『REPTILE』


 見事だ。
 と、ブラッド・デルは感じていた。
 自分がだろうか、レプタイルがだろうか、自分でもよく分からない。
 だが彼は、いまこの状況を“見事だ”と感じていた。
 グッと両手を硬くする。再び、獣の爪を模る。レプタイルとの距離は三歩。一足で近づくこともできようが、それは危険であった。反応は、あちらのほうが速いと、先ほどの攻防が教えている。
 攻防?
 ブラッド・デルは苦笑した。
 さっきの攻撃の、どこか攻防だというのか。

 じりじりと距離を縮め、ほどよい距離になると、ブラッドは飛んだ。
 推進力を利かせた指による手刀。
 風を切る音が、彼自身の耳に聞こえた。鉈のようであった。
 しかしレプタイルは、その鉈を片手で捌く。
 その後も、上、左、右、中、あらゆる軌道から放たれる鉈を、レプタイルは捌いていく。
 「しゃァ!」
 六撃目にして、はじめてブラッドが足を使った。
 狙いは、先ほどのレプタイル同様に膝。
 膝を砕かれた者は、直立を失うどころか、バネを失い、まともに攻撃が繰り出せなくなることを、この始末屋二人は知っていた。
 衝撃音。
 レプタイルは踵でそれを受け止め、やはり捌く。
 ブラッドは、それを予測していた。彼にとっての足技は布石に近い。
 ブラッドは跳ねた。
 跳ね、レプタイルのサングラスに向かって指をVの字に突き出した。
 鉄の指での目潰しであった。
 風も、空間まで切り裂きような速さで、ブラッドは指を突き出した。
 レプタイル!!
 指は流された。
 鉄の必殺も、相手がレプタイルとあってはほんの手遊びにすぎないのだ。
 反撃に転じたレプタイルの拳の弾丸が唸る。
 頬を打った。
 強烈な衝撃によって、ブラッドは後方へ飛ばされた。

 なんという男、レプタイル。
 ブラッドは体勢を整え、構える。
 少量の冷や汗を、拭った。
 怖れているはずはなかった。

 突如、目の前の存在が揺らいだ。
 レプタイルから攻撃をしかけてきたのだ。
 ブラッドの腰が落ちる。右腕を前面、左腕を腰の位置で構えた。
 レプタイルの前蹴り。鋭い剣先がブラッド目前の空を貫いた。まともに受ければ、防御を貫き、内蔵を抉ってしまうような破壊性を、その右足は持っている。
 ブラッドは再び下がり、やり過ごした。唇が剥き出しになっている。
 「がぁ!」
 犬が吼えた。
 一歩下がったブラッドが、飛び上がった。
 インディアンの石斧のように、右腕を縦に振るう。
 稲妻のような攻撃であった。
 しかしレプタイルは、それでもレプタイルだと言わざるをえないような行動をとった。
 ―――ブラッドの右手首を獲った。
 稲妻は、爬虫類の粘着力のある手に、収まった。
 次にブラッドが見たのは、曇天の空だった。
 そのまま、重力を全身で受け、地面に叩きつけられる。
 頭蓋骨を、側面から強打した。このところ感じたことのない激痛が、ブラッドを襲っていた。
 頭に石ころを詰められたような気分だった。吐き気もする。
 だがブラッドは、決して悲鳴をあげたりはしなかった。悲鳴をあげれば、少なくともいまは対等であるレプタイルが、ずっと追いつけないものになってしまうと、ブラッドは考えていた。
 死んでも悲鳴をあげてはならない。
 そう、死んでもだ。

 叩きつけられてから一秒もたたないうちに、ブラッドは首を持ち上げて立ち上がった。
 
 ブラッドは十本の指に神経を集中させた。
 たった一度でよかった。たった一度でも喉に触れることができたなら。
 経験が、ブラッドに語りかけた。
 それは自分でも分かっている。
 自分の指は、ナイフよりも鋭い。
 分かっている。分かっている、が。

 瞬間、ブラッドの背筋を冷たい感覚が貫いた。

 ――なにを見ているんだ、オレは
 ブラッドは青い目で真っ直ぐ見ている。
 ――なにを見ているかだと?
 彼の背から、虫を沸いて出てきたようだった。それも大量の虫が。
 ――違う。それは問題ではない。
 虫は、ぞっとするような音をたてながら、首へ近づいていく。
 ――オレは、なにも見ていない。

 ブラッドの前方には、誰もいなかった。
 曇天の、月もない路地裏。灰色の石が転がっているつまらない風景。

 ブラッドの背を駆け上がっているのは、虫ではない。
 もっと冷たい感覚が、ブラッドの背を伝っていた。
 這っていた。
 冷たい感覚が、這っていた。

 ブラッドの青い目は、もうなにも見なかった。



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