『アンノウン・キング』


 ダニエル・ヒューズは誰でもいいから、喉に詰まったその言葉を聞いて欲しかった。あの恐怖。人と共有しなくては、彼自身が狂ってしまうように思われた。いずれ町中に知れ渡ることは分かってはいたが、とにかくいま吐き出してしまいたかった。
 あの場所から全速力で走り、そしてようやく、友人たちの集う酒場へ駆け込んで口を広げて叫んだ。
 「大変だ!ゲイリーが殺された!ゲイリーが殺されたぞ!」
 ダニーの声の大きさに、誰もが驚きの表情を浮かべて彼を見た。誰一人として上品な客はいなかった。まだ昼だというのに酒に飲んだくれ、真っ赤な顔して禿げた頭を撫で上げる連中。
 ダニーは注目を一斉に浴びて多少恐縮しつつ、カウンターで飲む最も親しい友人アート・コープランドの隣に腰掛けた。

 「ゲイリーが殺されたって?」
 アートもまたすでに顔が真っ赤だった。しかし頭のほうは正常な様で、きわめて落ち着いた様子でダニエルに問いかける。
 店内はすでに、昨日かあるいは一昨日のように、普段どおり酒を飲み交わしている。いまダニエルの隣で飲むアートを除いて、誰もゲイリーの死に興味を持っていないようだった。
 ここでダニエルは、はじめて大声をあげてこの酒場に入ってきたことに羞恥心を覚えた。
 そうだった、ここで“死人は当たり前”。くそったれの2試合の町。誰も俺の友人の死なんかには気を止めてくれない。
 「おい、言えよ、ダニー。ゲイリーが殺されたって?」
 アートはダニーが落ち着いたのを見計らい、再び質問した。ダニエルは頷き、アートに顔を近づけた。
 そうだ、付け加えるべきことがある。ただ“死人が出た”だけじゃないぞ。敢えて言ったのにはそれなりの理由があるんだ。ただの死人のために俺が“大声で”駆け込んでくるもんか。
 ダニエルはアートにだけ聞こえる声で小さく言った。もう周りの連中は聞いてもらいたくなかった。
 「殺され方が、異常だ」
 「異常?」
 「俺は見た。俺は見たぞ。アート」
 「落ち着けよ、ダニー。一体ゲイリーの奴がどんな風に殺されたのか、言ってみな」
 ダニエルの鼓動が再び早くなった。言えるのか?俺に“あんなざま”を説明できるのか?彼の脳には今朝“見た”あの死体がはっきりした映像となって甦りはじめていた。死体を見たのははじめてではない。それこそ日常的に見ている。ここはそういう町。ここは2試合の町。町の連中は酒と賭けに明け暮れ、警察もろくに働かない腐った卵のような町。そんな町だからこそ、“そういうもの”だって日常的に打ち上げられるものだ。だが、“あんな死体は”はじめてだった。
 「げ、げ、げ」
 「落ち着けって。ほら、飲むか?」
 アートは自分の酒を勧めてダニエルの動悸を抑えようとしたが無意味だった。おそろしく震えていて、ジョッキを持てるような状況ではなかった。ここにきてようやく、アートはダニエルが何かとんでもないものを見てきたのだと分かった。
 “友人のとんでもないざま”。
 おそらくはいまアートが予想しているものよりも十数倍は“とんでもないざま”。
 「言え、ダニー。ゲイルはどうなった」
 「し、死んだ」
 「それは聞いたよ、ダニー。どうやって殺された?」
 「ここ、ここ」
 ダニエルは自分の胸をトントンと叩き、泣き声で言った。
 「し、心臓を抜き取られてた。アイスでも取り出すみてえに」
 自分でも気づいていなかったが、いつの間にかダニエルの声は酒場中に聞こえるほど大きくなっていた。店全体ががやがやと騒ぎはじめる。酒を吹き出して口を拭う者もいた。取り乱してフォークを落とす者もいた。多くの客がゲイリーの名を口にしはじめた。その言葉を一番近くで聞いたアートは絶句した。
 「ああ、なんてこった」
 友人がいつか、それも突然死んじまうことは覚悟していた。ここは2試合の町。たったいま生きてた奴が、三秒後には何も感じなくなってる。だが、死ぬ姿までは覚悟していただろうか。そんな姿まで覚悟していただろうか。アートは聞かされた姿をイメージして、胃に溜まったアルコールを吐き出しそうになっていた。気分が悪い。
 「…それで、殺したのは誰か、分かるのか」
 アートは表情の上では平静を保ち、汚れた金髪を掻きむしりながら聞いた。表情の奥の友人の動揺が、ダニエルには分かった。ダニエルは首を振った。
 「でも、警察の奴らが動いてる」
 「警察が?俺が赤ん坊の頃から指しゃぶることだけを仕事にしてるような連中だぜ」
 半ばジョークのつもりで言ったのだが、ダニエルは決して笑うことはなかった。何人かの客がダニエルに寄って来て、詳しい話を乞いはじめていた。後ろから肩を揺さぶって質問を浴びせるが、ダニエルは一向に応じず、ただカウンターをじっと見下ろしていた。彼は見ていた。ゲイリーの“とんでもないざま”を。

