『アンノウン・キング』
4
「被害者はゲイリー・カジノブ。無職。賭け試合で生活費を稼いでいたようです」
部下の報告を聞きながら、ケヴィン・ビジー警部は改めてその死体を見下ろした。
この職業に就いてもうすぐ30年になるが、これほどの変死体ははじめてだった。
いや違う。その前に現場で死体を見ることじたい久々だった。最後に見たのはスタンリー・マクダウェルの他殺体だったか。彼はいまも爪先から脳天まで滅多切りにされたスタンリーの姿をいまも鮮明に覚えている。犯人はすぐ捕まったが、夜な夜なビジーの眠りを妨げる現れるスタンリーの悪夢は半年近く続いた。はじめて見た死体は、彼がまだ刑事になる前だった。不運にも彼は死体の第一発見者だった。ゴミ箱からはみ出た、タコのような両足。片方は裸足で、血がべっとりと染みつき、すでに蛆虫が沸いていた。当時10代の彼は目眩を起こし、吐いた。それから刑事になり、幾度となく人間の終わりの姿、何も見ない虚ろな目を見てきたものだったが、小僧っ子のスタンリー以来、彼は久しく死体を見ていなかった。それは彼はここトゥーマッチタウンに赴任してきたことによる。
ここに来て、彼はやることがなくなった。
天職だと思っていた職業に対する誇りは蝋燭の火のようにかき消えた。この町では、ほとんどの事件が“無視”されていた。日夜繰り広げられる賭けストリートファイトを全て取り締まれるはずもなく、また毎日のように陸にあがる死体に関しては、いちいち現場を見に行っていては切りがない。殺人事件は新米の部下が(一応)検分し、その写真と詳細を署に報告することになっていた。死体はそこらぢゅうに転がっていたが、わざわざ出向いて見るということはなかった。そして彼自身はもっぱら警察署の自室でタバコを吹かし、つまらない書類にボールペンを滑らせることだけで事件を解決“したことにする”。ケヴィン・ビジーはその日課に慣れ、今ではそれを当然のことのように考えているが、胸中の鬱懐だけは一度として晴れなかった。
毎日がつまらなかった。
「2年ぶりかな…現場の空気は」
ビジーは呟き、タバコに火をつけた。
つまり、異例だった。
死体をいちいち見に行くなど。
このくそったれな町で見つかった死体など、いつも通り、署に報告するだけで済ませればいい。
だが、彼は実際の現場を見て、どうして死体の検分に向かった部下が、自分に見てほしいと頼んだのか分かった。銃殺された死体、強姦された死体、刺殺された死体、撲殺された死体。ここでは様々なタイプの死体が、生活用品のカタログさながらに揃っている。イカれた屍愛者(ネクロフィリア)どもにはもってこいの場所ってワケだ。
タバコがチリチリと音をたてて燃える。灰が落ちた。
だが今日のこの死体は、カタログの全ページを探しても見つかりっこない。
それは、異常だった。異常で、狂気を孕んでいた。
ビジーの前に晒されたその死体は、一言で言うならば、まさにそれは『死んでいた』。
「彼のジャケットには1200ドルもの大金が持ち去られずに残っていました。金目当ての犯行ではないかと思われます。いや、そんなことはどうでもいいんですよ。問題なのは、この死体の状況です。うえっ」
ビジーを署から引っ張り出してきた巡査が手帳を片手に報告する。
「骨折の箇所は、…数え上げれば切りがありません」
彼は苦いものでも吐き出すかのようにつづけた。
「それに加えて、ご覧の通り、体のあちこちに火傷の痕。特に右腕は……言わなくてもいいですね」
ビジーはじっと死体を見下ろしている。
長い間、抑え込まれてきた感覚が、彼の内面の奥の方で蠢いていた。
吐き気(ナウシイ)か?苛立ち(イライテーション)か?後悔(リグレット)か?
巡査がつづけた。もう喉が震えていて、まともに発音ができていない。
「……きわめつけは、それ」
そう言って、人差し指で、その地獄の造形物を指し示した。
「ご覧の通り、心臓がありません」
ビジーは薄く笑い、見下ろした。なるほど、無い。ゲイリー・カジノブは心臓病の心配が必要なくなっていた。胸に何か強力な力で“抉った”跡があり、強引に掘り抜かれたその箇所から、あるはずの心臓が無くなっていた。
「……心臓があった場所には…こいつが」
巡査がビニール袋を取り出し、ビジーの目の前でぶらぶらと揺らせて見せた。
袋の中には、血にまみれた黄色のテディベアが無表情な目つきでビジーを凝視していた。いつかは可愛らしさを前面に出して子供達に可愛がられていたかもしれないその人形は、今や完全に殺人現場を彩る悪しき遺留品として、その役目を果たしていた。
「何かのメッセージでしょうか?」
巡査が言ったが、ビジーは答えなかった。
遺留品からメッセージ性を探るのはちょっと早計すぎる。一度おさらいしてみようじゃないか。骨は粉々。火傷の痕。消えた心臓。心臓の場所にはテディベア。
ビジーは笑い、タバコを吐き落とした。
なるほどこいつは難事件。いよいよ俺の休暇も終わりってわけだ。
気概(モチベーション)か?同情(シンパシー)か?
ビジーはにやつき、空を見上げた。
こんなひでェことを、一体どこのどいつが?トゥーマッチタウンの連中か?それともどこか他の町からの流れ者か?いや、そいつがどんな奴がどうだっていい。問題は、やった奴が“まだ捕まっていない”ってことだ。絶対に見つけて、とっ捕まえ、豚箱に送り込んでやる。
刑事として忘れていた感覚、それは怒り(アンガー)だった。
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