それが何か


警視庁捜査部刑事課 課長室。
楡の木をあしらえて作られたドアの内側で、すさまじいせめぎ合いが行われていた。

「無理だね。」
「それは重々承知しております。しかし、それでもです!」

「君だって刑事だ分かっているだろう。
 東京湾岸全体に非常警戒態勢を引く事など不可能だ!」
「非常態勢を引けと入っておりません!あれは肉食獣です!人を食います!」

「環境庁がなんといっているか知っているのかね。」
「希少動物などという狭まった視野で見るのは危険です!」
「害獣と言う視野で見るのも危険だとは言えないのかね!?」

「七十余人をヤツは喰った可能性が少なからずあるのです!」
「それも君の仮説・・いや、妄想だよ畑守君!!」

「では課長はヤツの存在をどう考えているのですかっ!!?
 5、6mの肉食獣が今尚、東京湾を悠々と泳いでいるのに、
 民間への発表を避けたばかりか、なんの対処もしていないじゃないですか!」
「少しはやっているさ。だが、公表を避けたのは本部長の指示だ!
 民間へ公表すれば多大な混乱が巻き起こる!」
「では今のこの状態を課長は混乱とは言わないと!?
 各メディアがパトカー破壊と警察官の行方不明について様々な憶測を流しております!これは混乱とは言わないと!?」

「だからこそ・・・!!」
「しかしっ!」



ドアを蹴破るようにして畑守は飛び出た。
結局、堂々巡りになった会談に疲れきっていたことが、待っていた緋龍にも分かった。
2、3話してから携帯の電源を切って、
「おつかれさまッス。」
「おー・・・疲れたよ・・・」
二人は、冷たい雰囲気の溢れる廊下を歩き始めた。
もう、ここにいる意味も全くなかった。
これだけあちこちに訴えても結局何一つできなかった事に、
畑守はもどかしさを感じていた。
「どうも、すいませんッス。」
「なにがだ。」
「こんなくだらない仕事を任せてしまったッス。」
緋龍も本来はキャリア側の人間である。
本来ここにいるはずの人間だ。
だが、今つくづく思うのだ。
こういうくだらないことも含めて、
現場の空気のほうがここの空気よりもずっといいなあと。
「いいのさ。苦労するのは先輩の仕事だ。おれも昔はよくやった。」
畑守の老け顔が、ぐっと老けて見えた。


「緋龍・・・・」
「なんッスか?」
ボロアパートに戻って、畑守は数枚のレポートを手渡した。
「科捜研の所長さんが直々に書いてくれたヤツに関するレポートだ。
 読んでみろ。」
そこまで言って、背広をハンガーにかけて、ごろんと床に転がった。
「おれは寝る・・・・」
緋龍は、ふう。と溜息をついてから、携帯電話を袂に置き、それを読み始めた。
いつ電話がかかってきてもいいように。



巨大異生物第一号に関する調書

科学捜査研究所所長  弓次隆


今回の異生物であるが、報告、調査からすると両生類よりも肺魚の特性が多く見られる。
また、発光体を有する事から、深海魚の類が呼吸器官を発達させたものと思われる。
しかし、あの巨体と貪欲なまでの食欲に関しては不明。

まっこう丸、ヨークシャー、海保巡視艇に残っていた爪痕はまちがいなく目標のものと思われる。
爪痕の奥に付着していた肉片状の物は目下調査中。

だが、その肉片には特定の生物に作用する攻撃性フェロモンらしき物質が含まれており、
おそらくあの生物特有のマーキングであると思われる。

資料添付。



その資料だけで残りの数枚が埋まっているのを見て、
緋龍は頭が痛くなった。
「・・・・・・・・」
とにかく、
読み終わったら雪ぴょんに電話しよう。幸いまだ昼だし。
ちっぽけな希望を胸に、残りのレポートを手に取った。


 


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