翼の拳
〜Fists of Wings〜


第77話

作者 鬼紫

「そんな…あずみが!?」

 あずみと夏香が戦いを繰り広げる中、涼子がかけつけた。
 そこには彼女にとって信じがたい光景が広がっていた。

「あずみが…圧されている?」

 涼子は北条あずみを知っている。

 その鬼神の如き強さを知っている。

 そのあずみが、たった一人の少女を相手に額から大量の血を流している。

 涼子は驚愕に息を呑み、身体を硬直させた。

「違いますよ義姉様ゥ」

 一緒についてきたゼウスが緊張感のない声でそういった。
 いつのまにか義仲はどこかへ姿を消しているようだった。

「むしろ優勢なのは、あずみ…さんの方ですよ。」
「?」

 涼子にはゼウスの言った言葉の意味はわからなかった。
 というより、あまり気にも留めなかった。
 涼子はゼウスのことを格闘技に関してズブのド素人だと考えていたから。

 だから、最後につぶやいたゼウスの言葉は、ほとんど耳にも入っていなかった。

「甘くなったね…葉月…」

 あずみと夏香は、静止したまま動かない。
 今度は誰の眼にも膠着状態に見えた。

 しかし、あずみは大ダメージを受けている。
 ギャラリーには、夏香がなぜ一気に攻め込まないのかがわからなかった。

(油断した…!)

 夏香は動けなかった。

 あずみが強いことはわかっていた。
 決して嘗めていたわけではない。

(しかし…!)

 認識が甘かった。

(…忘れていた!)

 それは"人ならざる怪物"の存在。

 アルシャンクを筆頭とする超常のモンスター達。

 それと対峙した時のプレッシャー。

 暦にいた時は常に傍に感じていた緊張感。

 刺客レベルの戦闘員には持ち得ないオーラ。

 自分自身の影を相手にしたときでさえ、感じなかったもの。

"戦慄"

 しかし、北条あずみは人間だ。

(それは、わかっている。いや、そう思っていた。)

 銃を持った集団を相手にする事は日常だ。

 巨大な兵器と素手で戦ったこともある。

 まして、木刀などは脅威には感じない。

(でも…)

 問題は、たった一つの認識ミス。

(木刀でも技でも力でもなく…)

 北条あずみが人間ではないこと。

(ただ…北条あずみが恐ろしい!)

 認識の遅れは命取りになる。

 夏香は動けない。

 "戦慄"という見えない糸が、夏香を捕らえたのだ。

 あずみの口元が鎌のようにつりあがった。
 歯を…否、"牙"をむき出した、笑いとも怒りとも取れない凶悪な表情だ。

「喰うぜ…!」

 静かに…あずみの足が踏み出されようとした。

 夏香は覚悟した。

 次の一撃を。そして自分自身が"葉月"を"思い出す"ことをを。

 この後、北条あずみが…それとも自分が…死ぬことを。

 "そうなること"を夏香は覚悟した。

 その刹那である。

「おおっとぉ、そこまでだぜい!」

 どこか遠くから、張り詰めた静寂を打破する巨大な声が響き渡った。
 その場にいた誰もが、その声を聞いた。

 ビルの上に誰かがいる。叫んだのは、その男…いや少年だ。
 大勢のギャラリーが仰ぎ見る。

 …と、少年はド派手なハッピや鉢巻をしめ、
 サンバカーニバルのような羽根を大量に身にまとっている。

 そう、この少年こそは…

「てめぇの相手はこの俺、日向義仲様だい!相手が違うぜ、デカ女!!」

 時間が止まった。


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