鉄の詩(くろがねのうた)


「出所したばかりで、腕ナマってんじゃねぇのか?」
「関係ねえ」
確実に、静かな殺気が充満していた。

「今、この部屋で、斬りあい、しようかって」
クロガネの顔は笑ってはいなかった。
まっすぐ一文字の顔を見ていた。
「ケリつけようか、って言ってんだよ」
「‥‥‥‥。」
一文字もまた、クロガネの目をまっすぐ見ていた。

一文字幸四郎の剣が上か、鉄忠義の剣が上か。
伸びに伸びてきた決着の時。
それが今、やってきたというだけの話。
闘る準備はいつだって整っている。
きっかけ一つで、二つの刃が舞うだろう。
勝負は、一瞬で決まる。
どちらかの血で、この部屋が赤く染まる。

幸四郎の手が、「紅秋」をつかむ。
クロガネも、「黒冬」を静かに持ち上げた。
腰を浮かせつつ、幸四郎がつぶやいた。
「畳‥‥」
「うん?」
「‥‥畳、今日新しく替えたばっかりだったんだがなぁ‥‥」
「そっか‥‥‥‥じゃ、やめよう」
クロガネはさっさと刀を畳の上においた。

獅子おどしが鳴った。

「‥‥やめるのか」
「うん」
クロガネはうなづいた。
臆したからではない。
ただ単に「ああ、新しい畳汚しちゃ悪いな」と思い、手を止めたのだった。
部屋を変えるとか、庭に出るとかいう考えは浮かばなかった。
今、この部屋でやろうとのたまい、そしてその考えを引っ込めた。
クロガネにとっては、ただそれだけの事だった。
「そうか‥‥」
幸四郎も刀を置いた。

先刻まで充満していた殺気は、みるみる晴れていった。


畳を汚しちゃ悪いから。
2人の宿命の対決は、たったそれだけの理由で、流れた。
自分の命のやり取りなど、風向き一つ。
気の赴くままに笑いあい、気の赴くままに殺りあえる。
そんな世界で今まで生きてきた2人だった。


「こんな事ならよ‥‥」
茶をすする幸四郎。
「『あの時』にスパッ!とケリつけとくんだったぜ」
「あの時か‥‥もう10年以上経つな‥‥」
「お前さんがまだギラギラしてて、いつも俺にくってかかってた頃さ。
 お互い血気盛んだったからな。あっという間に果し合いをする運びになった。
 だが‥‥」
湯飲みを置く幸四郎。

「果し合いの場に、てめえは来なかった。結局果し合いはそのままお流れになっちまった」

「‥‥‥‥。」
「昔の話だ。もういいかげん教えてくれたっていいだろ?
 てめぇ、なんであの時、勝負をすっぽかした?」
「‥‥もうどうだっていいだろ、昔の事なんだから」
「今もお前は不可解な奴だけどよ、あの時の行動だけは腑に落ちねぇんだ。
 昔のお前は勝負からケツまくって逃げるような男じゃあなかった。
 一体、何があった?」
「‥‥‥‥。」
クロガネは空になった湯飲みを弄んでいた。
「忠義!」
「時子に泣かれたんだよ」

流水と共に竹筒の打つ音が響いた。

「亡くなった、奥さんか‥‥」
「こたえたね‥‥わめき散らして物投げられたり、ビンタされた方が
 よっぽどマシだよ」
「‥‥‥‥。」
「ただ俺の顔見てよ、黙って泣きやがるんだ」
「時子さん‥‥いい人だったな‥‥」
「へっ、男の勝負に水差しといてよ、てめえは病気でさっさと
 くたばっちまうんだもの、世話ねぇよ」
「ばかやろう、お前が苦労かけ過ぎたからだろが」
「うるせぇよ。まぁおかげで自由な一人身だよ。
 おねぇちゃんのケツ追っかけ放題。せいせいすらぁな」
「このろくでなしが‥‥まぁ奥さんのおかげで生きながらえた人生、
 せいぜい楽しめや」
「ハハ、馬鹿いってんじゃねぇよ。あの時やってりゃ俺が勝ってたよ」
「どうだかな?お前は賭けは、からっきし弱えからな。
 そういや今度ここら辺のもん集めてコレ、やるんだがよ‥‥」
幸四郎が空になった湯飲みを逆さに振った。博打の事である。
「お前も転がすか?」
「お、いいねぇ」
つい先ほどまで、命のやり取りをする寸前まで行っていた2人は、
和やかに談笑していた。


 


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