンの恐ろしさは身に染みていますからな」
 男はニヤリと笑った。
 女と言うだけで舐めてかかる者はいくらでもいる。
 だが、モニカは屈強なマフィアの男たちを規律を乱すことなく統率しているのだ。
 イタリア、いや、ヨーロッパにおいてすら、べェルレッタの異名"エトナの紫煙"の名を聞いただけで畏敬の念を抱くものは星の数もいるはずだ。
 組織を纏め上げる為に必要なのは厳格さと寛容さの微妙なバランスだ。
 厳格過ぎれば組織は崩壊し、寛容過ぎれば組織は馴れ合いの集団となる。
 モニカは絶妙なバランス感覚の持ち主だった。
「ですが、『信頼』が何よりも必要というのは真実でしょう。現に我々はあなたを信頼しているから、あなたについて行く」
「そうか、私はちゃんと信頼に足るか」
 モニカは顔の左半分を隠している金髪を撫でた。
 疼く。
 古傷が。
「ちょっとやそっとのことで我々の信頼は揺らがない。お忘れにならないでください」
「…………」
「まあ、本当の意味で我々の期待を裏切れば、我々は最も身近な刺客となる」
「わかっている。刺激的な関係だな」
 モニカは金髪を撫でるのをやめて、煙管を男に差し出した。
「まったくです」
 男は鷹揚な仕草で煙管に火を転じた。
 モニカは紫煙を吐くと、片手を上げて男たちを召集した。
「ゲスどもは縛り上げておけ。我々は、警察が来る前に引き上げる。厄介だからな」
「警察ならもういるッスよ」
 悠浬が、向かいのテーブルの影から顔を出した。
 彼の足元には、また別のテロリストが二人転がっていた。
 モニカは肩を竦めた。
「そうだったな。忘れていた」
「ちょっと傷ついたッス」
「冗談だ」
「きついッスね。テロリストのリーダーをぶちのめす役も取られちゃったッスしね」
「早い者勝ちだ。それに協力を仰いだのは貴様だ」
「そうッスね。とりあえず、ご協力感謝するッス。見ず知らずの警察官を『信頼』してもらって嬉しいッス」
 悠浬は相変わらずの調子で、軽く頭を下げた。
 モニカは薄く笑った。

 ちょうど、その時だった。
 絹を裂いたような雪絵の悲鳴が上がったのは。


 


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