吐き気

『見舞い客』


 "議長"の愛弟子にして、"妖術師"の愛弟子でもあるリヴィーナ=ラヴィーナが
 作戦失敗によって重傷を負ったのが3日前。
 怪我の内訳は左頬骨骨折(左眼窩骨折含む)、右腕骨折、肝臓損傷。
 意識ははっきりとしているが、酷い重傷なのは一目瞭然であった。
 プロト・ガルベットは、そのリヴィーナの身の回りの世話を命じられたのだ。
 リヴィーナは仕事の熱心が過ぎて"死神"やら"猟犬"やらの忌み名で
 呼ばれることもあるほどに暦に忠誠を誓っている。
 その反対に"サボり屋"の異名で呼ばれているプロト・ガルベットにとって、
 この役回りは災難としか言いようのないものであった。


 プロトにとって苦痛なのは、何もできないことであった。
 何もしないことは好きだった。
 何もしないでボーッとしていられるのは至上の喜び。
 だが、何もできないとなると話は別だ。
 ボーッともできない。
 気が抜けないのである。
 まして相手は、厳粛の塊のような暦の"裁判官"リヴィーナ=ラヴィーナなのだ。
「本を持って来ました」
 プロトはベッドの上で上半身だけ起こして点滴を受けているリヴィーナの傍らに分厚い本を置いた。
「ありがとう、プロトさん」
 言葉は丁寧なのだが、ニコリともしないで病的な光を放つ瞳で見据えてくる。
 プロトは顔を引き攣らせた。
 心底この女性が苦手だった。
 嫌いと言うわけではない。
 怖いが話せばわかってくれるし、無意味に攻撃してくる人物でも無い。
 ただ堅苦しい雰囲気が耐えられないのだ。
 リヴィーナがプロトの持ってきた本を手に取る。
 一日中ベッドの上でやることが無いのだ。
 プロトにしては気のきいた物を持ってきたと言えた。
 だが、本のタイトルを見てリヴィーナの顔色が変わった。
「……『必勝! 脱衣麻雀ひまわりたちの宴』」
 タイトルを読み上げる声が震えている。
 その様子にプロト・ガルベットは戦慄した。
(やべー!?)
 ギロリ。
 睨まれた。

「…す、すみませ〜ん! お許しを〜!」
「まったく…」
 リヴィーナは額に手を当てた。
「あなたといると具合が悪くなる一方のような気がします」
「アハ…ハハハ…いや、やはり、(馬の合わない)二人きりというのもアレですよね〜。
 誰か御見舞いに来ないっかな〜」
「誰も来ないでしょう」
「はへ?」
「私は嫌われていますから」
「そ、そんなことは…ほら、議長とか二月様とか六月様とか!」
「……その方たちは忙しくて来れないでしょう」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 沈黙。
 重苦しい沈黙。
 続く沈黙。
 果てしなく沈黙。
 やっぱち沈黙。
 沈黙の表現が付きかけた頃、その声は響き渡った。

「フハハハ、お見舞いに来ましたよ!」

 凄まじい爆音とともに部屋の扉が吹き飛んだ。

「!?」
 爆風に乗って颯爽と現われた人影にリヴィーナの顔が引き攣る。
 プロトも面食らった表情で、その人物を指差していた。
「ゲゲェーッ!? 九月様!?」
「リヴィーナさん、お加減はいかがですかな?」
 万面の笑顔でリヴィーナの前にたつ長月真紀。
 リヴィーナの額に青筋が浮かんだ。
「とりあえず、帰ってください」
 リヴィーナの声は北極の風よりも冷たい。
「いや〜、お騒がせしましたね!」
 シュタッと手を掲げて、去っていく長月真紀。
 がしっ。
 その肩をプロトが懸命に掴んだ。
「何です、プロトさん?」
 怪訝そうな表情で振りかえる真紀。
「一人にしないでください」
 小声で耳打ちするプロト。
「リヴィーナさんがいるから一人ではないでしょう?」
「いや、そういう意味じゃなくて…リヴィーナ嬢と二人きりにしないでください」
「フッ、何を言っているのです。私は若い男女のリビドーを邪魔する気は毛頭ありませんよ」
「邪魔してくださいっての!」
 プロトは彼にしては珍しく、必死の形相で真紀を逃がすまいとしている。
「わかりました」
 真紀は優しく微笑んだ。
 ほっと胸を撫で下ろすプロト。
「しかし、残念ながら私も忙しい身です。かわりにひまわりを置いていきます」
 真紀はそう言うが早いかバックステップで廊下を下がった。
 プロトの腕は虚を突かれて空を切った。
「謀ったな、九月! 謀ったなあ!」
「キミは良い友人だった。しかし、キミの父上が悪いのだよ! では、そういうことでっ!」」
 そう言うが早いか、真紀は常人の三倍のスピードで廊下の彼方へ消えた。
「くっそ〜!」
 プロトは歯噛みした。
 と、後ろからリヴィーナの凄まじい不機嫌光線を感じて、こめかみを冷汗が伝った。
「プロトさん……」
 呼びかけに首だけ、ギギっと動かして後ろを向く。
 プロトは固まった。
 完全に固まった。
 ひまわりがいた。
 たくさんいた。
 真紀が置いていったのだろう。
 いるのは良い。
 ただ、いる場所が問題だった。
 リヴィーナの周りで踊っている。
 先ほどの脱衣麻雀の本を読んでいるものもいる。
 極めつけの一体はリヴィーナの頭の上に咲いていた。
「プロトさん」
 リヴィーナはもう一度プロトの名を呼んだ。
 物凄く怖い。
「は、はひ!?」
「早くどかしてください」
「はいいいいいいっ!」

 プロト・ガルベットは次の日、胃潰瘍で入院した。


 


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