『アンノウン・キング』
14
「この4カ所だな」
マイクはテーブルの上に広げられた地図の上で指を滑らせて、これから数日の間、このホテルで同居することになった相方の顔を覗き込んだ。
「うん、ここまでは間違いない。今まで仕入れた情報から察するに、ここと、ここと、ここと、ここの4つのエリアに出没すると見ていい。明々後日の午前0時から、3時ってとこかな」
「確実か?」
「…ああ、この範囲のうちどこかに来るのは間違いない。リブリックエリア、キャブラエリア、ウィラーエリア、ジョウドエリア」
「…広いな」
事実、広かった。
4つのエリアは隣接しているものの、歩くとなると一日では回れそうにない。特にキャブラエリアはこの区画一つでフロリダのディズニーワールドくらいの広さがあった。まして予想される時間がわずか3時間とあっては、時間内に全てを回るなどとは到底無理な話だった。
「もう少し絞れないのか?マイク?」
ロイ・ベーカリーがマイクの顔を見上げた。穏やかな口調ではあったが、その目は明らかな怒気を潜ませていた。またしてもマイクの体が震える。寒さに耐える犬のように震える。
どうして俺は彼の依頼を引き受けたのだろう?ロイ・モンスターアームズ・ベーカリー。俺はあんたのファンだったのに。
「絞れることは絞れる。時間さえもらえれば」
いや、マイクが必要としているのは時間ではない。別の力が必要だった。確かに彼は自身の発言の通り、この4つの地区を1つか2つに限定できる。それくらいの実力が彼にはある。だがそのためにはもう一つの力がいる。時間ではない。顔だ。信頼力。カリスマ。ツテ。
「どうだ?あと一日待ってくれれば、やってみせるぞ」
「まだ待たせるのか…?」
怒気が少し外に漏れたようだ。刺すような痛みがマイクを刺激する。マイクは声を振り絞って言った。
「貴方に待つ意志さえあればね」
「お前はまだ俺に待たせるというのか?」
「聞いてくれよ」
地図を乗せたテーブルが浮き上がった。やがて、音を立てて落下する。
マイクは、涙目になった。ちくしょう、俺はあんたが。
「俺のための“名誉”だ。マイク」
ロイ・モンスターアームズ・ベーカリーは差別の厳しいアフリカ某国で生まれた。白人が彼らの上に立ち、その労働力を搾取し、憎み合っていた。彼はそういった環境で育ち、そういった環境でごく自然な形で白人への憎悪を育て、いつか彼らを見返す機会を狙った。殴り返す機会を、である。若き日のロイは単身アメリカへ亡命し、ボクサーとしての地位を築き上げる。その異常に太く長い怪腕を武器に、瞬く間にチャンピオンの座に登りつめ、頂点に立った。ロイ・モンスターアームズ・ベーカリーは白人たちを見返した。リング上では何度もその顔を殴り飛ばしてやった。あの引きつった顔。我々を人間と見なさず、ただ道具のように、犬のように扱ってきた、あの顔を。彼の目標は達されたに見えた。彼は今や白人の上に立っていたはずだった。
だが、ロイは己の願望を達成させるには“強すぎた”。
その異形の体が放つあまりの強さゆえ、ボクシング界で彼と闘おうとする者がいなくなったのだ。いや、時折いた。だがそういった相手はたいてい、ろくな経験も積んでおらず、現チャンプを倒して一躍脚光を浴びようといった類の甘い考えをもったルーキーどもであったため、彼の名誉を支えるには不十分だった。彼と闘うことがスペシャルマッチになるようなトップファイターは、自分のいまある栄誉を可愛がるがため、ロイとのファイトを敢えて避けていた。彼が憎んでいた白人は、彼に勝てないことが分かると、近づかなくなった。そうして自分のいない別の場所で、あの引きつった笑みを浮かべる。歓声を浴びる。名誉を得る。
「憎い」
とロイは思った。
彼は苛立っていた。
そこへ、マイクが現れた。
彼は自分のファンだと言い、情報屋だと言い、自分のためになりたいと言い、今回の話を持ちかけた。
「私は貴方をトゥーマッチタウン事件の殺人犯に会わせることができるかもしれない。貴方はそいつを殴れるかもしれない。貴方はそれでヒーローになれるかもしれない。“チャンプ・ロイ・ベーカリー、殺人事件を解決する”。グッド・ニュース。私は貴方が好きだから、手を貸す。これはホントだ。さて、お金、持ってる?」
「“俺”は、何のためにここにいるんだ!?」
「ヒーロー…ヒーロー」
マイクはロイの手を振り払い、壁に背をつけて怯んだ。
「大丈夫だ、俺は貴方が好きだ。そいつは変わらない。あんたのモンスターアームズ、俺は貴方が好きだった」
ロイは舌打ちし、近寄ってきた。また殴るのか?俺を?
その時、マイクのポケットに入れておいた携帯電話が鳴った。
ナイスタイミング!とマイクは思ったが、それでもロイはずっしりとした歩法で歩み寄ってくる。
「よせ、チャンプ。お前のためになる内容の電話かもしれん」
言うや否や、彼は携帯を取り出し、バスルームへ駆け込んだ。
あいつならばドアを破って入って来かねないが、数分のバリケードにはなる。
マイクは携帯を耳に当てた。老人の声がした。
「どうも。お世話になります」
マイクは懐から数枚のメモを取りだし、老人も依頼内容を確認した。彼もまた、ロイ・ベーカリーが欲しがっている情報を求めている。一つの話で二人ぶんの金、しかもどちらも大金持ちときてる。この春はおかげで南国の島国へでも飛べそうだぞ。彼は仕入れた情報内容を読み上げ、例の4つのエリアについても小声で教えた。こんなことがロイにばれれば、殺されるかもしれない。
「ええ、ちょっと範囲が広すぎますが。場合によってもう少し…」
マイクの脳裏を4つの言葉が過ぎった。
顔。信頼力。カリスマ。ツテ。
「あの、よろしければお願いが」
“ラスヴェガスの帝王”ドンキホーテか。
なるほど、こいつは使えるかもしれない。
マイク・ドースンは南国でくつろぐ春の日を想像した。
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