『REPTILE』
9
見事だ。
と、ブラッド・デルは感じていた。
自分がだろうか、レプタイルがだろうか、自分でもよく分からない。
だが彼は、いまこの状況を“見事だ”と感じていた。
グッと両手を硬くする。再び、獣の爪を模る。レプタイルとの距離は三歩。一足で近づくこともできようが、それは危険であった。反応は、あちらのほうが速いと、先ほどの攻防が教えている。
攻防?
ブラッド・デルは苦笑した。
さっきの攻撃の、どこか攻防だというのか。
じりじりと距離を縮め、ほどよい距離になると、ブラッドは飛んだ。
推進力を利かせた指による手刀。
風を切る音が、彼自身の耳に聞こえた。鉈のようであった。
しかしレプタイルは、その鉈を片手で捌く。
その後も、上、左、右、中、あらゆる軌道から放たれる鉈を、レプタイルは捌いていく。
「しゃァ!」
六撃目にして、はじめてブラッドが足を使った。
狙いは、先ほどのレプタイル同様に膝。
膝を砕かれた者は、直立を失うどころか、バネを失い、まともに攻撃が繰り出せなくなることを、この始末屋二人は知っていた。
衝撃音。
レプタイルは踵でそれを受け止め、やはり捌く。
ブラッドは、それを予測していた。彼にとっての足技は布石に近い。
ブラッドは跳ねた。
跳ね、レプタイルのサングラスに向かって指をVの字に突き出した。
鉄の指での目潰しであった。
風も、空間まで切り裂きような速さで、ブラッドは指を突き出した。
レプタイル!!
指は流された。
鉄の必殺も、相手がレプタイルとあってはほんの手遊びにすぎないのだ。
反撃に転じたレプタイルの拳の弾丸が唸る。
頬を打った。
強烈な衝撃によって、ブラッドは後方へ飛ばされた。
なんという男、レプタイル。
ブラッドは体勢を整え、構える。
少量の冷や汗を、拭った。
怖れているはずはなかった。
突如、目の前の存在が揺らいだ。
レプタイルから攻撃をしかけてきたのだ。
ブラッドの腰が落ちる。右腕を前面、左腕を腰の位置で構えた。
レプタイルの前蹴り。鋭い剣先がブラッド目前の空を貫いた。まともに受ければ、防御を貫き、内蔵を抉ってしまうような破壊性を、その右足は持っている。
ブラッドは再び下がり、やり過ごした。唇が剥き出しになっている。
「がぁ!」
犬が吼えた。
一歩下がったブラッドが、飛び上がった。
インディアンの石斧のように、右腕を縦に振るう。
稲妻のような攻撃であった。
しかしレプタイルは、それでもレプタイルだと言わざるをえないような行動をとった。
―――ブラッドの右手首を獲った。
稲妻は、爬虫類の粘着力のある手に、収まった。
次にブラッドが見たのは、曇天の空だった。
そのまま、重力を全身で受け、地面に叩きつけられる。
頭蓋骨を、側面から強打した。このところ感じたことのない激痛が、ブラッドを襲っていた。
頭に石ころを詰められたような気分だった。吐き気もする。
だがブラッドは、決して悲鳴をあげたりはしなかった。悲鳴をあげれば、少なくともいまは対等であるレプタイルが、ずっと追いつけないものになってしまうと、ブラッドは考えていた。
死んでも悲鳴をあげてはならない。
そう、死んでもだ。
叩きつけられてから一秒もたたないうちに、ブラッドは首を持ち上げて立ち上がった。
ブラッドは十本の指に神経を集中させた。
たった一度でよかった。たった一度でも喉に触れることができたなら。
経験が、ブラッドに語りかけた。
それは自分でも分かっている。
自分の指は、ナイフよりも鋭い。
分かっている。分かっている、が。
瞬間、ブラッドの背筋を冷たい感覚が貫いた。
――なにを見ているんだ、オレは
ブラッドは青い目で真っ直ぐ見ている。
――なにを見ているかだと?
彼の背から、虫を沸いて出てきたようだった。それも大量の虫が。
――違う。それは問題ではない。
虫は、ぞっとするような音をたてながら、首へ近づいていく。
――オレは、なにも見ていない。
ブラッドの前方には、誰もいなかった。
曇天の、月もない路地裏。灰色の石が転がっているつまらない風景。
ブラッドの背を駆け上がっているのは、虫ではない。
もっと冷たい感覚が、ブラッドの背を伝っていた。
這っていた。
冷たい感覚が、這っていた。
ブラッドの青い目は、もうなにも見なかった。
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