『REPTILE』
7
風のような動きであった。
背後で苛立っていた男は両腕を広げて飛び掛っていた。太い腕の男であった。魔法瓶なみの肉質を持ったその腕で、背後からレプタイルの首を折ろうとしたらしい。らしい、というのは推測にすぎないからであった。男の襲撃は失敗に終わった。
背後からの攻撃とほぼ同時に、レプタイルは体を翻していた。そのまま背後の男と相対し、男よりも速く、拳を叩き込んだ。相手の気迫に怯むことなく、一直線に放たれた矢のような拳は、その一撃で相手の鼻骨を砕いた。
腕太の男の巨大な体が揺らぐ。
レプタイルは、さらに拳を打ち込んだ。鼻に。
たてつづけに、今度は左拳で打ち込む。狙いはやはり鼻であった。
男の容姿が、明らかに顔だけ変わっていた。
次にレプタイルは、流血する相手を前に、頭を落とすようにして屈んだ。
背後にいたもう一人の男が、殴りかかっていたのであった。それを回避するために、屈んだのである。
びゅん、と男の拳が空を切った。ただの拳ではない。
“人を殺すことのできる”拳である。
ダッキングの姿勢のまま、レプタイルの下段の足刀蹴りが飛ぶ。
膝の砕ける音がした。男は、自分の膝の砕けると音をたしかに聞いた。ぞっとするような音であった。
そして、顎を上へ弾くように、廻し蹴り。
男は空を仰いだ格好のまま、文字通り膝を崩して倒れた。
鼻骨を粉砕された男は、なおも両足で地面を着いている。だが、士気は皆無に等しかった。顔面から血を噴出したまま、おろおろしている。血で、目が見えないらしかった。
レプタイルの蝮のような目が、サングラスの底から映えている。
「おい」
ブラッドが自分に背を向けているレプタイルを呼んだ。
彼自身はこの数秒の攻防を黙ってみていた。
「そのへんにしておきな」
冷たい風が路地に吹いた。
レプタイルは、動いていた。
鼻骨の男を足払いで転がし、顎を抑えて仰向けにさせた。
鼻骨の男は見えない目で空を見ていた。自分がどんな状況にあるかもよく分かっていない。
ブラッドには、分かる。レプタイルが彼をどうするか。
「おい」
ブラッドは再び呼んだ。一層強い声になっていた。
路地にいやな音がした。
レプタイルが、仰向けの男の鼻骨をさらに砕く音であった。
もはや原型をとどめていない鼻骨であった。
二度、三度、たてつづけにレプタイルの踵蹴りがこだました。
男の意識はもはやあるまい。あれば地獄であろう。
屋上に待機していたブラッドの部下たちがざわつきはじめていた。
それに対しブラッドは、ただ待機を命じ、自身も見守っていた。
七度目にして、レプタイルは行動をやっと終えた。
「始末」
彼はいい、つづいてブラッドに目をやった。
レプタイルの始末。
裏社会に生きる誰もが耳にする最悪の言葉。
鼻骨の男は、生物学上はどうであれ、裏社会上は、たったいま死んだ。
もう彼がこの社会に生きようと思うことはない。彼はこの鼻骨を砕かれる記憶を背負ったまま、ただただ安穏に生きることを望むはずである。
ブラッドはレプタイルと正面から向かい合った。
数分前とはまるで違う雰囲気を、いまのレプタイルはもっていた。静かな物腰ではあるものの、怖い。恐怖を具現化したような存在であった。サングラスの奥で光る目は、まるで自分の心臓を見ているようである。ただ目の前の食物を丸呑みしたい、そういう“爬虫類”の顔であった。
“これがレプタイルか”
とブラッドは心底思った。
粗暴さで名を馳せる自分たちであった。集団で襲いかかり、もっとも最悪な形で始末を完了させる、もっとも凶悪な始末屋の群れであるはずであった。
しかしいま、同じ世界で半ば伝説と化している存在を目の前にし、その誇りは掻き消えた。
ろうそくの灯る炎に、風が吹いたようであった。
だが、炎は揺らぐにとどまっている。
同じ道で競争するライバルとして、目の前の男を倒さねばならない。そんな心境で、ブラッドは立っている。
自信もあった。
“始末(や)れる”
ブラッドは笑い、指を鳴らした。
レプタイルはそれに対し、あくまでクールに吐き捨てた。
「オレは上品じゃなくてね」
ブラッドの顔が変にゆがんだ。笑っているのか怒っているのかわからない顔になった。
「オレたちもそうさ」
8に続く
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