『REPTILE』
5
午前1時。
ダグレイ・マッケランは五名のボディガードを従えて、私邸である宝石店を出た。
「月が見えないな」
空を見上げ、マッケランは呟く。なるほど月は淀んだ雲に覆われ、光一糸も通していない。疎らな電灯がマッケラン一行を照らし、彼らは宝石店を後にする。しばらく歩くと、裏路地に移動用の年代もののドイツ車がとめてあった。これより身を潜めるため、ボストンへ逃れねばならない。
車内に身を入れようとするマッケランの視界に、不快なものが飛び込んできた。
蜥蜴(とかげ)であった。
マッケランのすぐ足元の下水から、ひゅっと姿を現したその生き物。冷たい肌をくねらせながら、踊るように反対側の道路へ這っていく。
「蜥蜴だ。“爬虫類”だよ」
マッケランは舌打ちし、そのあとを追った。大股で、敏捷なトカゲの動きに迫っていく。ほかの部下たちは黙ってそれを見守るしかなく、マッケランはついに蜥蜴のすぐそばまで追いついた。
(射程距離)
マッケランは口をゆがめて笑う。
どんっ、という音が数メートル先の部下たちにも聞こえた。
潰された。
部下たちの顔が、不味いものを口に含んだように苦くなる。
ボスは、罪なき蜥蜴をお潰しになったのだ。
だがその先のマッケランの表情は、憤怒そのものだった。
「逃げられたっ!」
マッケランは道路を踏み鳴らし、子供のように叫んだ。
「あの野郎……!尻尾だけ残して、逃げやがった!!」
部下たちは嘆息し、マッケランの乗車を待った。
「いや、わたしたちはついている」
とはトムの言葉だ。三階建てアパートの屋上に潜み、柵から地上を見下ろしている。その目先に、黒服の男はいた。
求めていた男、レプタイル。
いくつかの目撃証言に全て合わさったその男は、紛れもなくレプタイルであった。
補足することは星を掴むよりも難しいといわれたレプタイルを、いまトムたちは両目で確かに捉えている。
忌々しいレプタイルは、路地に一人立ち、なにか考え事に耽っているようであった。
見る限り、こちらに気づいている様子もなく、ただジッと動かずに立ち尽くしている。
「この機会、逃してなるものか」
トムの士気も高まる。
まず彼の脳裏を過ぎったのは、殺すか、捉えるか、ということであった。この件についてマッケランは限定していない。ただ制裁を加えろ、そのように言っていた。
殺すならば、頭を撃てばよい。
捕らえるならば、足を撃てばよい。
どちらも、この角度からなら可能であろう。
トムは決断した。
「わたしが合図をしたら、一斉に頭を狙って撃て」
無線で指示を送る。三人のトム・ファミリーは、それぞれ異なるアパートの上で待機していた。彼らもまた、レプタイルの姿を確認している。
チャンスは一度。
トムは述懐する。一度きりの好機を逃せば、やはり自分は悲しみの道を歩むことになるだろう。死への道を。
トムの額から汗が噴出した。考えてもいない現象だった。
ふとレプタイルのつま先が動いた。
(……動くか!?)
トムはスコープに目をあてがい、狙いを定める。
人の隙は、“動作を終えたさい”より生じることを、彼は知っている。
その好機は、レプタイルが一歩踏み出したときに存在することも。
レプタイルの、右足が動いた。
「………ッッ、撃て!」
四発の銃声。
硝煙とともに、地上には男の姿があった。
無傷。
サングラスの奥から、屋上のトムを睨みつける、執拗な眼光。
レプタイルは立っている。
「しくじった!?避けられたというのか!?」
トムは一瞬、怖気づいたが、すぐさま次弾を装填し、再び銃を構えた。
「焦るな!状況はまったく変わっていない!」
再びスコープに目を覗き込ませる。
「死ッ……ね?」
勢声を放った直後、彼自身の時が止まった。
いつの間に現れたのか、銃口の前に立ちはだかる、灰色のコートの男。
「誰だ」
灰色のコートの男は、トムの銃を打ち払い、つづいて頭を蹴り飛ばした。血管を切られ、老いた頭蓋から血が流れ落ちる。
「状況なら変わったさ、トム。オレらが来てしまった」
影が伸びた。
尻をつき、怯えるトムに、廻し蹴りの追い討ちが下る。
「アンタ……」
トムは震える唇でいった。男はトムを静かな目で見下ろしている。
「オレらが誰だか、分かるかい?」
オレ、ら。
トムはハッとし、三人の部下たちを見回した。彼の優秀な部下は、今まさにトムと同じ状況下に置かれていた。蹴られ、殴られている。
トムには聞き覚えがあった。
イギリスに、集団で行動し、非道極まるやり方を得意とする始末屋集団があることを。
「ロンドンの……ッ」
トムは睨むようにして男を見上げた。
「ご名答。アンタの主人に世話になってるロンドンの野良集団さ」
灰色のコートの男は、トムの目の前でゆらゆらと手の掌を舞わせた。
「オレの名はブラッド・デル。……名乗る必要もねぇか」
瞬間、光の閃きがトムの首筋を瞬いた。
鮮血。
「始末」
ブラッドはいった。
6に続く
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