翼の拳
〜Fists of Wings〜


第7話

作者 ナニコロ

 刻は数十年前にさかのぼる。
 中国に1人の男がいた。己の武勇を若さの翼に乗せて、天を掴むために、修練に励んでいた。誰よりも強く、誰よりも高く、『はばたく』ために、血の滲む鍛錬を繰り返す。そして、若い翼は疲れることも諦めることを知らぬように、どんなに強固な壁をも飛び越えて、より強く高くはばたいていた。
 しかし、強さへの欲求は、果てない食欲のように姿を変貌させていった。署名な格闘家へ闇討ちとも言える、『死合い』を決行しはじめた。
 より強者を求め、闘い、そして、叩き伏せる。
 誰よりも強く! 誰よりも強く! 誰よりも強く!
 俺は強い! 俺は強い! 俺は強い!
 男の欲望は止まらなかった。
 ある時、噂に聞いた武道の達人と戦うために、男はその道場を訪れる。
 道場破りをする予定だった。
 だが、そこで目にしたのは……倒されて床に伏せている全ての門下生、達人と思われる血にまみれ倒れる男……そして、その地獄絵の中心に立つ黒服をまとった……少女。
 男は、少女に向かって攻撃を仕掛けていた。
 無我夢中だった。無意識がはっきりと悟っていた。
 倒さなければ自分が死ぬということを。
 どんな強者と戦っても、どんな死の局面に達しても感じることのない、感覚。
『恐怖』。
 あれから、どれほど時が経っただろう。
 目覚めたときは病院だった。男の命は助かった。
 だが……その代償はあまりに大きい。
 男は、夢見た天への道は想像を絶する困難さだということを知った。
 しかも、自分を負かしたのは少女だったこと。そう……わずか『10代前半くらい』の少女だったのだ。
 最後に少女は、こう名乗っていた。
『“疾風怒濤の”葉月』。
 男の翼は、根元から削がれた。


 扉の叩かれる音に、男は目を覚ました。
「入るヨ」
 部屋は酒のビンやツボ、容器がそこらじゅうに転がっていた。
 その部屋にゆったりとした中国服をまとった女が1人、入ってきた。
 女はその部屋の様子に、やや飽きれた顔を見せる。
「一段と酒の量が増えたヨ。少しは控えたほうがいいんじゃなイ?」
「……最近……また……あの夢を見るようになった……。
 ……酒でも……飲まないとやってられない……」
 男は、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「でも、炎虎……貴方これから試合ヨ? そんな酔っ払って大丈夫?
 貴方はこの大会のチャンプなのヨ。しっかりしないと」
 男……炎虎は、女に目を移す。
「何が……チャンプだ……。
 どうせ……酔っ払おうが……眠ってようが……俺の勝ちになる……イカサマだろう……」
 それでも炎虎は立ち上がる。
 無気力な瞳、人生に疲れきった顔……だが酔っ払っていることを感じさせない強い足取りで、試合場に向かった。


 マフィア開催の試合は大きな大会の他にも、小さな試合をちょくちょくと開催している。
 大会でない単発な試合の試合は、大陸から海を渡ってくる亡命者や密航してくる者同士による死闘である。マフィアは、その立場を利用して彼らを死闘させる。文字通り、命を賭けて戦う為、富豪が大金を賭け見物をしているのである。ディナーショーのような雰囲気の最中、繰り広げられる戦いは凄絶である。腕が折れようと、どちらかが動けなくなるまで戦う。勿論、ルールなんてものはない。
 負ければ死。
格闘試合というよりは公開殺し合いである。
 一方で、マフィアが署名の格闘家を連れてきて、大会のチャンプ……つまり炎虎と戦わせるものもある。こちらは、単にイカサマの賭け試合である。
 炎虎は、チャンピオンとして試合場にたった。
 今日の試合も、どこからか連れてきたゲスト選手。名前は確か……ハイン。
 どうでもいいことだ……どうでも。
 炎虎は相手を見ながら心の中で呟く。
「よう、チャンプ!」
 相手……ハインが話しかけてきた。
 ハインは、会話が聞こえないように近づき、声を小さくした
「……俺よぉ『善戦してるように見せかけて負けろ』なーんて言われているんだけどよ」
「……」
「俺……自分に全財産かけたぜ。お飾りのアンタに勝って、大もうけする予定だ」
「マフィアに逆らったら……まず……死ぬな……」
「生きりゃ、いいんだろ?」
 言うとハインは自分のコーナーに向かった。
 炎虎は、無意識に笑みを浮かべていた。その顔に薄っすらと生気が宿っていた。
 両者がコーナーに移動すると、試合開始のゴングが鳴った。
 ハインが、余裕の顔で走り出す。酔っ払い相手に、まず負けないと思っていたのだろう。
 しかし、その顔が凍りついた。
 会場が揺れた。
 文字通り『揺れた』のだ。
 炎虎が床を蹴ったため、会場が揺れたのだ。
 ハインにしてみれば、会場が揺れた瞬間に、目の前に炎虎が肉薄していた。
 そして、ハインが反応する間もなく、炎虎の掌底の一撃がハインの腹部に決まる。
 開始、実に数秒。
 ハインが身体を九に曲げる。
 苦悶の声を上げるハインに、炎虎は顔を向ける。
「さあ……たて……。お前は……天を目差すのだろう……。
 俺に……勝つつもり……だろう?
 マフィアさえも恐れず……強さで……生きるつもりだろう?
 さあ……さあ、たて!
 立って俺を越えてみろ!
 己の足で立ち上がり、己の拳をもって、己の意思をもって、勝って見せろ!
 強さを誇り、強さを貫き、強さを誇示してみせろ!
 さあ、早く早く早く早く早く早く早く早く!!
 闘いはこれからだ!!」
 だが……ハインは、立たなかった。
 ハインの顔には明かに、恐怖と苦痛で引きつり、試合は続行不可能だった。
 たった一撃。これで終わりだった。
 炎虎の顔に……再び深い絶望の色が戻っていた。

「炎虎……ヤンフー!」
 試合会場を後にする炎虎に、女が話しかけてきた。
「勝ったけど、今日の試合は頂けないヨ」
「…………どうでもいい……」
 炎虎の言葉に女は、溜息を吐いた。
「まあ、いいワ。今度は、マフィアの方で大きな大会を開くのヨ」
「…………そうか……」
「貴方は……」
「どうでもいい」
「……」
 女は足を止めた。深い溜息を吐きながら、どこか悲しげに、歩み去る炎虎を見送っていた。

 今度開かれるその大会が、この二人の運命を大きく変えるとは知る由も無い。



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