それが何か

13


海保の巡視艇が暗雲立ち込める空の下、東京湾を遡行中だった。
漁船がここ二週間ではやくも七隻沈められ、行方不明者数十名。
遺体が上がってこない。服すらも。
それが保安庁の恐怖感を駆り立て、警備体制の強化をもたらした。

だが、彼らはあせりすぎていた。

「・・・この引っかき傷、消えませんでしたねえ。」
巡視艇、かぜきりの甲板の上で、乗組員が呟く。
「あの事故のヤツだろ?立て続けに五隻がってヤツ。
 船底は直したからな、細かい傷は多めに見ろ。」
「この傷の中に、なんかねばねばした物が入ってて、取れないんですよ。」
「ほっとけ、ほっとけ。」


ある種の生き物(熊などの大型肉食獣)はマーキングを獲物が集まりそうな物にする。
そして、マーキングに獲物が集まったとき。
それは動き出す。


動きを潜める。
と、言ってもどの程度潜めるかが問題である。
とどのつまり、おおっぴらに動けば警察から放り出されると考えていいわけだ。
「ってことはッス。ダイレクトに動かなければOKじゃないッスか?」
「あたり。課長も狸だよ。」
畑守はつゆをずずっとすすり、
「それも忠実な犬コロの皮を被った老獪な狸だな・・・」
「そうッスね。」
緋龍はさらさらと口の中にタマゴを注ぎ込む。
「ところでッス。」
「なんだ?」
「おごってもらえるのはありがたいッスが・・・・」
緋龍は、チラリと横目で店内を見た。
人がすし詰め状態、換気扇は正体不明の油をまとって汚れきり、
いたるところ埃っぽい。

そこは、場末の立ち食い蕎麦屋だった。

「もうちょっと場所があると思うッス。」
「お前、年上のヤローとロマンティックなディナーなんか楽しみたいのか?」
畑守が、どんぶりを叩き置いてたずねた。
「そりゃそうッスが・・」と、緋龍は返したが、
おおかた畑守の安月給じゃここが関の山だったと気付き、沈黙した。

その後は丁寧にネギを噛んで、飲み込む。
つゆや蕎麦をすする、タマゴを流し込む。などの動作を繰り返し、
畑守がもう一杯カケを注文した所で、ようやく緋龍が口を開いた。
「脇からは攻められないッスかねえ・・・?」
「脇があればの話だ。」
畑守は、箸を止めた。
「だが、藤倉なみの巨体になれば必ずどこかに脇はある。
 それもたまに隙が出る。・・・・そこをねらえば・・・・・・」
右拳をぱっと開いて、
「ボンだ!自然消滅さ。」
「目立たないよういけるッスね、それなら。」
蕎麦を食い終わり、緋龍は箸をおいた。
「ああ、楽勝さ。」
と、畑守がどんぶりに眼を向けると、すでに蕎麦は伸びていた。
畑守の空しい唸りが一瞬聞こえた。


 


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