『アンノウン・キング』

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 ダニエル・ヒューズがゲイリーの悲報を告げて駆け込んで来てからというもの、トゥーマッチタウンの酒場『カンバス』には客足が遠のいていた。時折取材のために訪れたマスコミが喉を潤すためにやって来るが、そういった連中は酒場の薄汚れた雰囲気を嫌ってか、二度と来ることはなかった。ビールを片手に大笑いしていたストリートファイターたちの姿はめっきり見ない。特に二人目の犠牲者ミスター・マガウンの死亡から後は、日に十数人足らずにまで減ってしまった。
 喪に服す、といった倫理観はあの連中にはないだろうが、復讐という気概だけはあるようだ、とこの酒場の主人は見ている。
 ゲイリーに次ぐマガウンの死は、連中、つまりトゥーマッチタウンに巣くうストリートファイターたちを奮い立たせた。団結の意志すら生まれてきたといっていい。今、この町では殺人者に「喧嘩を売られた」という考え方が流布している。警察の調べで犠牲者の抵抗の痕跡、力技による心臓剥奪が伝えられるや否や、このろくな学識も持たない闘争家たちは犯人をいつも闘っているような格闘家に結びつけた。そしてそいつは今もなお、俺たちの心臓を狙ってこの町を徘徊している、と。
 トゥーマッチタウンの戦士たちはいまも犯人探しに熱を注いでいる。
 
 年老いた主人はグラスを磨きながら店内を見渡した。
 人気はない。
 彼もまたこの町で生まれ、育ってきた一人だった。今のストリートファイト全盛期時代は知らないとはいえ、喧嘩に明け暮れる毎日を送ってきた一般的トゥーマッチ住民の一人だった。あのころを思い出すたびに、彼は若き日を悔いている。
 壁際のカラー・テレビでは『トムとジェリー』の再放送が流れていた。老人は特に気を止めなかったが、チャンネルを変えようという者もいなかった。
 時刻は11時。本来ならば、昼の酒を飲みに来る客で賑わいはじめる時間のはずだった。

 変化があった。
 入り口のドアが開き、黒いスーツの男と厚いボアコートに身を包んだ大柄な男が二人で入ってきた。黒いスーツの男は黒人で、下唇が異常に膨れていた。ボアコートの男は頭にフードを被っているため、顔はよく見えないが、どうやらこちらも黒人らしかった。コートの男はまるで両腕を隠すようにして前屈みに腕を組んでいる。
 「バドワイザーを二つもらおう。あんたも飲むかい?」
 下唇の男の言葉に、酒場の主人は頷き、笑みをこぼした。
 やはり客が来ると嬉しいものだ。
 テレビではトムがまたジェリーを取り逃がしていた。
 「ありがとう、ミスター。新顔だね。この町の者じゃないだろ」
 「まあ、そうだ。近場には住んでるだがね」
 男は笑いながら、辺りを見渡した。隣の男はじっとカウンターを見下ろしたまま黙っている。
 「ところで、こう言っちゃなんだが、この店はいつもこんな感じかい」
 主人は苦笑し、ビールを二杯差し出した。下唇の男に続いて、コートの男がジョッキを手に取り口元へ運んだ。
 酒場の主人はこの時はじめて腕組みを解かれた男の腕の異常さを確認した。太い腕だ。そうとう鍛えられている。いや、鍛えられているというよりはむしろ元々そういう体格なのだろう。努力して得られるような太さではなかった。怪物の如き剛腕。その太さは怪力ブルドッグ・ジョーにも劣らない。
 闘いに来たのだな、この腕を見て、彼は二人が町を訪れた理由を察した。
 間違いない、こいつらも闘争の酔狂者。死にに来たのか?
 「最近まではそうでもなかったんだが」
 「あの事件が関連してると見ていいかな」
 「よくご存じで」
 下唇の男は鼻で笑い、ビールを胃に少量ずつ流し込んだ。
 「あんたが思ってる以上に、この町で起きた事件はステイツ中の関心の的になってるぜ」
 酒場の主人は3ドル受け取ると、ポケットへそのまま流し入れた。
 彼ももちろん知っている。そいつのせいで儲けがめっきり減っちまったのだから。
 「失礼ですが、マスコミの方ですかな」
 3ドルを受け取りながら、主人は訊ねた。
 下唇は少し躊躇った様子で、言葉を連ねた。
 「ん、まあ、そうだな」
 嘘をつけ。お前はともかく隣の奴は明らかに違う。
 “闘い”に来たのだろう。分かっている。分かっているぞ。
 隣に座るコートの男はビールには少し口をつけただけで、また再び腕を組んで座っていた。
 「ちょっと事件のことを詳しく知りたい。爺さん、なんか知ってるかい」
 店の主人は頷いた。気の進む話ではなかったが、今は人と話がしたかった。
 またしてもトムはジェリーを取り逃がした。
 それどころか自分で仕掛けたトラップに自分が引っかかっている。
 トムは危うく丸焦げになりかけた。
 
 十分ほど話し込んだのち、二人の男は店を出た。
 酒場の主人は再び店の中に一人になった。


 二人の男はそのまま二人目の犠牲者が出たというレッズストリートに向かって歩いていた。
 「いいぞ、大まかな話は得られた。次は警察へ行ってみよう。聞き出せる限り聞いてやる」
 下唇の男が言うと、コートの男は腕を振るって、男を弾き飛ばした。
 「何するんだっ」
 下唇が小刻みに震える。両手を地面につく彼に、コートの男は顔を近づけて呟いた。間近になって顔がはっきりと見えた。紛れもない、誰もがよく知る顔だ。有名人の顔だ。
 「マイク、俺はこの町に酒を飲みに来たのか?それとも迷子のガキでも探しに来たのか?」
 コートの男はその巨大な腕で下唇の男、マイクの胸ぐらを掴んで強引に立ち上がらせた。
 「答えろよ、マイク。俺はもう我慢できそうにないぞ」
 「チャンプ…よせ、周りが見てる」
 たしかに彼らの周囲には買い物を済ませた婦人たちが訝しげにこちらを見ていた。だが、チャンプと呼ばれたコートの男はなおも怒気を孕んだ声でマイクを怒鳴りつけた。
 「関係ないな。第一、俺は見られるためにこの町に来てるはずだろうが。それをお前はこそこそと犬みてえに嗅ぎ回り、俺にはこの腕を、“モンスターアームズ”を隠せと言いやがる!」
 「それにはそれなりの理由があるんだ、チャンプ」
 「黙れっ。この薄汚ねえ町にわざわざ来たのは、“俺”のためだ。そうだろう?“俺”が名誉を手にするためだっ!言ってみろ、マイク!」
 「分かってる、分かってる。貴方の言う通りだ。これは貴方の名誉のためだっ!」
 「くそ不味い白人の酒を飲むために、俺はこの町に来たんじゃないぞ!」
 「分かってる!分かってるって!“チャンプ”ロイ・ベーカリー!」
 怪物の腕を持つ男ロイ・ベーカリーは、マイクを突き放し、舌打ちした。マイクは両手両足を地面につけ、それこそ犬のようにロイにすがった。
 「頼む!今は俺の言うとおりにしてくれ!そうすれば、お前は絶対の地位を手に入れる!もうお前を見下すような奴はいなくなるんだっ!」
 
 ロイ・ベーカリーは既に歩き始めていた。
 怪物の腕を隠すことなく、むしろその怪腕を誇るかのように振って歩いていく。マイクはその後を、犬のようにつけた。

 


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