『アンノウン・キング』
7
カナダから流れてきた喧嘩師ミスター・マガウンは一人、町を歩いていた。彼は素手でコンクリートをぶち割る握力と、鉄パイプで殴られてもびくともしないタフネスでこの町で活躍する、ゲイリー・カジノブやブルドッグ・ジョーに負けず劣らずのトゥーマッチタウン・トップファイターだった。今日も常勝を維持し続け、報酬を受け取っている。
時刻はすでに2時を回っている。
街灯もろくにない上に、月が雲に隠れているため、彼の歩くトゥーマッチ・レッズ・ストリートは一筋の光も通さない、闇の通路だった。細長い道が、南に向かって伸びている。人は誰もいない。
「まいった、ちくしょう、思い出しちまった」
ミスター・マガウンは頭から遠ざけていたゲイリーの死を思い出した。彼にとっても、ゲイリー惨殺事件は特殊な印象を与えていた。遂に彼はゲイリー・カジノブと闘うことはなかったが、この町ではストリートファイター同士に不思議な連帯感が生まれているらしい。マフィア同士の抗争に巻き込まれたり、ファイトでの負傷が原因で死んだ奴の話は、毎日のように聞いてきた。そのたびに彼は、ただ運がなかっただけだ、と考えていた。マガウンだけではない。ジョーもアートも、この町の者は皆そう考えていた。この町で死人について語ること自体、ナンセンスだった。
しかし、このゲイリー・カジノブ事件。
心臓を抉られたという。
胸に開いた穴には小熊の縫いぐるみが添えられていたという。
マガウンは軽い吐き気に見舞われた。
彼にとって、またトゥーマッチタウンの住民にとって、この事件は特別だった。喧嘩の傷が祟って死ぬことや、何らかのアクシデントに見舞われて死ぬこととはわけが違う。
心臓を抉られたという。
「ヘドが出る」
マガウンは舌打ちし、歩き続けた。あと10分ほど歩けば、我が家が待っている。ボロの家だが、住み慣れた我が家。彼は早くそこで横になりたかった。
―――彼は、犯人を知っている。
それどころか、彼は犯人を“見たことがあった”
ただしそれは彼本人の見間違いだったかもしれないし、事実、彼は自分でもあの時目に映ったものを疑っていたため、最も信頼のおける友人トビー・アックランドにさえ、口に出して言うことはなかった。いや、彼は分かっている。自分の目が信じられないから言わないのではない。彼は嘲笑されることを怖れていたのだった。
―――彼は、幽霊を見た。
10月の半ば頃、彼は帰宅途中に通りの脇に立つ、人影を見た。
あの日も月が出ていなかったため、その人影の顔までは確認できなかった。ともかく、影は20メートルほど離れた位置からマガウンを恨めしそうな目つきで見ていた。両目だけが、青白く光っていた。酔っていたマガウンは目の異様さ、あるいは存在そのものの異常さに気づくことなく、単純にも彼は「喧嘩を売られた」と受け取った。ここトゥーマッチタウンでは動作以上に目つきは重要な意味を持っている。通りすがりの男を攻撃的な目で見ようものなら、それは挑戦状としてとられても不思議ではなかった。そういう町で、ミスター・マガウンは暮らしてきたのだった。
彼は走り寄り、怒鳴り、さっそく殴りつけてやろうとした。人影は、マガウンが向かって来るや否やすっとその場を立ち去り、早足で角を曲がって逃げた。マガウンはそれでも追った。手に持ったビール瓶を投げ捨て、全力で走った。もう彼はそれを殴ることしか頭に無かった。元来がキレやすい体質の男だった。
だが角を曲がると、そこに逃げ込んだ人影の姿は見られなかった。無論、光のない深夜の出来事だったため、一度相手の視界から逃れさえすれば、姿を眩ますことは容易だったろう。
問題は、その後である。
自分を軽蔑した奴を逃したことに腹を立て、その場を立ち去ろうとしたマガウンが何気なく空を見上げると、ビルの上に人影を見た。青白い両目で、8階建てのビルの屋上からマガウンを見下ろしている。相変わらず恨めしそうな目で、マガウンに言わせれば「喧嘩を売っている」目で。
角を曲がって、そう時間は経っていないはずだった。
そう、賭けてもいい。
マガウンは述懐する。
あのわずかな時間。ドラッグストアのコマーシャルよりもずっと短い時間。奴が逃げて、俺が追い、俺が角に曲がるまでのわずかな時間の間に、地上からビルの屋上まで駆け上がるなんてことはまず“不可能”だ。100ドル、いや1000ドル賭けてもいい。
マガウンは酔いが醒め、はじめて人影の異常さを認めた。
相変わらず姿ははっきりしないが、青白い両目と大柄な体だけは確認できた。影は、しばらくマガウンを見下ろすと(マガウンは一歩も動くことができなかった)、彼に背を向け、やがて見えなくなった。
風は秋の寒さを乗せて、トゥーマッチタウンに吹いた。だがマガウンの感じた寒さは、その風とは別のところにあった。
彼は子供のように怯えていた。
恨めしそうな目。
静かな殺意を持った目。
数週間が経ち、彼はトビーや仲間が“幽霊話”をしているところで偶然飲んでいた。仲間たちは自分のガキが学校から持ってきた“トゥーマッチタウン・ゴースト”の話を、ジョークを交えて話しているのだった。ミスター・マガウンははじめて自分の住む町に幽霊が出るという噂があることを知った。そして、自分も“見た”ものが“トゥーマッチタウン・ゴースト”であることも。だが仲間たちはその話をはなから信じていなかった。あくまで酒の肴として話題にしているのだった。彼は言わなかった。言えなかったし、言う必要もないように思った。言えば馬鹿にされることは分かっていた。
ミスター・マガウンはゲイリー・カジノブを殺した犯人を知っている。
それは少年たちの間で噂になっている“トゥーマッチタウン・ゴースト”だ。
このことについても、彼は賭けてもいいと思った。
間違いない。
あの目。
彼はあの青白い目から感じたことを覚えている。
「あいつは間違いなく“人を殺すぞ”」
マガウンは夜のレッズ・ストリートを一歩、また一歩と歩いていく。
冷たい風が吹いた。
二人目の犠牲者はミスター・マガウンだった。
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