スノウ・ホワイト
〜雪のように白く、雪のように儚く〜
第2話
作者 堕天使
| あれは、私がTAKAの陰謀に巻き込まれた直後……単なる一科学者から上級幹部に指名される間に起こった。 私の心を今も締め付ける、あの事件が。 「人造人間の教育、ですか?」 「ああ。君にお願いしようと思ってね」 あの事件から三日後。これからの行く道もわからず、ただ呆然と自分が今まで携わってきた研究の資料を漁っていた時、ある科学者に頼まれたことがそれだった。確か彼の名は、nagureoといった。 その時クァトゥールの立場は、微妙なものとなっていた。NESTSが精鋭を注ぎ込んできたプロジェクト“K'”。その全ては他の部署に全権を移された。三人の科学者の内、二人は失踪した。一人残されたクァトゥールには、その全ては無かったかのようにされた。何がなにやらわからず自暴自棄になっていたクァトゥールに、仕事など廻ってくるはずがなかった。そんな矢先のことである。 「失礼ですが、他を当たってください」 とにかくあれ以来から、煩わしくなった人との付き合い。急いでこの場を立ち去るように、デスクの上にあるファイルを適当に集めてクァトゥールは席を立ちかけた。 「どうしても、君にお願いしたいんだ」 しかしnagureoは引き止めるでも進路を塞ぐでもなく、その場から一歩も動かずにそう続けた。クァトゥールとしては一刻も早くこの場を去りたかったが、何故今の自分にそこまで頼るのか、さすがに気にはなった。その好奇心から、クァトゥールは足を止め肩越しに振り向いた。 「何故……私なんです? 私は、教育などできるような人間ではありません」 「いや、君ならできると確信している」 しかしnagureoはあっさりと即答した。まるで予めこのやり取りが予想されていたかのように。 「まあ、見るだけならいいだろう? 断るかどうかはその後で、ってことで」 その後は、半ば強引に彼の研究室へと連れられた。 元々クァトゥールにその以来を請け負う気などまったく無かった。こうしてついていけば向こうの気も晴れるだろうと、そう思っての行動だった。 「さ、この中だよ」 彼の研究室は、非常に殺風景だった。必要最低限の物だけが揃えられ、生活の匂いというものがまるっきり感じられない。その部屋の中には、一本のバイオカプセルがそびえ立っていた。 「ささ、ちょっと下がってくれたまえ」 まるで友達でも部屋に入れたような軽さでそう言い、バイオカプセルの横にある操作パネルをいじり始めた。それからすぐに、気バイオカプセルから白い煙が沸き起こり始めた。その空気はあっという間に部屋中に蔓延し、真冬の寒気を思わせる肌寒さを感じさせる。 まもなくして、バイオカプセルの中から小柄な人影が現れた。部屋中を覆わんばかりに広がる煙に視界を遮られ確認できないが、その背丈は異様に小さい。 不意に、その人影が小さく揺らいだ。 「あっ……」 一輪の野花を思わせる声を上げ、人影は何かに躓いたように前のめりに倒れこむ。一瞬でそれを察したクァトゥールは、素早く駆け寄ってその体を受け止めた。 「すまんすまん、換気を忘れていた」 ファンの軌道音が鳴り響き、部屋に充満していた白煙が凄まじいスピードで室外に吐き出されていく。視界が開けたその時、クァトゥールの腕には一人の少女が横たわっていた。 「ん……」 少女は僅かに顔を歪め、目覚めのうめき声を上げる。 「おい、お前……」 そう言おうとした瞬間、クァトゥールは瞬間的に目を逸らした。少女は、当たり前といえば当たり前だが一子纏わぬ姿でそこにいた。年はおよそ14ぐらいだが、踏み荒らされてない新雪のように透き通った瑞々しい肌が、その少女をさらに若く見せている。腰ほどまで届くほどの髪は、肌と同じく真っ白だった。今まで触れたこともない、眩い光を発する、そんな白だった。 なるべく少女の顔だけを見ながら、クァトゥールは少女の体を微妙な力加減で揺する。 「大丈夫か? 大丈夫なら何か答えてみろ」 少女の体を揺する行為、次第にそれが何物にも勝る大罪のように感じる。少女の体は粉雪で形作られたかのように儚げで、ただ体を揺するだけでも崩れてしまいそうな印象を受ける。 ほんの1分ほどして、少女はゆっくりと目を開いていき、寝惚け眼のまま眼前のクァトゥールを見上げ、 「パパっ!」 という元気な声と共に飛び起きた。 「適当に座っておけ」 ぞんざいに言い放ち、壁に掛けられたハンガーに白衣を通して戻す。その間に、雪の少女はさして広くもない部屋を駆け回り、少ない装飾品の内の一つであるソファーに身を投げ出した。スプリングがほとんどバカになっているソファーは、少女の体重を受け止め軋んだ音を立てる。 少女は屈託のない笑みを浮かべたまま、クァトゥールの自室をきょろきょろと興味深げに見回していた。薄汚いその部屋に、一切の汚れのない純白のワンピースを着た白い少女は、非常に不釣合いな印象を受ける。 「少し手間取ったな……そろそろ夜食にするか?」 「うん!」 少女は元気よくそれに答え、相も変わらずクァトゥールをじっと見つめている。そんな状況になど慣れてないクァトゥールは、どこか居心地の悪さを感じつつ厨房へと歩いていった。 『スノウ・ホワイト……この子の名だ。頼んだぞ』 ほんの数時間前に掛けられたnagureoの言葉。その言葉の真意を探ろうと、何度も何度も、胸中で一言一文字単位の反芻を繰り返す。だが、一欠けらたりともその答えは見つからなかった。 「ねぇ、パパ〜」 ふと、スノウが間延びした声でクァトゥールを呼ぶ。首だけそちらに向けると、スノウはいつの間にか彼の机の側にいた。爪先立ちを繰り返しなんとか机の上に視線が届くようにし、可愛らしい仕草のまま机の上のパソコンを指差していた。 「パパ〜、テレビ見たい〜」 「………それはテレビじゃない」 ちょうど夜食の支度が済み、数枚の食器が乗せられたトレイを持ってスノウに言い聞かせる。 「え〜、テレビじゃないの〜?」 「この部屋にテレビはない」 それを聞いてスノウはちょっと頬を膨らませたが、トレイの上に乗せられた料理の匂いに誘われてか、けろっと表情を戻して駆け寄ってくる。 テーブルにトレイを置きながら、そういえば久しぶりに厨房を使ったような気がすると、ふとそんなことを思っていた。 クァトゥールの暮らしといえば、いつも研究室に篭り、部屋には睡眠をとるためだけに帰ってきていた。そして起きればその足で研究室へ出向く、それがクァトゥールの日課だった。当然そんな暮らしをしている男が、呑気で部屋でテレビを見ていたり、料理に時間を割くことなどありえなかった。 「…………てだな」 「?」 「いや……何でもないよ」 ぽつりとこぼれかけた呟きは、スノウの耳に僅かながら届いていた。しかし意味のある言葉を聞き取れなかったスノウは首を傾げる。そんなスノウの頭を、クァトゥールは優しく撫でた。 (初めてだな……誰かと食卓を囲むのは……) 本人すらも知りえない感情が、次第にクァトゥールの中に芽生え始めていた。ただその感情はとても微弱で、とてもクァトゥールの意識には届きそうにない。 そして、クァトゥールは気付いていなかった。あの事件から自暴自棄になっていた彼の顔に、少しながら生気が戻ってきていることを。 |