『REPTILE』


 墓場があった。
 人、おらず。道、知れず。
 冷たい風が吹き抜けた。寿命幾許かの老樹が音をたてて揺れる。
 枯れ果てた荒地に、小さく土が丘陵を作っていた。粗末な石がその上に埋められ、小さく墓石の役を買っていた。その墓石には、白く、刻まれた文字が刻まれていた。
 『レイラ・ハリスン ここに眠る』
 角ばった文字でこの言葉を刻んだ者は、人と呼ばれていない。
 地を這う者、フレディ・レプタイルは木枯らしとともに墓石の前に現れた。
 雲。月。風。
 静かな大都会の一場面で、彼はその地に眠る女性レイラを想っていた。
 自らの組織の愚行により、命を失った女性。
 青い目、靡く金髪、陽光のような笑顔を持っていた女性。
 彼にとって彼女は、すべてだった。
 『懺悔』という言葉は、人間的な意味合いを強く含有する。罪を恥じ、内省し、悔い改めるというその行為は、常に愛を伴っている。感情と道徳を持つ人間にとって、敬うべき誉れの一つである。
 彼は、その誉れを実践した。彼女への愛ゆえに。
 たとえそれが、卑屈な行為だと罵られようとも。
 たとえそれが、悪の連鎖だと知ろうとも。
 彼はそうするしかなく、またそうすることで自分を納得させていた。
 フレディ・レプタイルは墓石に一輪のアネモネの花を投げ置くと、風のようにその場から消えていった。


 時は流れる。
 人は日光とともに寝覚め、月夜とともに眠りにつく。
 だが、まったく正反対の性質を持つ者も少なくない。
 時は、日に会わずして、夜へ。
 光を逃れ、闇に乗ずる者たちの時間。


 「戦争へ行くと思え」
 “ドゥテージ・ドッグ・トム”はホテル中層の私室で私宅を整えていた。ライフル、防弾着を備えたその姿は、さながら出撃前の軍人を思わせる。彼の背後には、すでに準備を終えた三人の部下が整列していた。

 レプタイルの行動を把握した!

 この実に疑わしい情報を、トムは頭からかぶりついた。諜報員がその報告を持ち帰るなり、鵜呑みにし、自ら追跡の支度を整え始めた。いまの彼は、どんなものであろうとも縋(すが)る気でいた。あの日、突然のボスの訪問。命じられる超A級始末屋の捕殺。失敗すれば、死によってのみ贖われることとなった彼の運命。一度は頂点を極めた男の人生は、坂道を転がる車輪のように下落の一途を辿っていた。あの日以来の彼の一日一日は、ドロローサの道を歩むに似る。少なくとも、彼自身はそう思っていた。

 わたしは、死に向かって歩く!

 不可避なこの残酷な運命を前に、彼は意を決し、そこに死に場所を選んだ。
 老兵は弾薬を装填し、部下たちに目をやる。みな、顔が強張っていた。無理もない。特別な訓練を施してきたとはいえ、実戦は今回が初めてなのだ。
 「初陣がレプタイルとは、お前たちも運がない」
 トムはいった。自らの運命により、破滅の道連れとなった彼らを心底哀れんだ。彼らはまだ若く、将来もあろう。できることなら、生き残ってもらいたい。
 トムはおもむろに、正面の部下の胸を小突いた。
 「ルガー44口径…」
 トムの拳には服を隔てて、しっかりと金属の触感が伝っている。
 「その娘(こ)は反動が激しい。その点、気をつけるように」
 老兵の目には、ウィーラー・ドッグの輝きは戻っていない。だが、彼は引き下がることができない。彼は運命を受け入れ、出撃を望み、臨んだ。
 時計の針が、刻々と進んでいく。
 「行くぞ」
 トムは低くつぶやいた。



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