『REPTILE』


 午前1時。
 ダグレイ・マッケランは五名のボディガードを従えて、私邸である宝石店を出た。
 「月が見えないな」
 空を見上げ、マッケランは呟く。なるほど月は淀んだ雲に覆われ、光一糸も通していない。疎らな電灯がマッケラン一行を照らし、彼らは宝石店を後にする。しばらく歩くと、裏路地に移動用の年代もののドイツ車がとめてあった。これより身を潜めるため、ボストンへ逃れねばならない。

 車内に身を入れようとするマッケランの視界に、不快なものが飛び込んできた。
 蜥蜴(とかげ)であった。
 マッケランのすぐ足元の下水から、ひゅっと姿を現したその生き物。冷たい肌をくねらせながら、踊るように反対側の道路へ這っていく。
 「蜥蜴だ。“爬虫類”だよ」
 マッケランは舌打ちし、そのあとを追った。大股で、敏捷なトカゲの動きに迫っていく。ほかの部下たちは黙ってそれを見守るしかなく、マッケランはついに蜥蜴のすぐそばまで追いついた。
 (射程距離)
 マッケランは口をゆがめて笑う。
 どんっ、という音が数メートル先の部下たちにも聞こえた。
 潰された。
 部下たちの顔が、不味いものを口に含んだように苦くなる。
 ボスは、罪なき蜥蜴をお潰しになったのだ。
 だがその先のマッケランの表情は、憤怒そのものだった。
 「逃げられたっ!」
 マッケランは道路を踏み鳴らし、子供のように叫んだ。
 「あの野郎……!尻尾だけ残して、逃げやがった!!」
 部下たちは嘆息し、マッケランの乗車を待った。


 「いや、わたしたちはついている」
 とはトムの言葉だ。三階建てアパートの屋上に潜み、柵から地上を見下ろしている。その目先に、黒服の男はいた。
 求めていた男、レプタイル。
 いくつかの目撃証言に全て合わさったその男は、紛れもなくレプタイルであった。
 補足することは星を掴むよりも難しいといわれたレプタイルを、いまトムたちは両目で確かに捉えている。
 忌々しいレプタイルは、路地に一人立ち、なにか考え事に耽っているようであった。
 見る限り、こちらに気づいている様子もなく、ただジッと動かずに立ち尽くしている。
 「この機会、逃してなるものか」
 トムの士気も高まる。
 まず彼の脳裏を過ぎったのは、殺すか、捉えるか、ということであった。この件についてマッケランは限定していない。ただ制裁を加えろ、そのように言っていた。
 殺すならば、頭を撃てばよい。
 捕らえるならば、足を撃てばよい。
 どちらも、この角度からなら可能であろう。
 トムは決断した。
 「わたしが合図をしたら、一斉に頭を狙って撃て」
 無線で指示を送る。三人のトム・ファミリーは、それぞれ異なるアパートの上で待機していた。彼らもまた、レプタイルの姿を確認している。
 チャンスは一度。
 トムは述懐する。一度きりの好機を逃せば、やはり自分は悲しみの道を歩むことになるだろう。死への道を。
 トムの額から汗が噴出した。考えてもいない現象だった。
 ふとレプタイルのつま先が動いた。
 (……動くか!?)
 トムはスコープに目をあてがい、狙いを定める。
 人の隙は、“動作を終えたさい”より生じることを、彼は知っている。
 その好機は、レプタイルが一歩踏み出したときに存在することも。
 レプタイルの、右足が動いた。
 「………ッッ、撃て!」
 
 四発の銃声。

 硝煙とともに、地上には男の姿があった。
 無傷。
 サングラスの奥から、屋上のトムを睨みつける、執拗な眼光。
 レプタイルは立っている。
 「しくじった!?避けられたというのか!?」
 トムは一瞬、怖気づいたが、すぐさま次弾を装填し、再び銃を構えた。
 「焦るな!状況はまったく変わっていない!」
 再びスコープに目を覗き込ませる。
 「死ッ……ね?」
 勢声を放った直後、彼自身の時が止まった。
 いつの間に現れたのか、銃口の前に立ちはだかる、灰色のコートの男。
 「誰だ」
 灰色のコートの男は、トムの銃を打ち払い、つづいて頭を蹴り飛ばした。血管を切られ、老いた頭蓋から血が流れ落ちる。
 「状況なら変わったさ、トム。オレらが来てしまった」
 影が伸びた。
 尻をつき、怯えるトムに、廻し蹴りの追い討ちが下る。
 「アンタ……」
 トムは震える唇でいった。男はトムを静かな目で見下ろしている。
 「オレらが誰だか、分かるかい?」
 オレ、ら。
 トムはハッとし、三人の部下たちを見回した。彼の優秀な部下は、今まさにトムと同じ状況下に置かれていた。蹴られ、殴られている。
 トムには聞き覚えがあった。
 イギリスに、集団で行動し、非道極まるやり方を得意とする始末屋集団があることを。
 「ロンドンの……ッ」
 トムは睨むようにして男を見上げた。
 「ご名答。アンタの主人に世話になってるロンドンの野良集団さ」
 灰色のコートの男は、トムの目の前でゆらゆらと手の掌を舞わせた。
 「オレの名はブラッド・デル。……名乗る必要もねぇか」
 瞬間、光の閃きがトムの首筋を瞬いた。
 
 鮮血。

 「始末」
 ブラッドはいった。



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