『アンノウン・キング』


 昨日のラス・チャキリスの話は本当だった。
 トゥーマッチタウンで起きた猟奇殺人事件の詳細が、今朝の新聞に載っていた。あの町で起きた殺人事件がこのような大衆紙に載るようなことは珍しい。その頻度のため、いちいち載せていてはキリがないし、死者も住所不定者がほとんどだったためだ。最も今回取り上げられたのは、事件の凄惨さのみで、記事の大きさも『A.ワイルダー新作発表』『迫る!スラッグ・ドニー戦』といった大衆受けする話題と比べて、かなり小規模なものではあった。

 これも当然のことだが、その記事は『トゥーマッチタウンの亡霊』と関連づけて書かれていることもなかった。
 ラスの勧めで、昨日はその手の雑誌を一冊読まされた。
 なるほどトゥーマッチタウンにまつわる幽霊話は物好きな連中の間ではだいぶ前から噂になっていたらしい。突然消える人影に、ビルからビルへ浮遊する影。そのどれもグレッグにとっては笑い話でしかなかった。
 人が飛ぶのを見ただって?そいつはラッキーな嬢ちゃんだ。間違いねえ、そいつはスーパーマンだよ。深夜のパトロールご苦労なこった。
 雑誌にはその幽霊を一目見ようという内容の2泊3日ツアー参加者の応募も行われていた。一体、何が楽しくてそんなものに金を払えるというのか。グレッグはその広告を見て一笑し、次々にページをめくった。トゥーマッチタウンの亡霊の他には彼の興味をそそる特集は無かった。

 猟奇殺人と幽霊騒動。
 この日常から乖離された二つの事件は、自然な形で結びついたのだった。もちろんその発端は噂好きの、ラスのような若者たちである。
 グレッグは、もちろん信じない。
 彼は今までにもジャージーデビルやドーバーデーモンといった類の噂を、何の関心も示すことなく一蹴してきた。それは雑誌を読む前も読んだ後も変わらなかった。
 「バカげてる」
 幽霊に関しては、彼は「バカげてる」を言い続け、最後までラスを笑った。
 
 しかし、今回の殺人事件については、話が違う。
 ゲイリー・カジノブとは2年前に闘ったことがあった。“負け知らず”の肩書き通り、その時もグレッグは勝利を収めたが、ゲイリーはとても強かったことを記憶している。グレッグと比べて細身ではあったが、迅速な拳撃に軽やかな身のこなし。そのくせ、一発一発の攻撃が重かった。優れたキックボクシングの使い手。グレッグの恵まれた筋肉があればこその勝利だった。後で聞いた話では、数多い戦士が蠢くトゥーマッチタウンの中でも上位のランクだという。それも頷ける男であった。

 ラス・チャキリスは言った。
 「骨はめちゃくちゃ」
 「全身大やけど」
 「心臓は抉られてたそうだよ」
 「無かったんだよ、心臓がさ」
 「あるはずの場所にはテディベア」
 日々闘いの地に身を置くグレッグ・バクスターですら、その言葉は繰り返し聞くには堪えがたかった。たった一回とはいえ、死力を尽くして闘った仲。彼はゲイリーの風貌を覚えていた。その記憶の中のゲイリーが心臓を抜き取られるイメージが彼の目に浮かんだ。
 それは彼に、若い頃に見たロバート・デ・ニーロ主演の映画『フランケンシュタイン』を思い起こさせた。母と恩師の死に悲しみに沈んだ若き医学者が、死んだ犯罪者の体をつなぎとめて人造人間(クリーチャー)を創造し、生命の死を乗り越えようと試みる。しかしデ・ニーロ演ずるクリーチャーは己の醜悪さから生みの親を呪い、医学者の弟や妹を次々に殺戮していく、という内容のホラー映画だった。あれだけ気味の悪いメイクをしながらも、哀愁漂う人間くささを演じたデ・ニーロの好演はまさしく名優と呼ぶに相応しかったし、ホラーよりもむしろ人々の人間関係に焦点をあてたストーリーも、クリーチャーを巡る悲劇映画に仕上がっていたことを覚えている。「死」と「甦生」のジレンマの演出が秀逸だった。
 しかしいまグレッグは思い出しているのは、その映画の価値などではない。
 それはクリーチャーが医学者の恋人の眠る寝室へ忍び込む場面だった。あの場面が最も脳裏に焼き付いている。あれは夜だった。恋人の危険を察し、彼女の元へ走る医学者。だが既にクリーチャーの魔の手は迫っている。ドアを叩き開け、医学生はベッドで横になる恋人に目を移した。クリーチャーは若きヘレナ・ボナム・カーター演じる恋人の上に乗っかっていた。怪物の巨体が華奢な恋人の体を押し潰している。そして、怪物は何事か呟き、腕を振り下ろした。医学者にとって考え得る限り(あるいは考えの外にしかない光景だったかもしれない)この世で最も残酷な光景が広がった。
 デ・ニーロは恋人の胸から心臓を抉りだしていた。
 そして彼は、その赤い生命の核を医学生の前に差し出してみせる。
 「おまえはおれに愛をあたえなかった だから奪う」
 彼の手の中で、まだ脈打つ心臓。
 こぶし大の赤い風船が、デ・ニーロの手の内で脈打っている。
 グレッグは覚えている。
 デ・ニーロのあの表情を。
 ヘレナの真っ赤な心臓を。

 グレッグ・バクスターは拳を打ちつけて唸った。
 「らしくねえな」
 そう言って、大柄な体を持ち上げて町へ向かった。
 彼にはこの町があった。
 トゥーマッチやゲイリーのことは当分忘れたほうがいい。

 グレッグはこの日も、無敗だった。


 トゥーマッチタウンではケヴィン・ビジー警部の指揮による本格的な捜査が始まっていた。
 彼は殺人現場からの帰りに、部下にこう漏らしていた。
 「この事件は続く。次の犠牲者が出る前に犯人を捕まえるぞ」

 事件から、一週間が過ぎた。


 ゲイリー・カジノブ殺人事件の犯人はまだ捕まっていない。

 


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