『REPTILE』


 『例の男』ダグレイ・マッケランは、西部戦線の将軍のような形相で、再び黒塗りの車体へと身を入れた。
 「どいつもこいつも……」
 正面玄関では、オーナートム自らが見送っている。垂れ下がった頬の皮膚、目は細く、毛も薄い。かつてマッケランの右腕を務めた“ウィーラー・ドッグ・トム(腕利きのトム)”の面影はもはやない。
 マッケランは座席に寄りかかり、舌打ちした。
 運転手がエンジンをかける。ドイツ黒塗り車は音をたてて走り始めた。濁った排気ガスが、トムらホテル・アッパー・シート従業員の鼻腔を迫る。トムは咳払いをしつつ、我が主の愛騎を目で追った。黒塗りは、目覚め始めるその街を疾走し、やがて見えなくなった。トムは嘆息し、いまいちど、大きく咳払いをした。

 一方のマッケランは、一時間後に実質の本拠地である私有宝石店へと到着していた。店内を闊歩し、そのまま関係者の立ち入りを禁ずる階段へと足を進める。階段を登りつめると、一本の廊下が伸びている。一つの部屋へ通じるその廊下は、掃除も隅々まで行き渡っており、汚れ一つない。マッケランは巨大な扉の前に立った。その間を、黒服の黒人が二人で固めている。
 「ご苦労だ」
 マッケランはいうと、二人の肩を叩き、重い扉を開いた。
 扉の先から、英国の宮殿を思わせるような、煌びやかな一室が広がる。デスク、カーペット、壁に掛けられた絵、椅子までもが、その類の一級品であった。この部屋ひとつ見るだけで、マッケランの職業に疑問を持てるというものである。
 部屋には、すでに四名の男たちが腰掛けて待っていた。
 「………」
 マッケランは一瞥もくれず、一際大きな椅子に腰掛け、葉巻を咥えた。
 「トムは、いかがでしたか」
 四名の男のうちで最も若い男が、口を切った。
 「“ウィーラー・ドッグ”の肩書きは、われわれフィドルに属する者にとって一度は聞くビッグネームだ。ひょっとして、すでにヤツの尻尾をつかんでいるとか」
 若い男は矢継ぎ早に言葉を連ねた。
 それでもマッケランは、無言である。
 若い男は萎縮してしまい、困惑した顔で他の三人を見た。
 沈黙が流れた。四名の男は、はやくも対処に困っている。
 葉巻が、吐き出される。マッケランは一呼吸おき、静かに、低い声でいった。
 「“ドゥテージ・ドッグ・トム”(老いぼれトム)」
 そして、一呼吸。
 「今後ヤツを呼ぶときはそう呼べ」
 
 彼ら、すなわちマッケラン率いる麻薬組織fiddleはいま現在窮地に立たされていた。はじまりは、十日前の夜。マッケランの実弟であり組織No.2であるマシュー・マッケランが路地で惨殺されたことにはじまる。当初は対抗勢力による暗殺と推測されたが、翌々日に再び同じ状態で資金運営を担っていた老幹部が発見され、事件は連続性を帯びた。

 “レプタイル”
 事件後、組織内で囁かれはじめる、その名。
 “始末屋レプタイル”の名を、裏社会で知らない者は致命的である。
 その名は、我が主より強大で、FBIよりも厄介な存在を指す。
 始末屋それ自体、特異である。殺し屋が人を殺すことを目的に成立した職業であるとするなら、始末屋は、人を“潰す”ことを目的としている。そのほとんどが、重火器を使わない。拳足を駆使して襲撃を加えることを旨とする。命を絶つことより、気概を断つことを重く視る。ゆえに標的の生死は限らないが、生き永らえた者は必ずといっていいほど裏社会から足を洗う。二度と始末屋に出くわさないために。
 その中でも、とりわけ“レプタイル”は嫌悪される。
 理由は、その始末の特徴にある。依頼を受けても、幹部しか標的にしない。そうすることで、組織の実質的な壊滅を図る。じっさい、“レプタイル”の手によって二、三の組織が壊滅的打撃を受けた。

 点と点は、線へ。マッケラン率いるfiddle幹部二名の死は、必然的に“レプタイル”に結びついていった。

 次、狙われるのは?

 マッケランの顔が強張っていった。額から汗が噴出す。
 「ボス?」
 四名のうちの痩身が口を出した。
 マッケランは頷き、指示を飛ばす。
 「ロンドンへ連絡をとれ。分かっているな、野良集団を呼びつけろ。金はいくらでも出すといっておけ」
 「ハッ、かしこまりました」
 痩身は立ち上がり、背後の部下とともに部屋を退いた。
 すでに日は南中を遂げ、傾きはじめている。マッケランは妙な感情に見舞われ、自ら立ってカーテンを閉めた。
 「………レプタイル(爬虫類)。NY一の卑屈屋よ。貴様の思うとおりにはいかせん」


 イングランド中部、霧の街ロンドン。由緒ある町並みにはすでに月が映え、噴水の水面に星々が落ちている。町を象徴する摩天楼は神話のごとく天に向かって聳え、そこにはターナーの画を思わせる魅惑的な芸術が宿っていた。 
 だが、光のあるところには、必ず影がある。
 廃屋に集まり、談合する集団が、まさにそれであった。集団は輪を囲み、酒を飲み、肉を貪りながら、口々に意見を飛ばしあっている。
 その頭目らしき男が、立ち上がり、拳を振り回し、声を張り上げた。
 「英国紳士の気高さってやつを、見せてやろうじゃねえか、なあ!」

 目には目を、歯には歯を。
 
 イングランドの暗がり。
 ロンドンの始末屋が動き始めていた。



3に続く
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