『アンノウン・キング』

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 同じく、ニューヨーク。

 「何の理由にもなってないな」
 助手席で黒いスーツの女が言う。
 隣の運転席に座る大柄な老人はそれを聞いて豪快に笑った。老人はオールバックの総白髪をうなじのあたりで無造作にまとめ、サングラスに真紅の上下、白髪の顎髭が伸びている。身長は、7フィート近いほど高い。しかしそのどれもが老人の特徴を言い表すには不十分だった。 彼を象徴する、いわば彼のパーソナリティはスーツや髭でもなく、その屈託のない笑いだった。老人は先ほどから、まるで笑顔がそのまま顔にひっついたかのように、ひたすら笑っていた。
 「お前も分からねえやつだな、KJ。俺と組んでもうどれくらい経つんだ。そろそろ俺の生き方に理解を示してもいい頃だぜ」
 4WDがニューヨーク・アベニュー・オブ・ジ・アメリカズ(6番街)を通り過ぎた。昼下がりということもあり、世界の人工都市は並々ならぬ人の数で賑わっている。白人、黒人、アジア人、様々な人間が集う地。多民族国家アメリカの体現がこの街にはあった。その中心にあって、ドンキホーテとKJは車を西へ走らせている。用事を済ませ、ホテルを出てからというものドンキホーテはすこぶる上機嫌だった。屈託のない笑みを浮かべて、片手でハンドルを握りながら、もう片方で葉巻を吹かしている。
 「“人生は遊び”。それは分かる。分かってるつもりだし、好きな生き方だよ。でも、やっぱり、この件は理解できないな。いま私たちが向かってる場所がどういうところか分かってるんだろうね」
 「うん?もちろんさ。いまアメリカ中の話題だぜ。トゥーマッチタウン。2試合の街。荒れくれた格闘家どもの聖地だろ?俺も一度は行ってみたいと思ってた。そして今日いよいよってわけだ。楽しみじゃねえか」
 「それだけじゃないだろ。あんたが一昨日読んだ新聞の記事」
 「ハハ、そうだな。マガウン殺人事件。エゲツねえ殺し方だそうだ。ハッハッ」
 「あんたがあの記事読んでからだ。その笑い方がいつもに増して豪快になったのは」
 「ハハ、よく見てるじゃねえか。実際、あの記事を読んだあとは面倒なことはさっさと済ませたかったぜ。面白い事件じゃねえか。心臓を抉り抜いたそうだぜ。おい、KJ。俺はあの時デ・ニーロの『フランケンシュタイン』の感想は要求したかな」
 KJは窓から外を眺めた。タイムズスクウェアだ。人だけでなく、洋服店、宝石店、様々な店が並んでいる。多種多彩な文化がこの街で生きていた。世界のあらゆるものを一つのボウルに混ぜ込んだような街だった。
 「殺人現場を見に行くのがあんたの理由?死体は既に警察が持ってってるだろうし、行っても意味がないと思うけど」
 「うん、まあそうだろうな。死体は無い。というより、あんまり見たくない」
 「じゃあ、何だってあの街に行く必要が?まさかストリートファイトを楽しむってわけじゃないだろう?」
 「まあ、そうだな。行く理由は別にある。まだ気づかないのかよ、KJ。お前は大事なところを見落としてるぜ」
 「別の理由………あ」
 KJは気づき、声をあげた。
 「あんた、まさか」
 「その通り。俺たちの力で犯人をとっ捕まえてやろうってのさ。こいつはたいそうなアトラクションだろ。ハッハッハ」
 「正気なの?」
 「老人ボケにはまだ早いぜ、相棒」
 「うわ」
 車の速度が一気に跳ね上がる。震動でKJの体が椅子に抑え込まれた。車はマンハッタンの西端、ウェイスト・サイド・ハイウェイを走っている。
 「でも、何でまた。いくら物好きのあんたでも、まさかホームズに憧れてるとは思わなかったな。犯人を捜したいなら、例の調査力を使えばいいじゃないか」

 ラスヴェガスの帝王、ドンキホーテことタイラー・クルゼイロを知る者は多い。知らないという者のほうが少ないだろう。かつて所属していた軍隊での数多の実戦経験から『神懸かりのクルゼイロ』と呼ばれ、多くの人々の羨望と畏敬を得た彼には、現職の米大統領でさえ頭が上がらないという。60歳を転機に軍を引退した彼はラスヴェガスに私邸を据え、今ではギャンブルに興じる生活を送っている。しかし現役時代に築いた人脈は今もなおその効力を発揮しており、迷宮入りした事件の解決などに役立つ場合も多い。隣に座るシスター、KJもまた、彼にその調査力に助けられた一人だった。

 「そう、ただの事件なら、わざわざ俺が動くようなことはしねえさ」
 そう言って、彼は後部座席に置かれた一冊の雑誌を取り、KJに投げ渡した。
 「何これ。『アナザーゲート』?」
 「驚くなよ、KJ」
 ドンキホーテは依然として笑っていた。
 KJはパラパラと雑誌のページをめくりはじめた。一際大々的に取り上げられた『トゥーマッチタウン・ゴースト』の特集。
 「…まさか」
 「そのまさかさ」
 さらに、スピードが上がる。
 「『ゴーストバスターズ』だ、KJ。見て見たいと思わないか、本物のゴーストをよ。ハッハ!」

 車はすでにマンハッタン島を抜けている。
 目指す場所はトゥーマッチタウン。かの事件に巻き込まれた男女が、ここにも二人。

 


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