 「おい、ダニエル・ヒューズ」
 騒然としている状況を、一人の地響きのように低い声が響き渡った。その聞き覚えのある声に、誰もが口を閉じてその声の主に視線を移す。男はダニーの真後ろにあるテーブルにたった一人で酒を注いでは飲んでいた。大木のような男だった。6.5フィートを超える長身の体は、しかし肥満ともいえた。腰掛けた椅子には尻の半分も乗せていない。腹はアルコールで膨れあがっている。脂っぽい黒髪が不整に生えており、特徴的な黄色の丸眼鏡からは眠そうな垂れ目を覗かせており、多少の知的な印象も周囲に与えていた。何よりも印象的なのは顔の下半分だった。しゃくれて上を向いている。その姿はまるで、
 「何だ、“ブルドッグ・ジョー”」
 ダニエルは振り返り、いつもの呼び名でジョーに応えた。彼は相変わらずブルドッグに似ていた。
 「何か俺に話しでもあるのか?あ?」
 「ゲイリー・カジノブが死んだって?」
 「ああ、そうだよ。聞いてたろ」
 ジョーの低い声に、ダニエルが答える。気持ちはだいぶ落ち着いていた。
 ダニエルはブルドッグ・ジョーが好きではなかった。寡黙で、滅多に自分から話題を持ち出すことをしない。人と目を合わせず、毎日路上で人を殴っているくせに、酒場では人との接触を嫌っていた。何を考えているか分からない男だった。
 「それで、誰がやったって?」
 大柄な肥満体に低い声を乗せて、ジョーの声が酒場中に響き渡った。ずっしりとした重量感を、その声は持っていた。
 「知らねェよ、俺が見たのは死体だけだ。でもファイトによるものでも、マフィア連中の仕業でもないと思うぜ」
 「あの野郎とは、明日再戦するはずだったんだが」
 「ああ、そういえばゲイリーの奴も一昨日言ってたな」
 アートが口を挟む。
 「残念だったな」
 「くそ」
 彼は、ブルドッグ・ジョーとゲイリー・カジノブがライバル関係にあったことを知っている。戦績もほぼ同じだったはずだ。そのため、彼ら二人の試合はオッズが同率だったため、この町でも最も人気のある対戦カードの一つだった。
 ブルドッグ・ジョーは舌打ちし、立ち上がった。酒の代金をカウンターに投げつけ、ゆっくりとその巨体を引きずっていく。
 「どこのバカに負けたか知らねえが………ちっ、酒が不味くなった」

 ブルドッグ・ジョーは酒臭い息をまき散らし、外の空気に身を晒した。相変わらず毒気を孕んだ風がジョーの体を撫でていた。しかしそこはゲイリーやアート、そして自分自身にとって最高に居心地のいい場所。今やその憩いの地が侵されようとしている。得体の知れない、何かに。
 「………イラつくぜ」
 闘犬は舌打ちし、のそのそと、その巨体を揺らしながら路上を徘徊しはじめた。
 酒場ではまだ人々がゲイリーの死について言葉を交わしている。
 トゥーマッチタウンの空は曇天だった。

 


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